183.渦巻く海の道(ユーリ視点)
早寝しようと夜10時更新に変えたのに、結局寝る時間はあまり変わっていない…。
ネリアからの返事がない……ユーリは胸騒ぎを覚えた。ふたたびテルジオにエンツを送り、レイクラの店『カナイニラウ』にむかうように命じる。
「ネリアの返事がない……カイはきょうは研究所にいるはずだ!研究所への転移座標は!」
あわてて転移陣を展開したヴェリガンとともに、海洋生物研究所に転移すると、所内ではウブルグやポーリンと一緒にカイ・ストロームがせわしなく働いていた。降りだした雨が嵐にかわるまえに、やっておくことは山ほどあるのだ。
「カイ!ネリアはどこだ!」
研究所に飛びこんだユーリが、素早くカイの喉元に『ルエン』を突きつけると、カイはたいして抵抗もせずに両手をあげた。
「おい、静かにしろよ……水槽の魚がおどろく」
「魚の心配とはすいぶん余裕だな」
ユーリがにらみつけても、カイは平然としていた。
「それが俺の仕事だからな」
「ちょいと!ケンカなら外でやっておくれ!こっちは忙しいんだ!」
ポーリンにどやされたユーリが一旦『ルエン』を下げ、カイがポーリンに声をかける。
「悪ぃポーリン、ちょっとでてくる!」
「いいよ!かわりにそいつ置いていきな!」
ポーリンに「そいつ」といわれたヴェリガンは、「灯台の計器の点検、頼んだよ!」とポーリンに捕まり、「ひっ」と叫んだものの、すぐにひきずるように連れていかれた。
カイは部屋の外にでると、腕を組み研究所の廊下の壁にもたれかかった。
「で、ネリアが何だって?」
「ネリアの姿が見えない……エンツにも返事がない」
「ネリアが?」
いぶかしげに眉をあげるカイを、ユーリは問いつめる。
「そうだ、どこにやった?」
「俺は何もしてねぇよ」
「ネリアは午前中、『カナイニラウ』という店にでかけて……連絡が取れない」
「レイクラのところにいったのか?」
おどろいたように聞き返すカイに、ユーリもようやく殺気をしずめた。
「……ほんとうに何も知らないのか?」
「何度もいうが、俺はネリアに何もしていない……まぁ、興味はあるけどな」
「興味だと?」
カイはユーリを見おろして、ニヤリと笑う。
「まぁな……あいつ面白いし。海の精霊と渡りあえるぐらい魔力があるくせに、本人はぽけっとしてるだろ?」
「海の精霊……?それは何だ?それと以前にも、その店でドレスを買った女が行方不明になっているだろう!」
「その話か……カナイニラウに流れついた、人間の女ならいたぜ。『レイクラからドレスを買った』というもんだから、それで俺が訪ねてきたんだよ……本人はカナイニラウを捨てたくせに、人間を送りこむとはどういうつもりなのかと思ってさ」
「どういうことだ?」
「たまにくるんだよ、陸を捨てたい女がさ……騒ぎにならないよう身寄りのない娘だけを、レイクラがドレスを着せてカナイニラウに送ってやったんだと」
「人さらいと変わらないじゃないか!それに、婚約者が探しにきて、騒ぎになったと……」
「捨てたい相手ほど、しがみついてくるもんだ。いっとくが、娘が望んだことだ……カナイニラウのやつらは優しいからな、人魚の王国で幸せに暮らしているはずだ」
「そんなことをいって、ネリアも連れていくつもりじゃ……」
「それこそ心配いらねぇよ……ネリアには王都に待っている家族がいるんだろ?レイクラも何もしやしねぇさ」
なおもいいつのるユーリを、うるさそうにカイはさえぎったが、その返事はユーリを安心させるものではなかった。
「いないんだ!ネリアには身寄りはいない……」
そこではじめて、カイの顔色が変わった。
「身寄りがいない⁉なぜ、そのことを俺に黙っていた!」
「……」
返事をしないユーリの赤い瞳を、澄んだエメラルドグリーンの瞳が見すえる。
「俺が本気になるとでも思ったか?」
「……っ!」
だがカイの表情は、にわかにあせりを帯びたものに変わる。ネリアに身寄りがいない……レイクラがもしそれを知れば……。
「こうしちゃいられねぇ……店に戻る!」
「僕も行く!」
鍵もかかっていないレイクラの店に飛びこんだカイが見たものは、あけっぱなしの床下の収納庫の扉……無造作に置かれた芋や粉の袋に瓶詰……そしてフタの外れた大きな飴色の箱。カイは箱に駆けよった。
常人には感じとれない香りを、カイの嗅覚は感じとった。カイにとってはなじみ深い、人によっては威圧感を覚えるであろう香り。
「この臭いは……レイクラのやつ、やっぱり海王妃のドレスを隠し持ってたな……」
「海王妃のドレス……?」
あとを追ってきたユーリがネリアの姿を探すが、店のなかには、ネリアもレイクラもみあたらなかった。
「レイクラがカナイニラウを飛びだした時に着ていた『人魚のドレス』だ……レイクラのやつ、処分した……といってたくせに!」
カイはギリッと歯ぎしりをした。
「なぜそんな嘘を……?」
「帰れるからだ!レイクラは『海王妃のドレス』を着さえすれば、いつでもカナイニラウに帰れたんだ!俺にはドレスは処分したからもう帰れないといっていたのに……くそっ!」
雨が激しく降りだした。毒づいて店を飛びだしたカイを追い、ユーリもずぶ濡れになりながらあとを追う。テルジオが道のむこうから何か叫んで走ってくるけれど、かまう暇はなかった。
カイが波止場に駆けつけると、レイクラがひとりずぶ濡れでうずくまっていた。
「レイクラ!ネリアはどうした?まさかネリアに『海王妃』のためのドレスを着せたのか⁉」
カイがレイクラの肩をつかんで揺さぶると、レイクラは顔をあげ、焦点の定まらない目でぼんやりとカイを見返した。
「カイ……あの娘はもういってしまったよ……お前もカナイニラウにお帰り……もうここにくるんじゃない」
「なんてことを!あんたは、あんたが消えたことで『海王』がどれほど傷ついたか知ろうともせず、かわりの娘を送りこんだのか⁉」
「あの子は優しい子だし……魔力も多い……きっと海王様も気にいられるはず」
「あんたじゃなきゃダメなんだよ!あんたじゃなきゃ!だから俺があんたを迎えにきたのに!ネリアが『海王』に怒りのあまり、八つ裂きにされたらどうする!」
そこではじめてレイクラは目を見開き、ぶるりと身を震わせた。
「あたしは……あたしは、そんなつもりじゃ……だってあの子は身寄りもなくて……」
「ちっ、しかたねぇ……この話はいまはあとだ!カナイニラウにいく!お前もくるならこい!」
立ちあがって海を見すえると、カイは口の中で何事かをつぶやき、海面に古代文様を展開していく。それはふだんユーリたちが目にするような、術式を紡いだものとはまったく違う、古代文様が羅列された形の、原始的な魔法陣だった。
(海の……道?)
激しい雨のなか、古代文様が描きだされた海面は波立ち、深く濃い紺色の海が勢いよく渦を巻きはじめる。
「いくぞ!」
ひと声叫ぶと、光を放つ魔法陣の中心、渦巻く海面にむかいカイが身をおどらせた。ユーリもすぐにあとを追おうとして。
一瞬だけ、ためらった。
それがすべてだった。
だれかがユーリの腕をつかみ、勢いよく後ろに引き、あとから駆けつけたテルジオめがけて投げ飛ばす。
「なっ!」
テルジオにぶつかり、バランスを崩したユーリは、そのままテルジオにがっしりとはがい締めにされた。
「はなせっ、テルジオ!」
「ダメですっ!殿下はいってはなりません!『赤』の務めを忘れてはなりません!」
竜王との契約者たる『赤』をまといし者……自分は逆巻く海の中に飛びこむような、命知らずなことをするわけにはいかない。
だけどあの中にはネリアがいる!
「はなせっ!」
テルジオを振り払おうと、必死にもがくユーリの目の前で、彼の腕をつかみ引き戻した男が、海面に現れた光り輝く転移魔法陣、その中心に軽やかに身を投じた。
焦げ茶の髪に深緑の瞳を持つ青年は、いつもと違い眼鏡をかけていなかった。彼は振りむき、ユーリにむかって薄く笑うと、海に飲みこまれるように姿を消した。
「オドゥ!」
その姿が消えると同時に、光を失った魔法陣が消失し、あたりには吹きすさぶ風の音と、激しい雨音、波がくだけ散る音が響くばかりだった。
ありがとうございました!












