182.カナイニラウの門
よろしくお願いします。
「てつだっておくれ、ここにドレスがしまってあるんだ」
台所の床は一部が四角く切りとられ、そこを持ちあげると収納庫になっていて、数本の瓶や芋や穀物の袋がしまわれている。レイクラが瓶や袋をとりだして、わたしもそれをてつだった。
「よいしょ、あたしもとりだすのはひさしぶりだからね……あぁ、あった、これだ」
収納庫の底に、植物を籐のように編んで作った長方形の箱があった。だいぶ古いものらしく飴色に変色している。わたしとレイクラは二人がかりで、そこそこ大きいその箱をどうにかひっぱりだした。
レイクラが震える手で留め金にふれ、それをはずして箱のフタをあける。
あけたとたん光があふれだすかのようだった。箱には真珠色の光沢をはなつ、真っ白な美しいドレスがしまわれていて、わたしは思わずため息をこぼす。
「きれい……」
「だろう?何十年も前のものだなんて思えない……」
レイクラはそっと白いドレスをなでた。本物だというドレスの、胸のあたりに縫いつけられた透明でキラキラと光るカケラが、もしかしたら鱗なんだろうか。
「いまでも夢なんじゃないかとおもうよ……何もかも夢だったんじゃないかって……海の精霊に守護されし麗しきカナイニラウ、海王様の治める都……そこでの暮らしすべてが夢だったのかもって」
「夢じゃないよ、このドレスだって本物なんだし。それにレイクラさんにはカイがいて、カナイニラウからあいにきてくれたんでしょう?」
「そうだね……カイがあいにきてくれてはじめて、あれが現実にあったことだっておもえた。それだけでじゅうぶん……」
自分にいい聞かせるようにつぶやく彼女を、わたしはさえぎった。
「じゅうぶんじゃないよ!レイクラさん、とってもさびしそうだもの。絶対カイと相談して、もういちどカナイニラウにいったほうがいいよ!」
「……さびしそう?」
レイクラは、思いもかけないことをいわれたかのように、目を見開いてまたたきをした。
「うん、とてもさびしそうだよ。ねぇ……そのままにしちゃダメだよ」
「あぁ……そうだね、さびしくてたまらない。ずっとわが身の半身を海のなかに置いてきてしまったような気がする」
何度目かのまたたきでレイクラの目から大粒の涙がこぼれ、わたしは彼女の背に手をかけそっとさすった。
「だったら、あいにいくべきだよ。カイだってあなたを心配してきてくれたんでしょ?」
「むりだよ……もうカナイニラウは遠い遠い海の底なんだ。昔はあたしが歌えば、あの人はすぐにあいにきてくれた。いまはどれだけ声をかぎりに歌おうと、あの人には届かない」
「でも……」
レイクラは自分の涙を拭くと、ひたとわたしをみつめた。
「お嬢さん、たのみがある……このドレスを着てみせてくれないか?」
「このドレスを?でも、これはレイクラさんのドレスでしょう?わたしには着られないよ」
断るわたしの両手を、レイクラはぐっと強い力で握りしめて切々と訴えた。
「あたしにはもう着る勇気がない。たのむよ、そのドレスを着てあたしにみせておくれ」
「ネリアは街にでかけたんですか?」
昼食の席にもあらわれなかったネリアの行方をユーリがたずねると、ヌーメリアから答えが返ってきた。
「ええ……テルジオたちとでかけましたよ」
「テルジオたちと?……どこにもいないとおもったら……」
テルジオあいつ……僕の気持ちも知っているくせに……と、やつあたりの矛先が休みをとっている部下にむかいそうになる。テルジオの名前がでて、メレッタが思いだしたようにいった。
「父とテルジオさんが、きょうはでかける約束をしてたみたい」
「ネリアはそれについていったみたいですね」
ユーリは窓のそとをにらむようにして立ちあがった。
「雲行きがあやしい……嵐がくるかもしれない。テルジオにエンツを送ってみます」
ユーリがテルジオにエンツを送るために席をはずすと、その場にいたオドゥも庭に通じるドアからそとにでて自分の使い魔を呼びよせた。
「ルルゥ、様子をみにいっておいで」
使い魔のカラスは不満そうに「カァ」と鳴くと空高く飛びあがり、マウナカイアビーチにむかって飛んでいく。ダイニングに戻ってきたユーリが、ヌーメリアにたずねた。
「テルジオはマウナカイアについてからは、ネリアと別行動しているそうです。ヌーメリア、何か聞いていませんか?」
「ネリアは〝カナイニラウ〟という店にいくといってましたから……そこじゃないかしら」
〝カナイニラウ〟と聞いて、皿を運んでいた別荘で働くキティという娘が手をとめた。
「〝カナイニラウ〟?ビーチのはずれの古ぼけた店ですよね?ネリア様はあの店にいかれたんですか?」
「ええ……私たち、その店でドレスを買ったんです」
ヌーメリアの返事にキティは眉を寄せて心配そうな顔をした。
「あそこは……地元の者はいかないんですよ。見目のいい若いのがいるから、ビーチのはずれでもたまにドレスを買う観光客はいるようだけど」
「どうして?」
「まえにその店でドレスを買った娘が行方不明になっているんです……娘がいなくなったあと婚約者が探しにきて、騒ぎになったことがありましてね」
「それ……事件なのでは?」
そんな騒ぎが起きたという話は聞いていない……王都までは伝わらなかったのか……。
「身寄りのない娘だったそうですよ。婚約者もすぐにあきらめてそれっきりで」
「身寄りのない娘……」
「漁師のじいさんたちが、『あの店で売っているドレスは本物だ、娘は人魚に連れていかれたんだ』っていうから、みな怖くなっちゃってねぇ……かといってあのばあさんに何かして、〝海王の怒り〟を買うのも怖いってんで、地元のものは近寄らないんです」
「海王の怒り?」
「じいさんやばあさんが子どものころだそうですけど……『むかし、あの家から人魚への嫁入りがあった』って話があって。もともと住んでいた老夫婦はとうに死んじまったし、本当のところはわかりませんけど」
「……ネリア!」
ユーリはすぐにネリアへエンツを飛ばした。マウナカイアの上空には真っ黒な雲がかかり、ビーチにはすでに雨が降りだしていた。
ドレスの着つけを終えて、レイクラはわたしをみて満足そうにほほえんだ。
「嫁入りのときはね、花嫁がドレスの着つけをするあいだ、花婿は海で歌って待つんだよ……その歌声が風にのり聞こえてくるのが、うれしいやら面はゆいやらでね」
「なんだか意外と重いですね」
ドレスはふわりとひろがっていて、陸のうえを歩くのは大変そうだ。
「海のなかにはいっちまえば、そう重さは感じないよ……それに海の底にあるカナイニラウにいくには体が沈まないとね……ついておいで」
いうなりレイクラは店のそとにでていき、わたしはあわててあとを追った。そとは風がでていて雲行きもあやしく、いまにも雨が降りだしそうだ。
「レイクラさん?待って!」
わたしが呼びかけても、レイクラは振りかえらずにずんずんと歩いていく。やがてカイたちと珊瑚礁をみにいったときに、最初に飛びこんだ古い波止場までやってきた。
レイクラは波止場に立ちつくしたまま海をみつめていた。ようやくわたしが彼女に追いつくと、彼女はカイが砂浜で歌っていたのとおなじ歌を歌いだした。恋しいひとの面影を追う……どこか切ないきれいな歌声に、わたしはレイクラの横でしばらく聞きいった。
けれど風が強くなり、やがて雨が降りだした。高い波がいきおいいよく波止場にぶつかると白く泡立って砕ける。このままでは危険だと思ったわたしは、レイクラに声をかけて手を差しのべた。
「戻ろうレイクラさん、ここは危ないよ!」
ふいにレイクラは振りむきざま、わたしの手をつかんでぐいっと引き、波止場から海のうえに押しだす。それはおもいのほか強い力で。
(え?)
「……ネリア!」
わたしの耳に届いたユーリのエンツに返事をするまもなく、全身が衝撃とともに泡と水に包まれた。
もがくと口や鼻に海水が押し寄せたけれど、三重防壁があるから海に落ちたダメージはそれほどでもない。すぐにドレスのすそが脚をくるみ、魚の尾びれがひろがる。
波の表面は高くうねっていたけれど海中は思ったよりも静かで、人魚になったわたしはゆっくりと泳ぎだそうとした。
けれど白いドレスの胸元が光ったかとおもうと、わたしのまわりに白く光る魔法陣が走るように展開していく。
(これ……古代文様⁉古い……転移魔法陣!うそ……ここで転移⁉)
海中で発動した転移魔法陣のまばゆい光は海面にも届いた。すぐにそれが消えてうねる波の濃い青だけになったあと、老婆がひとり崩れるように波止場にうずくまる。
降りしきる雨のなかで、そのうえを黒いカラスがぐるりと旋回して「カァ」と鳴いた。
別荘ではめずらしく眼鏡をはずしたオドゥが降りだした雨を窓から眺めながら、だれにいうともなくつぶやいた。
「そう……カナイニラウの門がひらいたか……ネリアをエサに投げこんだかいがあったな」
そういえばネリアをマウナカイアに誘ったのも、オドゥだったよね…っていう。












