18.覚悟
もうすぐマール川が見えてくるころ、ミストレイの背でライアスが話し始めた。
「ネリア、師団長の地位に固執しないという考えはわかったが……あなたには覚悟をしてもらう必要がある、ということを話しておきたい」
「覚悟……」
ライアスが少しためらっているのが、気配で伝わった。
「なぜグレン・ディアレスが師団長とはいえ、錬金術師団で大きな権限を持っていたか、その理由を知っているか?」
「理由?」
「そうだ。竜騎士団であれば、たとえ俺がたとえ死んでも竜騎士団の業務がストップするようなことはない」
「錬金術師団の業務は止まってしまったのね」
「ああ。元々、研究棟と呼ばれる錬金術師団の工房は、グレン・ディアレス個人に与えられたものだ。王城の一角ではあるがそこにある素材も研究資料も、ほとんどがグレン個人の持ち物なのだ」
「その権利がグレンの死によってわたしに移ってしまったと……」
グレンにはわたし以外に弟子はいなかったけれど、錬金術師は彼ひとりではない。身の回りの世話をする者も必要だし、ひとりでするには都合の悪い研究もある。
稀代の錬金術師であったグレン・ディアレス、やがて彼の錬金術に魅せられた者たちが集まってきて、いまの錬金術師団になった。
ウレグ駅にいたオドゥ・イグネルも、グレンに心酔したひとりらしい。
「グレン・ディアレスの錬金術は、『無から有を生み出し、不可能を可能にする奇跡の技』と聞いている」
魔導列車や機械人形、各種魔道具の開発……グレンの研究による恩恵は多いのだそうだ。『うさんくさいペテン師』というイメージだった錬金術師の地位が向上したのも、彼の功績が大きいのだとか。
「へえぇ……けっこう凄いおじいちゃんだったのね」
わたしにはヨレヨレのローブを着た、生活能力のまるでない老人にしか見えなかった。
「グレンの遺産として皆がほしがっているものには、集められた稀少な素材、長年の研究成果や資料のほかに……唯一の弟子である、あなたに渡された〝錬金術の知識〟も含まれていると思う」
「唯一の弟子っていっても……わたしが彼に錬金術を教わったのは、何にもない辺境で他にやることがなかったからだけど」
それに偏屈老人とはいえ、さすがにグレンもこの世界について何にも知らないわたしを、命を助けただけで放り出そうとは思わなかったんだろう。
「グレンの遺産はなるべく無傷で手にいれたいが、人の手に渡ってしまうぐらいならと考える者もいるだろう」
――もしくは〝ネリア・ネリス〟がいなくなれば、師団長室の封印が解かれるのではないかと考える者も。
ライアスはそこまで言わなかったけど、わたしはぶるりと身震いした。グレンから渡された以外に、わたしにはあっちの世界の知識もある。
(んん、これはどう考えてもわたし危険かも。もしも拷問とかされたりしたら……)
不安に感じた気配が伝わったのだろう。ライアスが力強く請け合う。
「危険かもしれないが、あなたの身は絶対に守る。そのための竜騎士団だ。頼りにしてほしい」
「わかった。グレンに頼まれたこともあるし、王都で頑張ってみる。もう無理!って思ったら、デーダスに帰って引きこもるから」
「そうならないよう全力を尽くす」
ライアスが腕を伸ばしてわたしの右手を持ちあげる。振りあおげば彼は握ったわたしの指先に、まつ毛を伏せてキスを落としたところだった。誓いみたいなものかもしれない。
「失う訳にはいかない」
小さく呟いたライアスは、その蒼い瞳でわたしをひたと見つめてきた。うわぁ、行動ひとつひとつがカッコいい!
ここで不安そうな顔はしちゃダメだ。信頼してるよ!……の意味もこめ、わたしもライアスに微笑み返す。うん、うまく笑えた。
ライアスが遮音障壁を解くと、部下の竜騎士が交わす会話がエンツで飛びこんできた。
『ようやく指先にキスとかさぁっ、かーっ!このジレジレ感がたまんないねぇっ!』
『だから団長は顔がイイんだからさぁ、さっさと押し倒しちゃえばいいんだよ』
『そうそう!団長なら顔だけでイケるっ』
「……お前ら、何の話をしている」
ライアスの声が一段と低く響き、竜騎士たちの声があわてふためいた。
『『『だっ、団長⁉』』』
「デニスっ!状況の報告を!」
照れくさいのかライアスが怒鳴り、副官デニスが落ち着いた声で返事をする。
『こちらデニス。編隊は南東シャングリラに向けて順調に飛行中。速度二百。ここまでは問題ありません。王都にはヒトロクマルマル到着予定』
「おそらく妨害される。王都から離れていて集落もとぎれる、マール川のあたりで仕掛けてくる可能性がある……相手は錬金術師団だ、何をするかわからん。気を抜くな!」
『『『『了解!』』』』
そのままドラゴンたちは飛行を続け、前方の地平線にキラキラと光る筋が見えてくる。
「あれがマール川だ」
「マール川を越えたら、シャングリラはすぐそこなのね」
空は晴れていて視界は良好。このまま何ごともなく王都まで行けるんじゃないか、そう思ったそのとき。
空を切り裂くようにドラゴンたちの周りに、大きな魔法陣がいくつも展開し、目が眩むような閃光と爆音が轟いた。
竜騎士たちはライアスより年上です。
昨年22で団長になったばかりのライアスを、可愛がりつつ見守っています。