178.自分の中の勇気(テルジオ→ヴェリガン視点)
よろしくお願いします。
屋敷に戻り、オーランドとの緊張感あふれる引き継ぎを終えたあと、テルジオは休みをもらった。オーランドは背筋がビシッとまっすぐに伸びているので、それに向かい合う自分もなんだか背筋を伸ばさないといけない気になる。
「私が到着までの四日間、殿下方おふたりのお相手はさぞ骨が折れたでしょう。あとは私にお任せ下さい」
オーランドが力強く請けあい、ユーティリスも鷹揚にうなずいた。
「僕がでかけている間も、テルジオは働いていたんだろう?僕は別荘でおとなしくしているから、明日はのんびりしてくるといいよ」
……とは言われたものの、滞在中骨が折れるような苦労もなかったし、立太子の儀の衣装決めも、後半はカディアン殿下とカーター夫人の会話を聞いていただけだ。けれど、せっかくなので休みはもらうことにした。
そうだ、衣装のデザイン画はさっさと王都に送り、別荘にあるものはユーティリス本人の目にふれぬうちに処分しておこう。
(ヌーメリアさんを誘って、ビーチとか行けないかなぁ……)
錬金術師たちと違い、テルジオはまだ海で泳いでいない。昨日のビーチでの水遊びでは服を着たまま海に入ったものの、あれは泳いだとは言えない。第一、ヌーメリアはビーチにいなかった。
昨日、気づけば海に飛び込んで一番暴れていたのは自分かもしれない。なんだかんだで王城づとめのテルジオには、王都にいる時はストレスを発散できる場所はそうないのだ。
(殿下とネリアさんのほうはどうなったんだろう……)
昨日帰ってきたユーティリスは、ネリアとケンカしたのか話しかけられるのもはばかられるような雰囲気で、様子がうかがえなかった。
テルジオ自身は、正直ネリアにこだわる必要はないとは思う。ただユーティリスが『ネリア』といえば『ネリア』だし、テルジオは定まればその方向に動くだけだ。
むしろ、白紙の状態で相手を選定するとなると大変なので、このまままとまってくれる方が楽ではある。
エクグラシアは大国で、ユーティリスに縁をつなごうとするものは、学園時代からいた。むしろ、同じ学年や近い年代の子女がいる家は、チャンスを狙うだろう。
テルジオは自分に近づく者も、内心では王子との縁を願っているのでは……と思うと、気が抜けなかった。王子ほどではないが、自分に近づく女はすべて疑ってかかる必要があると思っていたのだ。
だからテルジオは、ユーティリスがネリアにひかれた理由がよく分かる。
貴族社会ではある程度腹芸をこなせることが、教養として求められるが、ユーティリスはそんな女性にはうんざりしているのだろう。だれだって、家庭の中でまで相手の腹の中を読んで、気を使うのはごめんだ。本音と建前を使いわける女性は、信用できない。
その点、ネリアには裏表がない。そのうえ王子としての自分には無関心なところが、逆にユーティリスは気にいったのだろう。
べつに強制されたわけではないが、テルジオは自分の相手探しは、ユーティリスが婚約者を定めたあとでいいと考えていた。
グレンとの契約を完了させたユーティリスが、ネリアに対するアプローチを考えはじめたのを見てようやく、テルジオもヌーメリアとの距離を縮めてもいいか、と思えたのだ。
昨日ビーチにいなかったヌーメリアは、別荘の台所を借りて魔女の手仕事をしていたらしい。ネリアに聞いた話では、今日も台所で作業をしていたという。
なにげないふうで……といっても、補佐官の自分が台所に顔をだすのははじめてのため、バレバレかもしれないが……台所をのぞいてみると、ヴェリガン・ネグスコが、コールドプレスジュースを作った後片づけをしていた。そばにアレクもいる。
「やぁヴェリガン!さっきは鍛錬中の殿下方に、差し入れをありがとう!」
いつものように快活に声をかけると、ヴェリガンもいつものようにボソボソと答えた。
「ネリアが……言ったから」
「アレクはひとりかい?ヌーメリアさんは?」
「できた化粧品をスタッフの人たちに渡しに行ってる。すぐ戻ると思うよ」
「そうか、彼女はあした予定が何かあるかなぁ?」
「魔女の手仕事は終わったみたいだし、もう何もないんじゃないかな……ヌーメリアに用事?」
「あ、いや、そんなことはないけどね……じゃあまた!」
さっそうと台所をでていくテルジオを見送って、アレクはうつむいたまま片づけを続けるヴェリガンに話しかけた。
「ねぇ、ヴェリガン……いいの?ヌーメリア、取られちゃうよ」
「彼のほうが……かっこいい……」
王太子となる王子につき従う華やかな筆頭補佐官……彼といるほうが、彼女もきっと幸せだ……そう、ヌーメリアは幸せになるべきだ。
彼なら自分と違い、ヌーメリアの灰色の瞳がどれだけ優しい色をしているか、ことばで彼女に伝えて、彼女をお姫様のように着飾らせ、きらびやかな場所へエスコートすることもできるだろう。
台所で魔女の手仕事をやりながら、ヌーメリアは優しく歌う。きのうは横でその歌声を聞いていて、自分はとても幸せだった。
彼女が昔、毒の入った小瓶をかかえ、人目をさけるように研究棟の廊下を歩いていても、意気地がない自分は声ひとつ掛けられなかった。そう、何年も。
彼女の瞳に光をともしたのは、自分じゃない。ヌーメリアがアレクをつれ帰り、故郷から同行していたアルチニ補佐官と親しく会話するようになった時、ヴェリガンはさみしい反面ホッとしていた。
自分が植物バカな自覚はある。人と会話するよりも、植物の声を聴くほうがらくだ。自分に前世があるとしたら、植物だったのではないだろうか。
朝がくれば植物たちは元気よく根から水を吸い上げる。ヴェリガンは、植物の幹を流れる水音を聴くのが好きだった。
そう、自分は植物を育てる以外、なんのとりえもない男だ。その能力すら、畑に育つ作物とは違うものに使ってしまい、実家の農園では邪魔にされた。
魔術学園に入学する時も、「せめてお前がその『魔力』を使って、何かしらの仕事に就ければいいんだけどねぇ」と言われて見送られた。ヴェリガンは今までだれにも、役に立つ人間だとみなされたことはなかった。
なぜグレンが錬金術師団への入団を許可してくれたのかは分からない……与えられた研究室はだだっ広く、日当たりは良好だったので、ヴェリガンは自分の好きな植物を育てはじめた。
ときたまポーションなどの製作に駆りだされるが、それさえこなせば後はずっと植物たちと会話をしていられたのだ。師団長が変わると聞いて、研究室の植物たちがどうなってしまうかと恐れおののいた。
結局、ネリアは研究棟からヴェリガンを追いだすこともなく、今までどおり研究室を使うことを許してくれた。いつか川を作ってもいいとまで言ってくれた。そのかわり食事や生活態度にまで口をだされ、いろいろと働かされるようにはなったが。
ネリアが王都にやってきた時、カーター副団長の命令を実行するのに気をとられて、ヌーメリアをグリンデルフィアレンで閉じ込めてしまったのは、間抜けとしか言いようがない。
あの時はもう一生ヌーメリアには、口をきいてもらえないかと思い、竜騎士団に拘留された時は、そればかり考えて落ち込んでいた。それなのに、彼女は優しく許してくれた。
その優しさに、ヴェリガンは恋をした。あんなに優しい女性は、幸せになるべきだ。彼女を笑顔にすることのできる男とともに。こんな意気地のない自分とではなく。
そっと、見守れればそれでいい……ヴェリガンは本気でそう思っていた。黙々と作業を続ける大きな友人を見て、アレクはため息をついた。
「僕たちなりにヴェリガンのこと、応援してんだけど……きのうだってあの人をビーチにひき留めたんだ……あとはヴェリガンの勇気だよ」
一瞬だけ、ヴェリガンの手がとまる。
勇気……そんなものは自分の中のどこを探しても、見つからない気がした。
ぐいぐい来る人と来ない人…どちらの愛情が深いかなんて、一概に言えないですね。












