176.オーランド・ゴールディホーン
よろしくお願いします!
ヴェリガンと一緒にヴィオのジュースを浜辺に運んでいくと、ぜえぜえと息を切らしたカディアンが、汗をだらだらと流し砂浜にはいつくばっていた。
そのそばに立つオーランド・ゴールディホーンは、ライアスが銀行員風のかっちりしたスーツを着て銀縁眼鏡をかけたらこうだろう……と思えるような人物だった。
「ふむ……カディアン殿下の鍛錬については、内容を早急にみなおしましょう」
オーランドは銀縁眼鏡のつるをくいっと持ちあげ、ひとりうなずくと丁寧な仕草でタオルをカディアンに差しだす。タオルを受けとったカディアンの顔が青ざめた。
「みなおすって……」
「カディアン殿下、このオーランドにおまかせください。五年以内にライアスを打ち倒し次代の竜騎士団長となるべく……責任もって殿下をお育て申しあげます!」
力強くうけあったオーランドは両の拳をガッと打ち合わせる。
「ひっ、俺はべつにライアスを打ち倒すとかは……」
「大丈夫です。カディアン殿下の体格ならば鍛えれば五年……いや三年もあれば十分かと」
「ひぃぃ……!」
鍛えればだ……あくまでオーランドのもとで鍛えれば、の話だ。
キリリとした表情で弟に話しかけるオーランドを、ユーリは日陰で椅子にすわり眺めていたが、隣に控えるテルジオにそっと話しかけた。
「なぁテルジオ」
「何ですか殿下?」
「オーランドを推薦したのは、父上のとこのケルヒ補佐官だよね?」
「そう聞いています」
神妙な顔をしてうなずくテルジオに、ユーティリスはさらにたずねた。
「……ケルヒはカディアンに、何かうらみでもあるのか?」
「弟君にはないと思いますが……その……」
「何だ?」
「カディアン殿下はお父上によく似ておられますから」
「……あぁ、なるほどね。ほんとうは父上のことを、鍛え直して欲しいんだろうな」
「殿下、それいっちゃダメですよ……」
魂を飛ばしているカディアンをみおろし、ひとつ息をつくとオーランドはユーリにあらためてむきなおる。
(ユーティリス・エクグラシア第一王子……表だって公務に姿を見せることはなかったが、その仕事ぶりは有能にして隙がないといわれる。知将というべきおかたとお見受けするが……武の腕はいかほどのものか)
いまユーリはゆったりと椅子にすわり、青ざめているテルジオの横で訓練を顔色ひとつ変えず見守っていた。
(自分がここにきたからには、殿下がたにはしっかりと交流を深めていただく……そう、漢は拳で語らねば)
「おそれながらユーティリス殿下……殿下ご自身にどの程度まで身の守りをお任せしてよいものか、不肖私めの身をもって計らせて頂きとうございます」
オーランドがユーリに正対し礼をとると、ユーリは眉をあげた。
「……つまり僕と手合わせをして腕前を知りたいと?」
銀縁眼鏡のつるをくいっと持ちあげ、オーランドはレンズをきらりと光らせる。
「お許しいただけますならば」
「殿下は錬金術師なのですから……」
「いいよ」
いいかけたテルジオを制して、ユーリは立ちあがった。
オーランド・ゴールディホーン……王城では実直で誠実な人柄が評価されているが、学園時代は現在の竜騎士団長ライアスを鍛えあげ、いまでも自ら研鑽を欠かさないと聞く。
文官でありながら強さを尊ぶのは家系ゆえか……。
「テルジオ、心配はいらないよ。器が成長したことで魔力も安定したようだ……以前までとは比較にならない」
くすりと笑うユーリはいつものような優しげではなく、獲物をみつけた肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべていた。
それはそれでテルジオは背筋が寒くなる。彼が仁王立ちするオーランドのまえにたつと、眼鏡をはずしたオーランドは金髪に青い瞳でライアスによく似ていた。
「手加減はお互いなしで。使える魔術は身体強化のみ、魔道具も使わない……それでいいか?」
「かしこまりました。ではどうぞ」
かまえたオーランドに向かい、ユーティリスは首を振る。
「僕からいく必要はない……いつだって狙われて襲われるのは僕だからね……お前からくるといい」
「では……参る!」
身体強化でスピードアップしたオーランドが一瞬で間合いをつめると、右ストレートを打ち込んだ。ユーティリスはそれをかわすと、逆にオーランドの懐にとび込んでみぞおちを狙う。オーランドは跳びすさり、さっと離れて間合いをとると、二人はにらみあう体勢に戻った。
「……」
オーランドの眉間のシワがぐっと深くなり、ユーティリスは燃え上がるような赤い瞳で、相手をにらみつけたまま口角を上げた。
「バルザムの末裔を、たやすく打ち倒せると思うな」
「……怪我をさせる心配をする必要は、なさそうですね」
オーランドの青い目がすっと細められた。
しばらくガキィッ! バシィッ! ……と激しい打ち合いの音が続く。
それぞれに身体強化がかかっているため、スピードの割に重い音がする。
拳をよけても砂浜だから、おたがい足場は悪い。踏みこんだ足は砂にめりこみ、いきおいよく動くと砂が飛びちる。
重心をひくく保って機敏に動くユーリは、わたしとちがい筋肉痛の影響はなさそうだ。
オーランドは長身なうえに関節がやわらかいのか、しなるような一撃をくりだした。
わたしたちが見守っていると、オドゥも別荘から見物に降りてきた。
「おーやってるねぇ」
「オドゥも見にきたの?」
オーランドの蹴りがユーリの胴にきまり、ふっとんだ彼の体が砂を跳ねとばして地面につく。
もがくように体勢をたてなおそうとしたユーリにオーランドがガッと詰め寄った瞬間、ユーリの手が動きオーランドにふれた。
「オーランドの動きがとまった……?」
動きのとまったオーランドの目がくわっと見開かれる。筋肉が強ばり全身がしびれて動けない。
下になったユーリが平然と笑みを浮かべた。
「殿下……」
「研究棟にこもっている錬金術師でもこれぐらいのことはできるさ」
彫像のように動きをとめたオーランドは、怒りをこめた声でテルジオを問いただす。
「テルジオ……殿下にいけない遊びを教えたのは貴様か?」
いきなり質問されて、テルジオは飛び上がった。
「へっ?なんですか?いけない遊び?もしかしてオドゥが?」
「そうか、オドゥ……オドゥ・イグネルか」
いけない遊びと言われてテルジオが思いだすのは、オドゥ・イグネルぐらいだ。
それを聞いたオーランドはすっと青い目を細め、浜辺で見物していた平凡な男の姿を捕らえる。弟の同期でもありオーランドもよく知っている男だ。
オーランドはオドゥめがけ瞬時に間合いをつめた。そのまま嵐のように打ち込みをくらわせる。
「うわっと……!」
オーランドがくりだす渾身の打ちこみをすべて、とっさに両手をつかい展開した魔法陣でとめたオドゥは、眼鏡のブリッジに指をかけ困ったように微笑んだ。
「うわぁ、様子を見にきたらいきなり本気全開でくるって……ひさしぶりだねぇ、オーランド」
「オドゥ……貴様か?ユーティリス殿下にいけない遊びを教えたのは」
オーランドが殺気をみなぎらせてオドゥを問いただし、テルジオはあわてて会話にくわわった。
「オドゥ、本当か⁉わ、私に黙って、こっそり、内緒で、ふたりだけでなんて、ズルいじゃないか!」
「あ〜テルジオ先輩、たぶんそれかんちがい……」
オーランドは憤怒の形相で、雷を落とすがごとくオドゥを一喝した。
「オドゥ、貴様が殿下にお教えしたのは武道でいえば邪道、暗殺拳に近いものだ!王族にお教えするようなものではない!」
「暗殺拳⁉」
声が裏返るテルジオの横で、オドゥは眼鏡のブリッジを押さえたまま肩をすくめた。
「やだなぁ……僕が使ったのは狩猟で使うちょっとした魔術の小技だよ。暗殺拳とかホントおおげさ……ほんのすこし急所を突いて相手の動きをとめたり、しびれさせたりするだけだし」
人のよさそうな笑みを浮かべるオドゥを見おろし、オーランドが眉間にぐっとシワを寄せた。
「貴様……もうすこし深く打ちこむだけで、一瞬で息の根をとめる技など……このようなものを殿下に教えてなんとする」
「死んでないならいいじゃん……オーランドのぶ厚い筋肉がちゃんと防いだろ?」
「死ななければいいという問題では……」
オドゥはあきれたようにため息をつく。
「だいたいいままで何してたのさ。王子たちが心配ならオーランドがつきっきりで面倒みればよかったんだよ。僕は一介の錬金術師に過ぎないんだから」
ふたたび眼鏡のブリッジに指をかけ位置を調整し、オドゥは平然といいはなった。
「王族に必要なのは正々堂々と戦いに勝つことじゃない……どんな手を使っても最後まで生きのびることだ。僕が教えたのはただのサバイバルスキルだよ……ただのね」
ありがとうございました!












