175.魔女の手仕事と酸っぱいジュース
よろしくお願いします!
一夜明けてみれば、あの時ユーリと口論になったのはまずかった……と思う。ユーリから見たら、世間知らずなわたしは危うく見えるだろうし、実際彼に心配をかけたのは事実だ。
だからといって、じゃあユーリに謝ればいいかというと……そうしたほうがいいとは思えない。だってわたしはこれからも、見たい景色があれば、たとえそこが危険だったとしても、飛び込んでゆくだろうから。
そんなことをつらつら考えながら、王家の別荘の裏手の小径を歩いていくと、家庭菜園程度の小さな畑を、見覚えのある紺色の髪がウロウロしているのが目にはいった。
ヴェリガン・ネグスコは畑の野菜や果物を収穫すると、そのまま収穫物の入った籠を持って、勝手口に向かっていく。
島では食料を運ぶのも船を使うので、この島である程度自給自足できるよう、敷地の一部を使って野菜や果物も栽培している。ヴェリガン自身も緑にふれると落ちつくらしく、ときどき畑を手伝っては喜ばれているようだ。
台所をのぞくと、ヴェリガンとヌーメリアがふたりで作業をしていた。
「ふたりとも何しているの?」
「あらネリア、ヴェリガンはこの島でとれる作物を使ったコールドプレスジュースの試作で、わたしは日焼けあとのスキンケアグッズを作っているんです」
「スキンケアグッズ?」
「ええ。自分たちの分と……昨日アレク達がビーチで大暴れしたので、そのおわびも兼ねてスタッフのみなさんに配ろうかと。ネリアもいります?」
「欲しいです!あとヴェリガン、筋肉痛がひどいのでクエン酸を下さい……」
「くえん……?」
「とにかく柑橘類の酸っぱいので!自分へのいましめとして飲み干したいと思います!」
すると「酸っぱい……とにかく酸っぱい」と唱えながら、ヴェリガンは材料の果物を選びはじめた。
ヌーメリアのほうは、蜜蝋を温めて溶かしたものに少量の湯を加えてクリーム状にし、そこへ油で抽出した薬草のエキスを加え、さらに練っているようだ。
「ヌーメリア、これなあに?」
「リップクリームですよ。魔女の手仕事……ってところかしら。昔から伝わる製法ですよ」
そう言うとヌーメリアは練り終わったリップクリームを器用にヘラで小さな壺につめ、保存の術式をかけてから渡してくれた。
「どうぞ、ひと月はもちますよ」
「わ、ありがとう!使ってみていい?」
とくに香りもないが、天然素材で作った無添加のリップクリームだ。指でとって唇につけると、するりと優しく唇になじんだ。
「そっちはローション?」
ヌーメリアの脇の小さな木箱には、さまざまな形の瓶が並べられている。瓶の中身は少し濁った液体のようだ。
「ええ、日焼け後の肌の炎症を抑える働きと保湿作用がありますわ……材料は島で採れるものを使っています。瓶は分けてもらったのを使っているので、いろいろな形なんです」
「このボトルなんか貝殻の形してて可愛いね!でもふたりとも休みなのに働いているの?」
「あら、これも休暇の過ごしかたですよ……自分たちで使うものを自分で作るんですもの……一番安心でしょう?」
ヌーメリアがゆったりと笑った。
「わたしも見てていい?というかやってみたい!教えてくれる?」
「もちろん……ネリアは魔女の手仕事ははじめて?」
ヌーメリアが、レシピが書かれた紙を差しだしながら聞いてきた。
「うん。あのグレンが化粧水作ったり、リップクリーム作ったりすると思う?」
「それもそうですね……でも私も……これはヴェリガンから教わったんです」
「ヴェリガンに⁉」
ヴェリガンが化粧水とリップ作るなんて、それこそイメージ湧かないんだけど⁉
「ばあちゃんの……レシピ……よく手伝わされて」
ヴェリガンがか細い声でぼそぼそ説明するのを、ヌーメリアが補足してくれた。
「ヴェリガンのお祖母様は『森の魔女』なんですって。古い魔術を使い、薬草から薬を作ったりして森の奥で暮らしているそうです……おとぎ話にでてくる魔女みたいな暮らしを今もしているそうですよ」
マジか!
ヌーメリアがクリームを練りながら優しい声で歌う。簡単なメロディーで、手仕事をする時に歌うものらしい。
聞き惚れていると、横で作業をするヴェリガンもなんとなくうれしそうにしている。お祖母さんのことでも思いだしているんだろうか。手仕事って気持ちが落ちつくし、優しい時間を作りだすんだな……。
ほっこりしていると、そこへヴェリガンが、グラスにつがれた黄緑色の蛍光色の液体を、おずおずと差しだしてきた。
「ネリア……これ……酸っぱいの」
「うわ!これ、すごい色だね……」
なんだか昔作った、蛍光塗料を溶かしたスライムみたいな色をしている。
「ヴィオの実……使った……やめとく?」
「ううん、飲むわ……いましめだもの!」
わたしは酸っぱいドリンクを、ぐいっとあおった。すぐに顔が酸っぱい顔になる。
「く~っ、酸っぱい!効きそう!」
やってきたアレクやメレッタが、好奇心いっぱいに目をキラキラさせている。
「僕もネリアの酸っぱいの飲みたい!」
「私も飲んでみたいです!」
「えっ、ほんとうに酸っぱいよ?」
「いいからいいから!」
ふたりはわたしが止めるのも聞かず、ヴェリガンに黄緑色の液体をついでもらうと、大騒ぎしながら飲みはじめた。
「すっぱー!」
「キャーッ!ほんとうにすっぱい!」
「だから酸っぱいと教えたのに……なぜにみんな、酸っぱいとわかってて飲むの?」
わたしが不思議に思って首をかしげると、ヌーメリアがくすくす笑いながら教えてくれた。
「ネリアの反応が面白いからですよ……ネリアが飲んでいるのを見ると、みんな飲みたくなっちゃうんです」
そうなの⁉
「でもよかった……ネリアも元気がでましたね。ヴェリガンのコールドプレスジュースのおかげかしら」
「うん、なんか酸っぱいとシャッキリするね」
「レシピに加えてみよ……かな」
ヴェリガンがメモを取りはじめた。ヌーメリアが心配そうにわたしの顔をのぞき込む。
「さっき台所に入ってきた時は、なんだか元気がなかったですけど……昨日は楽しくなかったんですか?」
「昨日?楽しかったよ!カイが連れて行ってくれた珊瑚礁のしげみは本当に見事で、いろいろな種類の珊瑚で見上げるほどの高さの棚田みたいになってて……その中を熱帯魚の群れが泳いでいて……」
「わぁー素敵ですねぇ!」
メレッタがうっとりと目を細める。
「うん、本当にきれいだった!」
「私たちは島のプライベートビーチで水遊びしました!ビーチの上に転送魔法陣を作って、海の水をそこから降らすんです。周りに人がいないから、思いっきりやっちゃいました」
「うわーダイナミックだね」
「テルジオさんなんかはしゃいじゃって、服着たまま海に飛びこんでましたよ!」
「へぇ、テルジオが⁉意外だなぁ……いつも書類抱えてるイメージだったのに」
「迷惑はかけていないとは言っても……大騒ぎしたのは事実なので……屋敷のほうまで音が聞こえてきましたもの」
ヌーメリアがため息をつき、メレッタは可愛らしく舌をだした。
「えへへ……ごめんなさい。ネリアさんはずっと泳ぎっぱなし?」
「干潮の時だけ姿をあらわすっていう砂浜に案内してもらって休憩したの……見渡すかぎり、その小さな砂浜以外は海と空しかないの。絶景だったよ!」
「すごーい!」
「カイにガイドしてもらってよかったですね」
ヌーメリアがにこにこと言ったけれど、わたしは眉を下げた。
「でも帰ってきたらユーリと口論になっちゃったんだ……軽はずみ過ぎるって怒られちゃって……」
ユーリと口論した後すぐに部屋に戻ったわたしは、タイミングよくエンツを送ってくれたライアスに、「ユーリと喧嘩した!」と泣きついた。
ライアスは困惑しながらも、わたしの泣きながらの説明をちゃんと聞いてくれて、「彼も分かっているだろうから、そう心配するな」となぐさめてくれた。
ただしそのあと、ライアスからも「よく知らない男と二人ででかけるのはどうかと思う」とお説教をくらったため、わたしの元気は回復しなかった。
しょぼーん。
海の中の景色は息をのむほど素晴らしいもので……わたしは単純に、連れてきてくれたカイに感謝して、ユーリも一緒に見られたことを喜んでいたんだけど……。
療養中だというのに、心配してついてきてくれたユーリには、無理をさせていたのかもしれない。景色とカイの話に気をとられて、そこまで彼のことを気遣えなかった。
それなのに、どなり返してしまったわたしも、疲れていたんだろうな……。グレンに我慢はするなと言われているにしても、こらえ性のないのはどうかと思う。深く反省しろ、自分。
「そうですか……ユーリも島でずっと静養していて、カイのことをよく知らないから……心配したのでしょうね」
「そうだね……カイの誘いに乗ったことは後悔していないけれど、ユーリを心配させたことは反省しているよ。ユーリはどうしてる?」
「ユーリ先輩なら、カディアンの補佐官のオーランドさんが到着したので、カディアンたちと浜に行ってますよ。なんだか鍛錬するみたい」
「オーランドさんが着いたの?」
ライアスのお兄さんがきたんだ……鍛錬かぁ……。
「ヴェリガン、さっきのジュースまた作ってくれる?今回は量をもっと多めに……ヴィオだっけ、採ってくるね!」
ヴェリガンがメモをとっていた手をとめて、顔を上げた。
「いいけど……あの酸っぱいの……また飲むの?」
「ユーリたちに差しいれ!筋肉痛にはクエン酸だからね」
わたしは籠を持って立ち上がった。
筋肉痛の回復には肉とかタンパク質の補給もいいです。食事、大事ですね。












