163.遠征地での休息と術式の補修
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ライアスはあわてて『エンツ』を終了させたあと、ネリアがオーランドがくるには「何日かかかる」と言っていたことに気づいて、しまったと思った。
ネリアに『エンツ』を送るのは、ミストレイにバレないように気をつかうため、ようやく見つけたタイミングだったのに、兄の名前がでたことに動揺して、たいして話もせず終わらせてしまった。
ライアスの二つ上の兄のオーランドは、仕事で家をあけることの多い父にかわり、幼い頃のライアスの鍛錬によくつき合ってくれた。
彼自身は風の属性を持っていなかっため、竜騎士になる夢はすっぱりあきらめ文官を志したが、ライアスが魔術学園に入学し、風の属性を持つことが分かると、弟を真剣に鍛えはじめた。
放課後ライアスが学生寮に戻ってくれば、オーランドが仁王立ちで待ちかまえている。しかもその鍛錬のようすは、ほかの学園生たちが震えあがるほどだったという……。
「あまいぞ、ライアス!そんなざまで竜騎士になるつもりかぁっ!」
ビシバシと兄に鍛えられたおかげで、ライアスは竜騎士団に入団してからの厳しい訓練にもついていけたし、竜王戦を制して騎士団長となれたのも、兄の鍛錬あってのことと分かってはいるのだが……。
ネリアを食事に誘ったり、『エンツ』を送ったりしていることが、兄にバレでもしたら。
「ライアス、貴様……遠征の最中に女性に『エンツ』を送るなど……騎士団長としてたるんでいるのではないか?」
真顔で銀縁眼鏡のつるをくいっと持ちあげ、レンズをキラリと光らせて言われそうだ。
気まずい。いろいろと気まずい。
もちろん今では、竜騎士団最強を誇る自分のほうが、兄より強いのは分かっている。だが文官になった今でも兄は鍛錬を欠かさないし、ライアスが休みの日は稽古につき合わされる。
「うむ、さすが現役の竜騎士……筋肉のつき方にムダがないな」
稽古後はさわやかに汗を拭きながら、ライアスの体の鍛え具合をチェックし、満足そうにうなずくオーランド……そう、兄は文官でありながらガチガチの武闘派だった。
漢は拳で語らねば……という信念のもと、兄弟の語らいもすべて拳でおこなうのだ。
(ミストレイを拳で黙らせるのと、オーランドを拳で黙らせるのと……どちらが大変だろうか)
竜王が地上最強の生物であることは間違いないが、ライアスを知りつくしている兄のオーランドも、自分にとってやりにくい相手であることには違いない。
王城でのオーランドは、実直で誠実な人柄が評価されており、仕事ぶりも補佐官に抜擢されるほどだというから、文官としてもちゃんとやっているのだろう。
女性のネリアと顔をあわせても、さすがに拳で語りあうことはないだろうが。
(殿下方相手なら、ありえるな……)
たしかカディアン第二王子は、竜騎士志望だった。自分が十六の時に兄から受けた訓練を思いだし、ライアスは王子が気の毒になる。
そう、マウナカイアビーチでのバカンスが、『地獄の強化合宿』になる可能性は十分にある。
ライアスがそんなことを考えながら野営地に戻ると、レオポルドが、ひとり魔導ランプの灯りの下で、自分のローブの術式のほころびを直していた。
ほかの魔術師たちも近くにはいるものの、おのおの明日に向けての準備と、休む支度をしているようだ。ライアスはレオポルドの座るテーブルの、あいている椅子に腰かける。
「レオポルド……お前、刺繍をつくろっているのか?」
「ああ……自分が身につける物を人任せにするのは好きではない……なにが仕込まれるか分からんからな」
遠征中のレオポルドは、ふだんでも気難しいのに、より一層ピリピリと神経質になる。レオポルドのローブの手入れなど、やりたがる者は魔術師団に大勢いそうだが、彼はそれすらも人任せにせず自分でやる。
彼は『天才』と呼ばれるが、そのかげで何事にも手を抜かず、コツコツと努力することを、魔術学園時代からのつき合いであるライアスは知っていた。
戦闘の下準備も一切の妥協をせずに入念におこない、万全の状態で臨めるよう心がけるのだ。
華々しい活躍や見た目に誤魔化されるが、レオポルド自身はただ努力家であるに過ぎない、とライアスは思っている。
銀の針に通された光り輝く細い銀の糸は、補修用の特別な糸なのだろう。黒いローブに縫いつけられ、レオポルドが最後に何か呪文を唱えると、糸の輝きはすぐに黒く染まり、ローブにもともと施された刺繍となじんで一体化した。
ライアスが感心しながらレオポルドの手元を見ているうちに、補修は終わったようだ。作業が終えてレオポルドがふと顔を上げると、黄昏色の瞳が魔導ランプの光を受けて不思議な色に輝く。
「お前の上着の術式もほころびているな……貸せ」
レオポルドはライアスの上着の、『収納ポケット』の部分の術式のほころびを見つけたらしい。昼間にゴリガデルス(火喰い熊)の爪がかすって傷がついた所だ。
ゴリガデルスは「肉づきの良いものならなんでも喰う」と言われている、モリア山に生息する猛獣だ。モリア山に生息する生き物は、もともと少ない。にもかかわらず、魔素の影響かそれぞれぞの個体は強い。よって互いを捕食するために、より強く凶暴なものが生き残ったといわれている。
ライアスの槍の一突きで、ゴリガデルスは仕留められたが、断末魔のあがきが、ライアスには及ばなかったものの、爪が術式をかすったらしい。
こんな時なんだかんだいって、レオポルドは面倒見がいい。魔術師団を束ねているだけあって、わりと目端がきくのだ。ライアスはほころびを見つけた彼の好意に、素直に甘えることにした。
「ああ、助かる。皮を縫うための太い針や糸は持っているが、繊細な細工をするような細い糸や針は持っていなくてな」
ライアスが上着を脱いでレオポルドに預けると、少し離れたところにいた魔術師たちがざわりとした。
レオポルドの伏せた銀の睫毛は長く、真剣な彼の表情は、誰もがみほれるほど美しい。レオポルドは針を動かしながら、淡々とつぶやいた。
「あいつが作った魔法陣だからな……大事に使ってやれ。少々ほころびてもちゃんと機能しているようだが、手を入れておくに越したことはない」
「そうだな」
レオポルドの言う「あいつ」が、誰のことを指すのか分かったライアスはうなずいた。
彼女の一生懸命考えた魔法陣は、ちゃんと役目を果たしている。それぞれがポーションを持ったおかげで、ゴリガデルスの襲撃を受けても重い怪我をおうものはなく、魔術師たちもすぐに魔力を回復できたようだ。そのため野営地にも、明るい雰囲気がただよう。
つぎに『エンツ』を送る時は、そのことを彼女にも教えてやろう。
赤茶のふわふわした髪を持つ、黄緑色の瞳の娘の顔を思いだすと、思わず笑みが浮かんで、ライアスは慌てて顔をひき締めた。
(ねぇ!いまライアス様が微笑みを浮かべて、レオポルド様を見つめていたわ!)
ライアスには聞こえないざわめきが、魔女たちの間を走った。
昨年騎士団長になるまでのライアスは、遠征時でも竜騎士たちの中で埋没していた。『金の竜騎士』と『銀の魔術師』が揃うだけで、塔の魔女たちのテンションがうなぎ上りになることなど、彼は知らなかった。
知らなかったが、周りの雰囲気が変化したことにはライアスは気づいた。
何も考えずに補修をレオポルドに任せてしまったが、よかったのだろうか。ふと気づくとなぜか自分たちは、周りから注目の的になっているようだ。
(さすがに師団長に縫いものをさせるのはまずかったか……?)
魔術師団の女性たちの中には、『レオポルド親衛隊』と呼ばれるほど、彼に心酔している者もいると聞く。
なにしろ、レオポルドがライアスの上着に顔を近づけ、自分の歯で糸を切り「ほら」と無造作に返してよこした時は、彼女たちがみな、声にならない悲鳴を上げていたのだから。
ありがとうございました!
 









