159.リメラの嘆きとユーリのぼやき
今年もどうぞよろしくお願いします!
アーネスト・エクグラシアは、王城の奥宮で朝食を摂っていた。
榛色の髪に琥珀色の瞳をしたリメラ王妃は、実のところアーネストの好みにドンピシャで……いつ見ても大好きな顔である。そうでなかったら、毎日顔を見ることになる『妻』になどしない。
だが、広いテーブルにふたりだけという今日の朝食は、なんとも居心地の悪いものとなっていた。本来なら、上の息子のユーティリスがいなくとも、下の息子のカディアンが場をつないでくれるはずなのに。
とくに会話もない朝食を終え、リメラはほぅ……とため息をつく。
食事がすめば、きょうも互いにスケジュールいっぱいの、忙しい1日がはじまる。ようやく解放される……とホッとしたのもつかのま、リメラはそっとカップを持ちあげると、優雅に口元に運ぶ。
「ユーティリスは出かけてしまったとか……」
(……来た!)
アーネストは内心汗をダラダラたらしながら、用意しておいたセリフをいう。
「あ、ああ……『海洋生物研究所』にでかけているぞ。あいつは錬金術師団に入団後はずっとウブルグについていたからな」
「そうでしたわね」
リメラがこくりと紅茶を一口飲む。
このしずけさが、アーネストにとっては恐怖を倍増させる時間だ。リメラは目をふせてカップの中身を見つめているため、表情はうかがえない……。
「ネリア・ネリスも一緒だとか……」
「師団長だからな、長距離転移魔法陣を作動させるには、彼女がいないと」
「……泊まりがけですのに」
「テルジオも一緒だから、そう心配する必要はないだろう」
心配するな、といわれても心配するのが、母という職業である。
なにしろリメラ王妃の頭の中は、夫であるアーネストではなく、ふたりの息子のことでいつもいっぱいなのだ。
「男の子が成長してしまうと……寂しいものですわね。外にばかり気をむけて、この母のことなど忘れてしまったかのよう……」
「そんなことはないだろう」
リメラはもういちど、ほぅ、と物憂げにため息をついた。
「ユーティリスのことはしかたありませんわ……大人ですもの」
「ま、まあな」
おちつけ、まだリメラは冷静だ。カップの中身の茶を飲みほすだけの分別はついている……アーネストはそう自分にいいきかせたが、すでに自分の命は風前のともしびのような気がした。
(こういう時にかぎって、なんでライアスもレオポルドもいないんだ!)
ただ見ているだけの他のものとちがい、あのふたりがいれば、なにかしら仲裁してくれそうなものだ。けれどいま事態の収拾は、アーネストひとりに任されている。
わかっている。おそらく、ユーティリスはわざと、そういうときを見計らって自分とリメラを二人きりにしたのだ。カップを持つリメラ王妃の目がきらりと光った気がした。
「オーランドに聞いたのですけど……カディアンも一緒だとか」
「そう、らしいな……立太子前に兄弟でゆっくり過ごしたいと『エンツ』がきていた……」
カップがパリーン!と、音をたてて割れた。
(ひっ!)
「……あなたがときどきお忍びでいなくなるときの言いわけに、そっくりですわね」
(なんでこれ、俺が責められる流れになるんだ⁉︎)
目の前に座る最愛の妻は、かってティーカップだったものを、サラサラと崩れる砂のように指のあいだからこぼしながら、三白眼でこちらをみすえてくる。
(ユーティリス、俺が悪かった!だから!)
はやく帰ってきてくれ!
アーネストは心の中で、今頃マウナカイアビーチで楽しく過ごしているだろう、息子に向かって助けを求めた。
そしてそんな父の心の叫びも知らず、抜けるような青空と明るいエメラルドグリーンの海を、静かなプライベートビーチの木陰に置かれた寝椅子で満喫しながら。
当のユーリはふてくされていた。
錬金術師団の一行は、船で王家所有の豪華な別荘が建つ島にやってきて、わいわいと部屋割りを決め、さっさと休むと、翌日にはみな転移してでかけてしまった。
救いはみんながビーチに遊びに行ったわけではなく、あくまで仕事で海洋生物研究所の視察にでかけているところか。
ユーリはといえば、師団長のネリアから直々に「ユーリはしっかり静養する事!」と厳命されたため、お目付け役のテルジオと島に取り残され、寝ているしかない。
(焦ってもしょうがない……本気で、のんびりと静養するしかないか……)
そう、ユーリは焦っていた。大人の姿になった今、少年の姿の時は感じなかった距離を、ネリアとの間に感じることがある。
以前のような気安い感じではなくなったのは、子ども扱いから抜けだせたと喜ぶべきところなのかもしれないけれど。
(意外と、ガードが堅いんだよなぁ……)
ネリアがどこか恋愛に慎重で、ためらう素振りを見せるからこそ、ライアス・ゴールディホーンにすんなり堕ちないでいてくれるのかもしれないけれど。
それだっていつまでもつか……ライアスだって出発前夜にネリアと食事をするぐらいだ、なにかしらの行動は起こしただろう。
わざわざネリアにくっついて海洋生物研究所まできたのは、この休暇で彼女との距離をつめたかったからなのに、出鼻をくじかれた気分だ。
はやく調子を取りもどすためにも、いまは休養だ。
だけど、ついでに連れてきた部外者のカディアンまで、みんなについていくことはないだろう!
この僕が寝ているのに!
カディアンとなにか起こるとも思えないが、オドゥだって油断はならないし、『海洋生物研究所』に居たカイ・ストロームという若い男のことも気にかかる。
岩場でカイとネリアはなにか話しこんでいるように見え、つい灯台の上から呼びかけてしまった。
(距離をつめるというより、距離を取り戻すことを目的にしたほうがいいかもな……)
周りからは「賢い」と思われることが多いユーリだって、女の口説きかたをだれかに習ったわけではない。ネリアに対してはなにもかも手探りだ。
唯一教えてくれそうな人間といえば……焦げ茶の髪に黒縁眼鏡をかけた深緑の瞳を持つ青年の顔が脳裏に浮かび、ユーリは顔をしかめた。あいつには絶対に頼りたくない。
『仕事は確実にこなすが、カラスへの依頼はそれなりの対価を要求される』
長年、グレンの元で仕事をしていたと言われる『カラス』……『カラス』の使い魔を連れていたことから、そう呼ばれたと聞いた。
あいつがカラスと決まったわけじゃない……だけど、さまざまな情報を繋ぎ合わせると、あいつがそうとしか思えない。
ネリアに対する好奇心を隠そうともしないのに、なぜあいつはネリアを見守っているだけなんだろう。
それこそ、その気になれば、どんな手段でも使うヤツなのに。
きいても素直に答えるようなヤツじゃない……だから推測するしかない。なにか僕が見逃している事があるのだろうか……。
考えごとをしているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。気づくと、ユーリの体にはタオルケットが掛けられ、ネリアがそばに座って海を見ていた。
「あっ、ユーリ起きた?」
「僕……寝てました?」
「うん。昼食に戻ってきたらスヤスヤ眠っているから、起こしたくなくて……調子はどう?」
寝顔が見られたのが面白くなくて、ユーリは素っ気なく答えた。
「知りませんよ」
おとなげない態度を取ったのに、ネリアはちょっと目を丸くしてから、「よかった」と笑った。
「なにがよかったんですか」
なんだか悔しくなって憮然としたまま答えると、ネリアはさらに屈託なく笑う。
「きっとユーリはふてくされてるだろうな、って思ってたの。だから、いつものキラキラ王子様スマイルじゃなくて、安心したよ」
「なんですか、そのキラキラ王子様スマイルって」
「アナとメレッタがそう話してたの。お昼ご飯食べにいく?それともここに持ってきてもらおうか?お魚もフルーツも、たくさん種類があって美味しそうだよ」
「……ネリアも一緒にここで食べませんか?」
「うん、そうしようか」
ふたりで、という言葉は喉の奥にひっかかって出てこなかった。きみがいまにも逃げてしまいそうで、不安で仕方がない。けれど掛けられたタオルケットは、きみの優しさのようで肌に心地良い。
現金なもので、目を輝かせてフルーツをつまんでは、歓声をあげる目の前のきみを見ていたら、僕の機嫌はすっかりなおってしまった。
ありがとうございました!