157.出発前のてんやわんや
カーター副団長からの突然の『エンツ』に、カーター邸はおおさわぎになった。
「はぁ⁉︎いきなりマウナカイアビーチにいくから準備しろですって⁉︎ムリに決まってるでしょ!」
「おちついてよ、お母さん、学園最後の夏季休暇だからって、私がお父さんにせがんだの。ネリス師団長が同行を許可してくれるなんてすごいことなのよ!」
「それにしたって仕事のついででしょ、つ・い・で。いっても楽しくなんかないわよ!」
興奮したアナがわめくので、メレッタはとっておきの切り札をだした。
「お母さん、生のユーリ先輩にあえるチャンスよ!」
そのとたんアナの頭の中にある『アナのイチオシ!注目ランキング』のトップに、『生ユーリ』という単語がきた。
「……すぐ用意するわ」
だが動揺するアナの頭のなかはまだ混乱していて、すぐに交通渋滞をひきおこす。
「あの人ったらこんなだいじなこと、なんで何もいわないのよ。やっぱりダメ、髪をきったのは先月なのよ。だいいち服がないわ……こんななりでお会いできない!」
カーター副団長にしてみれば、ユーリが研究棟にいるのは当たり前のことなのだが、キラキラ王子様が大好きなアナにとっては、公務にもほとんど顔を出さなかった第一王子が、そんなうらぶれた場所にいるなんて想像もつかない。
「だいじょうぶよ、出発は午後だし、いまからサロンを予約してもまにあうわ。ウポポの散歩と荷づくりは私がするからお母さんはいってきて。服はこないだエルおばさんと食事したときのがあるわよ!」
「そ、そうかしら……」
「そうよ、とりあえずウポポの散歩にいってくるわね!」
メレッタはなんとか母にマウナカイアビーチにいく決意をかためさせると、ウポポを連れてその場を逃げだした。
今回の休暇で母の錬金術師団にたいするイメージがかわれば、錬金術師になることを認めてもらえるかもしれない。いざとなればユーリ先輩が、みずから母を説得してくれるといっていた。
でも自分が錬金術師になりたいか……と聞かれると、自分でもはっきりしない。ネリス師団長やユーリ先輩はかっこいいが、ほかの錬金術師たちは父をふくめ、そこまで印象に残らなかった。
ライガに乗りたい……そのためなら錬金術師団に入団したっていい……これだけはいえた。
午後になり父のクオードが迎えにきたとき、すでにペットのウポポはエルおばさんに預けられ、アナとメレッタの準備は完了していた。
エンツを送ったときの反応から、「あなたひとりで行きなさいよ!」とアナにいわれるかもしれないと覚悟していたが、二人はちゃんとしたくをしていたようだ。メレッタにも送っておいてよかった。
クオード・カーターにはそもそも、「家族旅行をする」という発想がなかった。結婚いらい妻や娘を連れ、どこかにでかけたことなどない。
彼はもともと魔道具師として大きな工房で働いていたのが、たまたま王城に出入りする機会に目にしたグレンの錬金術に惚れこみ、研究棟で助手のような仕事をはじめたのだ。
グレンに認められてようやく彼が錬金術師となったのは、クオードが三十歳近くなってからだった。
必死にグレンの背中を追いかけるように、錬金術師となったクオードは研究にうちこんだ。
魔道具師として働いた経験を活かして、王城の魔道具も頼まれれば修理したし、グレンがほったらかしていた書類仕事も片づけたので、王城の事務部門からは感謝された。
ひたすら努力したからこそ、副団長の地位につけたのだ。王族がでてくれば脇に追いやられてしまうとしても、錬金術師団を切り盛りしているのは自分だという自負もあった。
錬金術師とは家庭をかえりみず研究一筋に生きるのだという彼の思いこみもあり、彼が仕事一筋になったことで、腕のよい魔道具師と結婚したつもりの妻を、おおいに嘆かせたといえる。
あのディアレス師団長に子煩悩な一面があった……などと、ラビルから聞いてもしんじられない。
メレッタの魔力を増やすために娘の成長をとめられるか……と聞かれたら、クオードにはムリだといえよう。
そのメレッタに、「学園を卒業したら家族ででかけることなんて、もうないとおもうの……」と上目遣いでうったえられれば、父として何もしないわけにもいかなかった。
ネリス師団長がことわったら、彼女を悪者にすればいいのだ……そう思ったが願いはあっさりうけいれられた。
クオードにとってもはじめてのことだが、つれだされるアナにとってもはじめてのことだ。アナの緊張ぶりがハンパじゃない。
「どうしましょ、緊張するわ……ねえあなた、私おかしくないかしら?」
「……いつもどおりだと思うが」
クオードとしては「おかしくない、いつもどおりだ」という意味で答えたつもりなのに、そのひとことは見事にアナの地雷を踏みぬいた。
「私……準備に三時間もかけたのだけど……」
サロンにいき髪もととのえ、服だって姉にも娘にもほめられたものを選んだ。お化粧だってねんいりに、ふだんの三倍は時間をかけた。
……その結果が、いつもどおりですって?地をはうようなアナの声に、クオードも過敏に反応する。
「は⁉︎ほめてほしいならそういえ!たいして変わりばえもせんくせに、気合をいれてどうする!」
「あなたにほめてほしいなんて思ってないわよっ。変わりばえがしなくて悪かったわねっ。私だって毎日『きれいだ』『かわいい』ってほめられてたら、もうすこしがんばったわよっ!」
「ほめてほしいなんて思ってない、といったばかりじゃないか!」
「ああもう、でかける前からこんな騒ぎやめてよ!」
メレッタがたまらず悲鳴をあげた。大人二人のおとなげないやり取りが、娘としては見ていられなかった。
急降下したアナの機嫌は、研究棟につき師団長室で生ユーリと対面したとたん急上昇した。
「お目にかかれて光栄です、カーター夫人……副団長にはいつもお世話になっております。職業体験に参加されたメレッタ嬢も、すばらしい活躍でしたよ」
アーネスト国王陛下そっくりの鮮やかな赤い髪と瞳に、リメラ王妃ゆずりの繊細で優しげな面差し……生ユーリのキラキラ王子様スマイルがアナのハートをぶちぬいた。
「まぁ……まぁ……なんてもったいないお言葉……!」
よろめいて失神しそうになるのを、すかさずメレッタがささえる。
「お母さん、しっかりして!」
「そうね……そうね……どうしましょう、私ったら心臓がとまりそう!」
いきててよかった!研究棟でユーリとともに働く夫を、すこし見直してもいいかもしれない……そのぐらいの衝撃だった。
それと同時にアナはさとった。
いまとなっては『美少年ユーリの直筆サイン入りフォト』は、世界で一枚しかないといってもいいぐらいの、貴重なものである……ということを。
(お宝よ……あの『フォト』、とんでもないお宝だわ!)
なにしろ、第一王子の学園時代の姿などは、新聞でも報道されなかった。
ちまたにでまわる国王一家の絵姿は、学園入学前の幼少時にえがかれたものだ。
彼が錬金術師団に入団してから公の場にでたのは、先日の『竜王神事』ときのうの遠征の『出発式』だけだ。
(なんてことでしょ……家に帰ったら、カギのかかる金庫にしまったほうがいいかもしれないわ!)
夫であるクオードはそんなアナの様子を、ポカンとした顔で見おろした。いつも研究棟をちょろちょろしているユーリの顔の、どこがアナの心臓にそれほどの衝撃を与えるのか、彼にはさっぱりわからない。
(王族ならではの衝撃波でも内蔵しているのか?もしやグレン老は……ううむ……ネリア・ネリスだけではなく、ユーリ・ドラビスまで観察対象にせねばならぬとは……)
じとーっとした視線を赤い髪の青年にむけると、視線に気づいた青年のほうもクオードにむかい、にっこりとさわやかな笑みをかえす。
(うそくさい……実にうそくさい……)
クオードが知る限り、ユーリはキラキラ王子様スマイルなど、研究棟では見せたことがない。ネリア・ネリスにたいしてはべつだが……。
そしてさらにアナを喜ばせることがおきた。これまたキラキラした赤い髪と瞳の人物が、さっそうとあらわれたのだ。
「兄上、研究棟にむかったとオーランドに聞いたのだが……うおっ⁉︎」
「んまぁっ、うるわしい殿下がたお二人そろわれるなんて!」
登場するなり旅の荷物に目をまるくしたカディアンを見て、アナが感激しているよこで、ユーリとテルジオは「しまった」という顔をする。
二人は王城には内緒で出発するつもりだった。事後承諾で『海洋生物研究所』にいくつもりのため、いまここでカディアンに騒がれてはまずい。
「カディアン……」
「兄上、どこかにいくのか?」
ヒルシュタッフ宰相が起こした事件のあと、第二王子につけられていた補佐官はすべて入れ替えられた。
あたらしくカディアンについた補佐官はオーランド・ゴールディホーン……ライアスの二つ上の兄で、カディアンの成人とともに、そのまま筆頭補佐官に就任する予定だ。
「しかたない……カディアン、お前もこい。テルジオ、オーランドにはお前からエンツを送れ」
「……承知いたしました」
毒をくらわば皿まで。根回しなしで王城をぬけだすなら一蓮托生なのだ。テルジオが決意をこめてうなずき、メレッタが無邪気にカディアンに話しかけた。
「カディアンも海洋生物研究所にいくの?」
「えっ⁉︎」
かわいいリゾートドレスを着たメレッタに、カディアンが目を白黒させる。ユーリが弟にむかってにっこりと笑った。
「父上には僕からエンツを送る。立太子後はお前といっしょにでかけることもできなくなる……『ゆっくり弟と二人で過ごしたい』といえば何もいわないだろう」
王族はその中心人物となるほど、いっしょには行動しない。暗殺や事故の際にいっぺんにいなくなるのを防ぐためだ。
「兄上と二人で……」
カディアンの顔がじわじわと赤くなった。うれしそうだ。ものすごくうれしそうだ。
「だけど……俺たちが黙ってでかけたら、母上は心配するのでは……」
ようやく事情が飲みこめてきて、それでも心配そうな顔をする弟にむかい、兄が母そっくりといわれる優しげな笑みを浮かべた。
「カディアン……これは僕らなりの〝配慮〟だよ。父上と母上にもたまには子育てからはなれて、夫婦水いらずの時間を過ごしていただこう」
「そ、そうか……そうだな!」
(いや、あのふたりはとっくに子育ての現場からはなれてる。こいつ面倒ごとぜんぶ……父親に押しつけやがった!)
テルジオは王城に残される、ライアスに似て誠実な人柄のオーランドが気の毒になった。けれど兄弟のやりとりにはつっこまず、収納鞄を肩にかけたネリアに声をかけた。
「ネリアさん出発しましょう。『海洋生物研究所』へ!」
ネリアがうなずき、長距離転移魔法陣がまばゆく光ったかと思うと、七人の錬金術師たちとその家族四名、そしてテルジオ補佐官……総勢十二名のすがたはかき消すように師団長室から消えた。
ありがとうございました!









