156.身ひとつで行こう
この156話を書き上げた直後、書籍化の打診をいただきました。
連載開始して5ヵ月……この話を「おもしろい」と読んでくださった皆様のおかげです。
出発式の翌朝、居住区の中庭ではいつもどおりの朝がはじまっていた。
わたしはみんなに甘やかされ何もするなといわれて、きょうもおとなしくテーブルのはしに座っている。
ソラがみんなにお茶をはこび、ヴェリガンが自分の畑で採れた新鮮な野菜でつくったサラダをとりわける。
ウブルグはグリドルの火力調節をする魔石を楽しそうにいじっているし、オドゥはスープをよそってくれる。
ヌーメリアとアレクは、ミッラの皮を風の魔法できれいにむく訓練をしている。
「えいっ!」
ビュオオオオオ……ザシュ、ザシュ、ザシュ!
「あ……」
風を刃のように使うのはなかなかむずかしいらしい。うっかりみじん切りになってしまったミッラは、ヨーグルトに混ぜて食べることにした。
簡単な朝食だけれど、みんなが食事を楽しんでいるようすに、わたしはなんだかホッとする。
今朝はなぜだかひさしぶりに、カーター副団長も朝から出勤してどっかりテーブルにすわっていた。
カーター邸の朝ごはんはだいじょうぶかな……と心配したら、副団長がそっと差しだしてきたスタンプカードには、ちゃんと〇が押されていた。
そしてユーリがテーブルの中央でグリドルにむかい、パンケーキを焼く。ちゃっかりとその横に座った筆頭補佐官のテルジオ・アルチニが、感心したようにユーリの手つきをながめている。
「すみませんね、私までごちそうになっちゃって。殿下って……パンケーキ焼けたんですね!」
「テルジオ、お前のぶんは特別に真っ黒に焦がしてやろうか?」
「やだなぁ大人の殿下がそんなこどもっぽいこと……しませんよ、ねぇ?」
そのやりとりにヌーメリアの隣、テルジオとは反対側にすわったアレクが不満そうに口をはさむ。
「僕こどもだけど……パンケーキ焦がさないよ!」
「だよねぇアレク。テルジオおじちゃん、偏見だよねー」
「お、おじちゃん!?」
そんなみんなのやりとりにほっこりしていると、オドゥが眼鏡のブリッジに指をかけ、位置を調整したあと満足そうにうなずいてから話しかけてきた。
「ネリア……遠征隊が出発したし、僕たちも夏休みをとるつもりだよ」
「夏休み……」
「遠征隊が帰ってきたらまた精錬とかで忙しくなるからね、いまのうちにみんなで休みをとろう……って話してたんだよ」
そっか、夏休みか……王都での生活に慣れるのにせいいっぱいで、そこまで気がまわらなかった。
なんだか師団長として、わたし全然ダメダメだ。ひとりになったらゆっくり反省しよう。
「気がきかなくてごめん……みんなゆっくり休んで! ちょっとさびしくなるけど……」
あわててそういったら、オドゥが顔のまえで手を横にふった。
「ちがうちがう、ネリアも休むんだよ」
「わたしも?」
きょとんとして聞き返すと、オドゥがあきれたような顔をした。
「ウブルグが『海洋生物研究所』にいくついでに、みんなで夏休みをとるんだよ。まえからいってたじゃないか!」
「あ……」
そうだった……魔法陣を設置して倒れてしまって、マウナカイアのことはすっかり忘れてしまってた。オドゥは茶目っけたっぷりに、わたしにむかってウィンクをすると明るくいう。
「長距離転移の魔法陣を動かしてもらうから、ネリアは大変でしょ。いくんだったら日帰りじゃなくて、たっぷり遊ぼうよ」
ユーリは美しい所作で切りとったパンケーキを口に運んでいたが、それを聞くとナイフとフォークをおき、横に座るテルジオに話しかける。
「テルジオ」
ユーリが何かいうまえに、彼のお目つけ役をしているテルジオはビシッとはねつけた。
「殿下はダメです。立太子の式典の準備とか、いろいろありますからね。体だってまだ本調子じゃないんですから」
なにしろ王城では第一王子のために、すでに〝立太子の儀〟の準備がはじまっているのだ。ユーリにもテルジオにも、やるべきことが山のようにある。
だがユーリはまったく動じず、さわやかな笑顔でにっこりと笑った。
「なにをいうんだテルジオ、お前もいくんだよ」
「は?」
「僕は本調子じゃないのだから、ララロア医師に海辺での静養をすすめてもらってくれ。それに、僕の体調管理をする者が必要だろう?」
「あのですねぇ」
テルジオが断固拒否しようとしたそのとき、ヌーメリアがわたしに話しかけてきた。
「私も子連れなので、泊まりのほうが楽ですし……ネリア、いいでしょう?」
「ヌ、ヌーメリアさんもいかれるんですか?」
なぜかテルジオの声がうらがえった。ヌーメリアはひきこもりで有名だったから、でかけるのが珍しいのかな。
「ええ……アレクは海をみたことがないというので……このチャンスをのがす手はありませんわ」
「……だそうだよ? このチャンスをのがす手はないとおもうけど」
ユーリはそういいながら、優雅なしぐさでティーカップを口元にはこぶ。それをうらめしそうに見みながら、テルジオはまだためらっていた。
「いや……でも……しかし……」
ヌーメリアはほんとうに楽しみなようすで、さらにわたしに聞いてきた。
「ネリア、マウナカイアビーチでは海にはいるつもりですか?」
「うん、サンゴ礁はあこがれるよね」
ヌーメリアはほほえんだ。
「なら、現地についたら『人魚のドレス』を私といっしょに買いにいきましょう……泳ぐのに必要ですよ」
「殿下……」
何かを決意したテルジオが、キリリとした顔でユーリにむきなおる。
「スケジュール調整は私におまかせください。それと警護の観点から、滞在先はこちらで決めさせていただきます……よろしいですね?」
「まぁ、それぐらいはしかたないか……さすが筆頭補佐官だね」
ユーリはティーカップを持ったまま、いたずらっぽく笑った。
なんだかどんどん話がきまっていく。どうやらわたしが寝こんでいる間に、すでにみんなで相談していたようだ。
「あの、みんなで夏休みをとってもいいの?」
わたしが恐る恐るたずねると、カーター副団長が重々しくうなずいた。
「問題ない。アレクがいいのなら、私もメレッタとアナもつれて家族で参加したいのだが」
「えっ、もちろん大歓迎だよ!」
ウブルグがほむほむとミッラがはいったデザートのヨーグルトに、さらに蜂蜜をかけながらうなずいた。
「ほむ……それならわしらも出発じゃな」
「でも準備とかなにも……」
オドゥは眼鏡の奥から優しくほほえんだ。いつもはうさんくさく見えるその表情も、きょうはなんだか天使にみえる。
「なんにもいらないよ、マウナカイアは世界有数のリゾートだ。なんでもそろってる。身ひとつでいけばいいんだよ」
身ひとつでいけばいい……そうだ、わたし王都にきたときも身ひとつだった。
自分以外、なにも持たない……だから、そのぶん身軽。
そう、どこにでもいける。
「決めるのはネリアだよ。きみが師団長だ。どうする?」
全員の視線がわたしに集中する。わたしは決断した。
「わかった、みんなでいこう!」
中庭に錬金術師たちの歓声があがった。
身ひとつでいいといわれたものの、そう簡単にはいかない。
『海洋生物研究所』には午後に出発することにして、エンツを送ると各自準備にとりかかった。カーター副団長は夫人のアナとメレッタを連れにもどった。
わたしも居住区にもどると、とりあえずいつもの帆布製の収納鞄を取りだしてきて、必要そうなものをぽいぽいと放りこんだ。ソラもやってきて手伝ってくれる。
「ありがとう、ソラ!」
ソラは小さな手で服をたたみながら、わたしの顔をのぞきこんだ。
「ネリア様たのしそうです」
「うん、ちょっとワクワクしてる。でもソラは留守番させちゃうね……ごめんね」
ソラは水色の目をまたたくと、首を小さく横にふった。
「ソラはここを離れませんが、だいじなことは風が教えてくれます。それにネリア様は〝生きて〟います……心の感じるままにおいきください」
師団長室の守護精霊……グレンが体をつくる前からここにいた、コランテトラの木にやどる精霊。
中庭に生えるコランテトラの木を見ると、濃い緑の葉が風にそよいでいた。大地に根をはり、風のささやきに耳をかたむける毎日……わたしが思うよりもずっとソラは自由なのかもしれない。
そんなことを考えながら準備していて、ふとベッド脇の小机においたままの、レオポルドに借りた〝古代文様集〟が目にとまった。部屋で休んでいたときに、暇つぶしに読んでいたものだ。
星の魔力のことを告げなければ、彼とはいまでも普通に話せていたかもしれない。
「ただ話したかっただけなのにな……」
本を手にとり口にだしていうと、つきんと胸の奥が痛む。ふりかえったソラを気にして、わたしはあわてて楽しいことを考えた。そうよ、サンゴ礁がわたしを待っている。
「この本……コピるわけにもいかないし、もっていってすこしずつ書きうつそうかな」
状態保全の術式がほどこされているのを確認して、わたしは本を収納鞄にいれる。これなら汚す心配もないだろう。
「これを返すときは、ちゃんとふつうに話せるようになったらいいな」
悲しいことはいまは考えない。いっぱい笑ってすこし心に余裕ができたら、彼のことを考えよう。
したくが終わって部屋をみまわすと、壁にかけたままのライアスの上着が目にとまる。
もっていくべき……?
『自分を思いだしてほしい』
彼の作戦は成功している。だってたったいま……彼のことを考えたもの。
壁にかかる上着に、わたしはぽすんと額をあてた。わたしの部屋にはない、異質な男性的な香り。
「ずるいなぁ……こんなのわたされたら、待ってなきゃいけないような気になる」
意識するって言葉や態度だけじゃないんだな。存在感、香り、気配……いろんなカタチで、その人はわたしのなかにはいりこもうとする。
もちろん彼には無事でいてほしい。けれどどこかで「待っている」と答えられない自分がいる。
この上着を返すとき、わたしはどんな顔をして彼に返せばいいんだろう。彼をどんなふうに迎えればいいんだろう。
そっとライアスの上着にふれる。すこし硬めの重たい生地は、彼がとても大きな人なのだと実感させる。
「……彼に甘えてすべてを話す? でも、それをしたらダメだよね……」
それをしてしまったら、わたしはもうここにはいられない気がする。彼の表情がくもるところは見たくない。彼に嫌われたくない……と思うぐらいには、わたしは彼のことが好きだ。
まだダメだ……わたしはこの世界でちゃんと生きると決めてない。
『お前はどんなことがあろうとも、生きたいと願え。すこしでも死にたいとか、この場所にいたくないと思えば……この星とお前とのつながりは簡単に切れる』
つながりが切れたらわたしは……。けれどこのことでだれかに気を遣われたくはない。
わたしをこの世界につなぎとめるもの……ひとりぼっちはイヤだからとデーダスをでてきたのに、だれかの手をとるには覚悟が足らなくて。彼のまなざしや言葉の温かさ、それはわたしには心地よいものだけれど。
この世界で必要とされるのは、単純にうれしくて。おいしいものを食べて笑って、毎日をおどろきながら楽しんで。夢であってほしい現実だけれど、それでもわたしはこの世界で息を吸って生きている。
……考えてもしょうがないこと、いま結論がでないことは、とりあえずいま考えなくてもいい。昔、ばっちゃがそういってた。
わたしはひとまず、考えごとを棚あげにすることに決めた。
「ソラ」
「はい、ネリア様」
「この預かったライアスの上着は、だいじなものだからここに置いておくね。わたしが留守のあいだソラが守ってくれる?」
「おまかせください」
身ひとつでいこう。きたときのままに新しいまだ見ぬ世界へ。いまを生きてこの世界を楽しむ……デーダス荒野でそう決めたのだから。
ユーリ・ドラビスは自分のしたくはテルジオにまかせ、ヴェリガンが留守中に植物たちに水やりをするための魔法陣を設置するというので彼を手伝った。
作業をおえてユーリが師団長室にもどると、中庭でオドゥが一羽のカラスをよんでいた。
「オドゥ、使い魔も連れていくんですか?」
オドゥは鞄ひとつで身軽ないでたちだ。そういえばオドゥはふらっと何日も研究棟を留守にすることがよくあった。
「当然さぁ、使い魔だからね……置いていくわけにもいかないし」
オドゥの左腕にとまったカラスがカァと鳴いた。黒くつややかな羽につぶらな黒い瞳……なかなか賢そうなカラスだ。
「ルルゥがユーリのこと、かっこいいってさ」
「それはどうも」
とくに特徴のない中肉中背で平凡な容姿の男……オドゥはいまではユーリと背丈はかわらない。
王都を歩けばたやすくひとびとに紛れこんでしまえるだろう……そこまで考えてユーリはふと気がついた。
(あれ? この感覚……ほかにも……)
近くにいれば強烈な存在感に圧倒されるのに、離れてしまえばたいして印象に残らない。本人はむしろいたって普通だ。
そういう感覚をあたえる人物が、オドゥのほかにもうひとりいる。
(似てる……ネリアに……でもなぜ……)
ユーリがまじまじとオドゥを見ているので、オドゥが「ん?」と首をかしげた。
「どうしたのさユーリ、急に真面目な顔しちゃって」
「オドゥは……」
言葉にならない疑問がユーリのなかをかけめぐる。やさしく細められた深緑の瞳にむかってたずねることができたのは、頭に浮かんだ疑問とはまったく別のことだった。
「オドゥだってネリアを狙っているんじゃないですか?」
オドゥはちょっとおどろいたように目をみひらくと、ユーリの問いにやさしく答える。
「僕? 僕はネリアがだれを好きになろうがかまわないよ……最終的に僕のところへ堕ちてくるならね」
「なっ……!」
絶句したユーリの目線の高さは、いまではオドゥとそう変わらない。
それでもやっぱり、ときに老獪な大人たちさえも手玉にとるほど賢いくせに、どこか世間しらずなこの後輩のことが、オドゥはかわいくてしかたがない。
「ユーリはかわいいなぁ」
オドゥは眼鏡のブリッジに指をあてると、軽くもちあげ人のよさそうな笑みを浮かべた。
「手にいれてしまえば安心だとでも思っているの? ……恋ってのは手にいれたあとのほうがつらいんだよ。不安と嫉妬で気がくるいそうになる」
赤い髪をした青年は一瞬ぼうぜんとしたあと、生来の負けずぎらいの気質で、その赤い瞳に怒りを浮かべた。
「……やっぱりオドゥって最低ですね」
オドゥはこたえたような様子はなく穏やかに笑うだけだ。
「僕には最高のほめことばだね」
「みんな、おまたせー!」
居住区からでてきた、僕のだいすきな女の子が元気よく手をふる。
「オドゥは荷物それだけ?じゃあ出発だね!」
きみがはやく僕のところに堕ちてきたらいいけれど、いまはきみを見ているだけで楽しくてしかたがない。
きみの瞳が僕を映しきみの唇が僕の名を呼ぶ。
それだけで僕がしびれるほどに幸せだなんて。
きみは知らないだろう?
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
オドゥの話も書いたのですが、内容が盛沢山になってしまい、どこに挿入するか考えているうちに終わってしまいました。彼の話はじっくり寝かせてからまた書きます。
 









