123.アイリの決断(ユーリ→アイリ視点)
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ユーリは自分を飲みこもうとする赤い糸を斬りすてては、魔法陣を展開し焼きはらっていくが、細い糸は一本、また一本とユーリの肢体に絡みつきはじめた。
呪いの結界により閉ざされた空間からは、そとへ助けもよべない。閉鎖された場に息苦しさもましたのか、ユーリの顔が苦しげにゆがんだ。
ユーリはさらに魔法陣をはなち、身体強化の呪文をとなえつづけた。それでもやがて赤い糸が彼の全身にからみつき、その動きを完全に封じる。
ユーリの体が膝をつくと同時に、『呪い』はその心臓めがけてはしり、胸をやぶった。糸の赤は『呪い』の色なのか、血の色なのか……ユーリのどくどくと脈うつ心臓に赤い糸が絡みつき、その動きをとめようと糸がうごめく。
だがいくら赤い糸が絡みつこうと、ユーリの心臓の動きがとまることはない。それもそのはずで、痛みにのたうちまわるユーリの首には、グレンとの『契約』の証であるチョーカーははまっていなかった。
「……偽物とはいえ、『自分』が痛めつけられるところを眺めるのはぞっとするな……」
王族に伝わる『身代わり』の幻術に、『呪いの糸』が惑わされているようすを観察しながら、ユーリの指はひたすら魔法陣の構築をつづけていた。ユーリ自身は錬金術師団の特徴的な白いローブに、目くらましの術式をほどこして『呪い』から身を隠している。
『呪い』が遠隔操作だからできたことだ……じきに呪術師もきづくだろうが、時間かせぎにはなった。
あとすこし……魔法陣の最後のピースを埋めさえすれば……もうすこしだ……そうおもったとき突然、喉に灼けるような痛みがはしり、術式を描いていたユーリの動きがとまる。
『呪いの糸』に気づかれたか⁉︎そう思い焦ったが、『呪いの糸』はまだユーリの幻をなぶりつづけている。痛みのもとがグレンとの『契約』の証、鈍い銀色のチョーカーだときづき、ユーリは愕然とした。
確かに、いつはずれてもおかしくない状態だとはいわれていた。だが今でなくとも……もうすこしあとにしてくれ!
「かはっ!」
喉の痛みのせいか、呼吸もうまくすることができなくなった。必死に呼吸してひゅうひゅうと音はすれど、息を吸っている気がしない。
(リーエン……君との『約束』を……果たさせてくれ!)
視界がぼやけてにじむが、なんとか必死に指をのばし、ふるえる手つきでユーリは魔法陣の最後のピースを描きあげる。
そのとたん、『契約』をつかさどる要石……チョーカーのヘッドに埋められていた魔石が砕け散り、グレンのチョーカーがはずれ、ユーリの全身はすさまじい激痛に襲われた。
「うああああっ!」
術者が意識をうしない倒れたことで幻術が消えさり、目標をみうしなった『呪いの糸』が、とまどうようにさまよう。だがすぐに、倒れこんだユーリを見つけた。
糸はこんどこそまっすぐに、ユーリの心臓めがけ、その手をのばした。
ヒルシュタッフ宰相の書斎では、静かになったアイリをほうって、『呪術師』のマグナスは術の完成をいそいだ。いまや禍々しい赤い光をはなつ魔法陣の上を、彼の手からたれた糸が自在にうごめく。
どうすればいい?
悔しさと悲しさで、アイリの紅の瞳から涙があふれる。自分はなにもできず、ここで見守るしかできないのか。
(体を動かすことはできない……けれど涙は流せる……心までは支配されていない……)
マグナスはことが成就したら、アイリの記憶をぬく……といった。このままでは自分はなにもかも忘れて、悲しみにくれるカディアンのもとへむかうことになる。
(まだ……まだよ!『呪い』は成就していない!……なにか……)
『刺繍はね、想いをこめるから、見るひとの心を温めるのですよ』
母を幼くして亡くしたアイリに、刺繍のてほどきをしてくれたのは、行儀作法のマーサ先生だった。
『アイリ様のお母様は亡くなられたけれど……この刺繍をごらんになって?アイリ様のことを思ってひと針ひと針、心をこめて刺された……アイリ様はいまでもお母様の愛につつまれておいでです』
そういってマーサ先生は、母の刺繍したブランケットをひろげてみせてくれた。そう……刺繍は想いをこめてさすもの。
(あの刺繍には、私のカディアンへの想いや、ユーティリス殿下への感謝のきもちが……)
ユーリの命をいまにもおびやかそうとしている糸は、けっして『呪い』なんかじゃない……想い人の兄である彼への感謝とわびと……そして遠慮がちな親愛の情をこめて、アイリがひと針ひと針さしたものだ。
「チッ……めんどうな罠をはって、遠隔で術を完成させねばならぬのはやっかいだな。王城にはいれたのが、小娘の刺した刺繍糸一本だけとは……だが、それで十分だ!」
マグナスは爛々と目を輝かせながら呪詛をとなえつづけ、自在に赤い糸をあやつりながら……やがて獲物をとらえたのかニヤリと笑った。
(……ちがう!けっして『呪い』なんかじゃない!)
『呪術師』とユーリを結びつけているものは、自分がほどこしたあの刺繍だ。あの刺繍だけだ。
(あの男が自分で『想い』をこめたのなら、『呪い』だけど……)
ハンカチに刺繍をしたのは自分だ……その『想い』には、ふたりの王子どちらも呪う気持ちははいっていない。
『俺……ちいさなころからアイリが刺繍しているの、横からながめるのが好きだった』
おさない自分とカディアンを結びつけた刺繍……。そのだいじな刺繍を、『呪いの道具』として使われるなどゆるせない。
「フッ、ハハハハ!エクグラシアの『獅子狩り』がこんなに簡単だとはな!」
手のなかの糸をたぐり寄せ、ひきしぼるようにしながら、呪術師は高笑いをする。どうにかして、あの糸を切ることはできないだろうか……。
『あなたのまっすぐで純粋なおもいが、ふたりの王子に『わが呪い』を届けてくださった』
『呪い』をとどけたのは……私の想い。
ああ、そうか。
糸を切るには。
『想い』を断ち切れば、いいんだ。
アイリは必死に目を凝らした。呪術師の手からたれた赤い糸は、魔法陣をとおしてアイリの刺繍に干渉している。あの魔法陣にふれることができれば、王子たちに渡した刺繍にこめた自分の『想い』までとどくかもしれない。
アイリが力を抜いてへたりこむと、逆に自分を押さえつけていた男達の手から逃れることができた。男達も魔法陣のほうに気をとられ、それ以上押さえこもうとはしなかった。
とはいえ書斎の扉から部屋の中央までは距離があり、アイリが動けばたやすく阻止されるだろう。
アイリはうつむき、表情がマグナスからみえないようにして口のなかで術式を紡ぐ。床におちた自分の長いラベンダー色の髪が目にはいる。
『糸にも髪にも、想いがこめられます……アイリ様の髪はお母様ゆずりですね……きれいに長くのばしましょうね』
マーサ先生にほめられてがんばって伸ばした。うつくしく手いれされた長い髪は、貴族女性の証。ただ長くのばすだけに、どれだけの手間がかかることか……。カディアンにもほめられたことがある。
『アイリの髪ってほんとうにきれいだよな!』
どんな刺繍糸よりも……そういって笑った彼の笑顔をまもるために、いま私ができること。
「さようなら……カディアン」
ちいさな声でつぶやくと、アイリは顔をあげた。
「あなたに主導権はわたさない!あれは、私の刺繍よ!」
アイリの叫びと同時に、ラベンダー色の髪が宙に舞った。
ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!
「なんだと⁉」
アイリの呼びおこしたかまいたちが書斎を吹き荒れ、長く美しかったアイリの髪を切り散らし、散り散りになったアイリのラベンダー色の髪が、魔法陣に降りそそぐ。
それと同時に、マグナスの手から魔法陣に繋がり、ピンと張っていた糸が断ち切られてゆく。マグナスは信じられない……というような顔つきで手にある糸をみおろしたが、魔法陣の上をうごめいていた糸も力をうしない、赤黒くとぐろを巻いたまま動かなくなった。
「貴様っ!よくも私の呪をっ!」
マグナスは憤怒の形相でまっ黒い魔法陣を展開し、床にへたりこむ彼女にむけ呪をはなった。
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