122.オドゥとカディアン(カディアン視点)
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学生たちが帰った研究棟では、ソラがあとかたづけをしていた。カーター副団長は、朝ごはんづくりが日課になってから早く帰るので、きょうもメレッタといっしょに帰っていった。
ウブルグとヴェリガンは、メレッタのライガに壊されたヴェリガンの研究室の壁を修復魔法でなおしていて、アレクとヌーメリアは、居住区で夕飯の準備をしていた。
オドゥ・イグネルは、のんびりと中庭でお茶をのんでいた。
「『手出し無用』っていうから黙ってみてたけどさぁ……ユーリってば無茶しすぎじゃない?わざわざ『呪い』をその身にうけるなんてさ」
ひとりごとのようだが、ちゃんと話し相手がいる。オドゥの使い魔のルルゥ……一羽の黒いカラスが、ガーデンテーブルのはしにとまっている。
そしてもうひとりはカディアン・エクグラシア……オドゥの後輩ユーリ・ドラビスによく似てはいるが、彼よりずっと背がたかく体格もがっしりしている。彼はオドゥにひきとめられ、中庭に残っていたのだ。
「どうしてこんな……」
カディアンは蒼白な顔でテーブルの上に置かれたハンカチを見つめていた。さっき彼が触れたときには、みじんも感じなかった禍々しい気配が、その赤い刺繍からたちのぼっている。
「サルジアの皇帝はこう考えている。地上はすべてわれわれ人のもの……エクグラシアの民は、『竜王』と手を結んだうらぎり者……いつか滅ぼし、ドラゴンを討ちたおし、エクグラシアの大地を『竜王』の支配から解放する……とね」
「それはおかしい!もともとドラゴンたちの『縄張り』だった土地だ。我が祖バルザムが『竜王』とかわした契約は対等なものだ!」
「理由はなんだっていいんだよ……エクグラシアを攻める理由になるならさ。困ったことに豊かなエクグラシアは外からみると宝の山だ」
オドゥはゆっくりと、ティーカップをソーサーにもどした。
「今回のこともサルジアの皇帝にとっちゃ、イタズラをしかけた程度のことさ」
「……どうにか、ならないのか⁉︎」
拳をにぎりしめて、歯をくいしばるようにたずねるカディアンへの、オドゥの返事はそっけないものだった。
「そういわれてもねぇ……呪いはもう発動しちゃっているし、僕はユーリに邪魔するなっていわれているし……研究棟なら、ソラの管轄じゃない?」
オドゥがちょうど中庭に戻ってきたソラを手でさししめすが、ソラはそれに淡々とかえした。
「……ネリア様に関すること以外は、私の感知するところではございません」
「そんな!兄上はエクグラシアの第一王子なんだぞ!」
カディアンが抗議しても、オドゥは肩をすくめただけだった。
「王子のおもりは僕らの仕事じゃない。だいたい『呪い』もだが、職業体験にいろいろなトラブルを持ちこんだのはきみたちだ。本気で錬金術師になる気もないなんて、みなふざけているのか?」
オドゥは冷たく言いすて、眼鏡のブリッジに指をかけると、眼鏡の奥にある深緑の瞳をゆっくりとほそめた。
「そんなっ……」
カディアンは絶望に顔をゆがめた。エクグラシアの誇る魔術師も竜騎士も、いまからでは間に合わない。発動した呪いはいまにもユーリの心臓に届くだろう。
「頼む……呪いは俺が引き受ける!俺はどうなってもいいから兄上を!」
カディアンが必死に懇願しても、オドゥはうるさそうに片手を振った。
「やれやれ……甘ったれな弟を持つとユーリも苦労するよねぇ……そんなだから、今回の騒ぎが起きたっていうのに。なぜユーリがこんな無茶をしたと思う?全部きみのためだ」
「は?……どういうことだ?」
「いいかい?……きみがこのまま成人したとする。きみの気持ちがどうであれ、まわりはきみを王位に就けようとするだろう。とくにヒルシュタッフ宰相はその筆頭だ」
アイリの父親の名がでて、カディアンは唇をかみしめた。言い返さないのは思いあたるところがあるからだろう。
「きみが自分のまわりを御することができなかったら……そいつらがきみを旗印にかかげて暴走したら、その責を負うのは君だ。ユーリに『弟殺し』をさせる気か?」
カディアンは目をみひらいて、オドゥの顔をみかえした。
「だからユーリはきみが卒業するまえの、まだ未成年のうちに決着を急いだんだ。弟を蚊帳の外におき、かばうために。不完全な自分の姿をさらして勝負をかけた」
「俺の……ため……?」
オドゥはテーブルの中央におかれたハンカチをゆびさす。
「それにさ、きみ……さっきからユーリの心配ばかりしているけれど、その刺繍を刺した女の子……アイリのことは心配しないの?」
「……アイリだって心配だが、まず先に兄上を!」
「……それが君の答えなわけね。ふぅん……」
オドゥは自分がかけている眼鏡のブリッジに指をあてズレをなおすと、深緑の瞳でまっすぐにカディアンを見つめてきた。
「ユーリはきみを討たないために、ヒルシュタッフ宰相を討つつもりだ……わかってる?その影響はあの女の子にもおよぶってこと」
ユーリとネリアとカディアンの三人が師団長室で話をしたとき、ユーリは「アイリのことをどう思っている?」とカディアンに聞いてきた。
「あれでは彼女がかわいそうだ……お前のために必死で努力しているのに、なぜ彼女になにも言わない」
カディアンはポツポツと語った。
「小さいときのアイリは……いつもきれいな刺繍糸を持ちあるいていて、俺は、アイリが楽しそうに糸を選んで刺繍をしているところを見るのが好きで、けれど最近は勉強ばかりで理屈っぽくて……なんか話もあわなくて」
「だからお前はこどもだというんだ……」
自身も少年にしか見えないユーリがため息をついて、椅子の背もたれに深く身をあずけた。
「人の本質はそう変わるわけじゃない……アイリは今だって刺繍が好きだろう……けれどアイリはお前より一足先に『大人』になったんだ。自分の役割をみきわめて努力している」
「それはそうだけど!俺は……楽しそうに刺繍糸の色を選んでいるアイリが好きで……小難しい国際経済の本を読んでいるアイリは……苦手なんだ」
ユーリはあきれたようにそっぽを向いた。
「アイリみたいな十六歳の女の子が、好きで国際経済の本を読むか?……すべてお前を支えるためだ……そのありがたみもわからないとは」
カディアンはうつむいた。
「アイリのことはきらいじゃない……だが俺は、兄上より先に相手を決めるつもりはない。最近俺のまわりがみな変なんだ……いくら俺には兄上がいるといっても、まるで俺が王太子になると思っているみたいだ……アイリまで……」
「お前は僕に遠慮しているつもりかもしれないが、お前が『王位』を狙わず動かなければ、お前についた者たちがイライラしはじめる。先回りして動こうとする。おもいあたることがあるはずだ」
カディアンが顔を上げると、ユーリの表情はとても厳しいものだった。
「カディアン、僕は弟のお前がたいせつだ」
「兄上……」
「だからお前を守りたいとおもう。だがアイリ・ヒルシュタッフはいまのところ、宰相の娘でしかない……僕のまもるべき範疇ではない。いいか?彼女を守るとしたら、お前自身がやらなくては」
ユーリの赤い瞳が強い光をたたえて、カディアンをみすえた。
「僕が彼女を守ることはない」
あのときユーリがそういった言葉の意味を、カディアンはいまになってようやく理解できた。
「そんな……俺は……兄上もアイリもたいせつで……まさかこんな」
バシュッ。
カディアンの横できれいに刺繍された赤い糸がはじけとんだ。ただよっていた不穏な気配が薄れていく。
「おや……きみより先に彼女のほうが結論をだしたようだ」
オドゥが眼鏡を指で押さえ、テーブルの上のハンカチをのぞきこむとつぶやく。
「僕は今回なにもしない……けれど、そうだね……ネリアに僕の『使い魔』を見せてあげるといったのを思いだしたよ。いまから飛ばすから、伝言ぐらいは伝えてみるかい?……ね、ルルゥ?」
オドゥが眼鏡をはずすと、オドゥが飼っている使い魔のカラス……ルルゥの目が黒から深緑に色をかえた。
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