116.グレンの『カラス』
ここまで読んでもそうは思えないかもしれませんが、作者は異世界転移(恋愛)ジャンル……しかも大恋愛(!)だと思ってこの小説を書いています。
ヒルシュタッフ宰相の書斎にあらわれたマグナス・ギブスは、ゆるくカールした黒髪と黒い瞳を持つ、三十代なかばの堂々とした男だった。実業家らしく着ているスーツは仕立てのいいものでありながら、どこか野性味をかんじさせる男だ。
「ごぶさたしております、ヒルシュタッフ宰相。お嬢様もすっかりお美しくなられましたな。薄紫の髪に紅色の瞳がうるんで、まるでスターリャの花の精のようだ」
開口一番、愛娘をほめそやしたマグナスに、宰相は眉間にシワをよせ、相手をにらみつけた。
「……娘にはかかわるな」
「もちろんですとも……カディアン殿下をとりこむまでは、お嬢様にはきれいなままでいてもらわなくては。ご安心ください、たいせつにお守りしますよ」
ゆったりと来客用のソファーに座ったマグナス・ギブスは、脚をくみ鷹揚にうけおったが、ヒルシュタッフは背筋が寒くなった。この男に油断は禁物だ。
ヒルシュタッフ宰相から一連の話を聞いたあと、マグナス・ギブスは身をのりだし、脚の上で手を組んだ。
「ふむ……賢くてひと筋縄ではいかない第一王子より、素直な第二王子のほうがあやつりやすい……と。優秀だからこそ殺されるというのは、王族ならではの悲哀ですな」
「そうはいっておらん。カディアン殿下が立太子できるよう助力を……」
「われわれの助力、というのはそういうことです。だがいいでしょう……兄の死という悲劇に見舞われる第二王子をささえ、ゆくゆくは王妃となられるご令嬢の父君として、あなたはこれからも腕をふるわれるといい」
マグナス・ギブスは黒曜石のような瞳をキラリとひからせた。
「六年前にわがサルジアの皇太子殿下がシャングリラ魔術学園に留学中、ユーティリス王子とともに毒に倒れた事件でも、『研究棟』にいたヌーメリア・リコリスの活躍で、そちらの王子は一命をとりとめたが、わが国の皇太子殿下は亡くなられた」
「それは、サルジアでの皇位継承争いがこちらに飛び火しただけで、われわれにはなんの関係も……」
「そのさいには宰相閣下から格別のご配慮をいただいた……いえ、貴殿と縁をむすべたのは、われわれとしても喜ばしい……頼っていただけてうれしいのですよ」
マグナス・ギブスは口の端で弧をえがくと、運ばれてきたティーカップを口元にはこぶが、話の内容はいささか物騒だ。
「そうですな……対価としてわれわれはヌーメリア・リコリスがほしい。彼女を研究棟の地下に押しこめておくなど、もったいない。もちろんしかるべき家の夫人として遇しますよ」
研究棟の地下にひきこもっているのは、彼女の意志なのだが、マグナスは気にしないようだ。
「彼女のような人材は、一族で殺しあうような……われわれの国にこそ必要です。ここ、エクグラシアは平和すぎる」
ゆるくカールした黒髪に黒い瞳をもつ堂々とした男は、まるで恋でもしているかのように、うっとりとした眼差しを空にむけた。ヒルシュタッフ宰相は、不審げな目を男にむける。
マグナス・ギブスという男がみせるヌーメリアへの執着や第一王子にたいする警戒も、六年前からの因縁ゆえだろうか。
「ヌーメリア・リコリスか……縁談をいくつか紛れこませてはいるが、うなずいたためしはないな」
「簡単になびくようでも困る。それに彼女は……まぁ、楽しみは多いほうがいい」
ヒルシュタッフ宰相は、最後のためらいを口にした。目の前に座るこの男が、ソファーからたちあがったら、もう後戻りはできない。
「だが、いまでなくとも……魔術師団や竜騎士団が遠征にでて王都が手薄になってからでもよいのではないか?」
「いまだからですよ……両師団とも、遠征の準備で手いっぱいのはずだ。だいじょうぶ、ちゃんと準備はしております」
男は、ヒルシュタッフ宰相の不安をうちけすように、自信たっぷりにやわらかくほほえんだ。
「それに誤解しないでいただきたい……われわれにとっても貴国との友好関係は大切だ。第一王子は事故で亡くなるのです……そうでしょう?それに閣下のお嬢様はおうつくしい。悲しみにくれる第二王子のお心をなぐさめられますとも」
ここまで話して、マグナス・ギブスはふと思いだしたように口をひらいた。
「だが錬金術師団にはいりこむのは厄介ですな……ヌーメリアもだが、あそこには『カラス』がいたはずだ。いまはどうしていることやら」
「カラス?……なんだそれは」
けげんそうにたずねるヒルシュタッフに、マグナスは意外そうに右の眉を上げた。
「おや、宰相閣下はご存知ない?われわれやその筋のものには有名なのですがね……グレン・ディアレスが『カラス』を飼っていたという話」
「飼っていた?……師団長室のエヴェリグレテリエのことか?」
「人形じゃありません、人間です……男か女かもわかりませんがね、グレンのかわりに何年も素材の調達をうけおってきた子飼いの者がいたはずです。カラスの使い魔をもち、『カラス』とよばれていた」
「そんな者が……いたのか」
そういえば、ユーティリス殿下の騒ぎをおこしたあとのグレンは、デーダスにひきこもりほとんど公に姿を見せなくなった。
錬金術師団のおもな業務はクオード・カーターがとりしきり、予算も押さえていたが、グレンは独自に資金源をもち、素材も調達していたはずだ。
マグナスの話をきくかぎり、デーダスにひきこもったグレンのかわりに素材の調達をおこない、その研究をてつだってきた人間がいることになる。
「やり口はえげつないが、目当ては素材だけだし、『カラス』は金次第で融通がきくところもありましてね……われわれとしてもスカウトしたいぐらいの優秀な人材だとおもったんですが、なにしろ相手も用心ぶかくてね」
錬金術師団は、師団長のネリア・ネリスをいれても総勢七名……人数はすくないが、その活動の多くは謎につつまれている。ヒルシュタッフからみてもだれもが怪しいし、『カラス』がそのなかにいるのかどうかすら判断がつかない。
かわいい娘のアイリを『研究棟』へ職業体験にだすのも不安だったが、アイリから毎日の話をきくかぎりは、楽しそうにすごしているのでほっとしている。
「ネリア・ネリスが『カラス』という可能性は?」
「さぁ……だとしたら、かなり厄介だ。もっともその新師団長についての情報も、われわれにはとんとなくて判断のしようがない。『ネリア・ネリス』の情報もわたしてもらえますかな?」
マグナス・ギブスはゆったりとソファーに座ったまま、口の端をもちあげてほほえんだ。
「へえ!オドゥも使い魔をもっているの?」
師団長室でお茶をしていて、ダルビス学園長の使い魔になった『羽リス』の話から、「使い魔ってどんなの?」とたずねたわたしに、オドゥが「僕ももっているよ~使い魔」と、のんびり教えてくれた。
「大昔の魔女って森の奥にひとり暮らしだったりしてさ、話し相手とかお遣いとかでよく使い魔をつかっていたんだよ……まぁ、使役できるペットみたいなもん?」
使い魔とは、小動物に自分の魔力をあたえて、服従させるものらしい。魔力をあたえることで羽がはえたり、知能がついたり、いろいろな能力を開花させることもあるのだとか。
「グレンは使い魔なんてもっていなかったなぁ」
「魔力を喰うわりに、できるのはお遣いとか見張りぐらいだからねぇ。僕はうっかり死んだ妹の名をつけちゃってさぁ……捨てられなくなっちゃって。ルルゥっていうんだけどね」
頬杖をついたまま眼鏡の奥でさびしそうに笑うオドゥに、わたしはそれ以上きくことができなかった。
ギブス氏は最初は本当にちょい役の油ぎった地方領主の予定でした。
いつの間にかこんなになったのは、『悪い男』も書いてみたかった……からですかねぇ。












