1.その時は、突然に
コミカライズ制作のため全話見直し・改稿中。
渋谷ヒカリエ8F、『渋谷○○書店』にて書籍販売中。
店番の日は展示やポストカードの配布もあります。
【粉雪店番日】
7/17~24、8/8~14
『MAGKAN』様より続報をお待ちください。
「Copyright(C)2020-konayuki粉雪」
『その時』は突然にきた。
グレン・ディアレスという名の老いた錬金術師の家で、居候のわたしは庭にでて洗濯物を干そうとしていた。
いつも通りの淡々とした日常。デーダス荒野を吹く乾いた風が、屋根の上にある風見鶏をユラユラと揺らしている。
季節は夏のはじめで、家のまわりはぐるりと粗末な木の柵で囲われていた。グレンが設置した魔法陣の働きで、デーダス荒野を吹きすさぶ風も、柵の内側ではそよりとやわらぐ。
地面に打ちこんだ杭から家の壁まで、ロープを張っただけの物干し場。庭で小さな菜園を育て、洗濯物を干すのはわたしの日課だ。浄化の魔法も使えるようになったけど、シーツはお日さまの香りがするのが好きだった。
ここは大陸の西、ドラゴンに守護される魔導大国エクグラシア。その王都はシャングリラと呼ばれ、魔導列車のターミナルがある大都市だという。
そこで錬金術師団長を務めているグレンは、なんと三十年前に魔導列車を開発し、天才と呼ばれる当代一の錬金術師だった。その彼も今ではすっかり偏屈で人嫌いな老人として、ここデーダス荒野に引きこもっている。
王都シャングリラから魔導列車で、北西に三日進むとエルリカの街に着く。そこからさらに人里はなれた辺境に、荒野にポツンと建つあばら屋があった。
まわりを見渡しても、地平線までほかに人家は見当たらない。
三年前、まだ高校生だった十七歳の春休み、わたしは友だちと乗った高速バスで事故に巻きこまれ、その衝撃でこの世界へ飛ばされた。大怪我を負ったわたしを助けたのが、荒野にひとり住む錬金術師のグレンだった。
異界から堕ちた娘を助けたのは、偏屈な老錬金術師にとってただの気まぐれか、それとも未知なるモノへの好奇心か。見つけたのが彼じゃなかったら、わたしはきっと荒野でそのまま死んでいた。
彼に保護されたとき、事故のショックでひどく混乱したわたしは、自分の名前すらちゃんと言えなかった。
グレンはそんなわたしを『ネリア・ネリス』と名づける。
治療には医学や薬学だけでなく錬金術も使われた。気づけば長かったわたしの黒髪は、なぜか赤茶けたくせっ毛に変わり、瞳の色も黒ではなく濃い黄緑で、ペリドットのように輝いていた。
ケガが回復するまで彼はつきっきりでわたしの世話をし、辛いリハビリに音をあげると、辛抱強く励ましてくれた。
そうしてデーダスで一年間、わたしは彼の元で治療とリビリを受け、寝たり起きたりの生活を送った。
――この世界はわたしがいた世界じゃない。
その事実はデーダス荒野の空に浮かぶ、ふたつの月が教えてくれた。
――もう帰れない。帰りかたも知らない。
嘆くよりも先に、わたしには覚えなければいけないこと、やらなければいけないことがたくさんあった。
グレンがどこからか調達してきた服はゆるゆるで、わたしの小柄な体に合うように、ヒモを使って調節しないと着られなかった。
赤茶の髪はふわふわしていて、デーダスの風では邪魔になる。とびはねる髪に悪戦苦闘して、わたしはギュギュっと編みこむと、耳の脇でひとつにまとめた。
暖炉のあるリビングから数段上がった中二階、そこがわたしに与えられた部屋だった。壁にかかる小さな丸い鏡を見れば、濃い黄緑の瞳をした小柄な女の子がそこに映る。
鏡に向かって笑いかければ、その子も楽しそうにほほえむ。生き生きとした瞳が光を反射してキラキラと輝く。
(骨格はもとのわたしと変わらないはずだけど……)
鏡に映る彼女には確かにもとの名前より、『ネリア』のほうがふさわしい気がした。明るくて元気な子、きっとそんな感じ。
一年かけて回復すると、デーダス荒野でそのまま二年間、わたしは彼を手伝って錬金術を学んだ。この世界に来て三年たった今、事故当時十七歳だったわたしは二十歳になっていた。
ひさしぶりにグレンは師団長の仕事で王都シャングリラにでかけ、わたしはひとり残されて留守番をしていた。辺境の家はいつも通りの寂れた佇まいで、荒野を吹く乾いた風にギシギシと扉をきしませる。
わたしひとりだから、洗濯物もそれほどない。デーダスを吹く風は冷たいけれど乾燥していて、シーツも干せば半日で乾く。風が強い日は砂埃がきついけど、今日の風は穏やかにそよいでいた。
(洗濯物を干し終えったら昼食を準備して、午後は素材の精錬でもしようかな)
ロープにかけたシーツのシワを伸ばしながら、わたしはそんな事を考えていた。
けれど『その時』は突然にきた。
「!」
首にかけていた護符が、いきなり光を放つ。
二十歳の誕生日にグレンから贈られたもので、そこからどんどん術式が展開し、わたしの周囲に魔法陣がいくつも構築されていく。
発光する首飾りのプレートに、わたしが震える指でふれると、指先に激しい魔素の流れを感じる。同時に荒野の家に仕掛けられた魔法陣も、勝手に動きはじめた。
ヴオオオォ……ン!
「グレン爺っ! なにこれっ!? まさか……!」
わたしは王都にいるはずの、錬金術師の名を呼んだ。
『ネリア、お前に頼みがある』
錬金術師グレンから首飾りを渡されたのは、彼が王都に出発する三ヵ月も前のことだ。それから折にふれ、何度も言い聞かされていた。
『もしもわしが帰ってこなければ、お前はそれをつけて自分で王都へこい』
(でもまさか、その時が今きたというの?)
「グレン!!」
『ネリア、もしも……わしが死ぬようなことがあれば、その時は』
『グレン何言ってんの、縁起でもない。そういうの、死亡フラグって言うんだよ』
そう冗談っぽく返したのに、彼はわたしの言葉など耳に入らないかのように、真剣な顔でさらに言い募った。
『わしはもうそう長くはない。その前に王都に連れていき、お前がひとり立ちできるようにしてやろう』
動きだした魔法陣により、家のあちこちに設置された術式が、わたしの目の前でどんどん色を変え、騒がしい音を立てて書き換わっていく。
それは決して戻らない、不可逆的な書き換えで。あのときグレンが語った言葉が頭をよぎる。
『もう少しだけ待て。ちゃんとお前を王都に連れていく。だがもしもそのような時がくれば……』
心の準備はできていたはずなのに、突然起こった現象に体を流れる魔素が反応し、わたしの全身はカアッと熱くなる。
めまいがして寒気もするから、熱がでたかもしれない。震える腕で洗濯物のカゴを持ちあげると、わたしはよろけて足元がふらつく。
なんとか戸口にたどり着いて、家に入ろうとするとドアがひとりでに開いた。
ガタついてペンキが剥げかけたあばら屋には、そぐわないほどの立派な金文字があらわれて、炎が走るようにさっと光る。火の粉みたいに輝く魔素が散った。
──家の権限を変更。〝グレン・ディアレス〟から〝ネリア・ネリス〟に──
その字が跡形もなく、扉の上からふっと消えた瞬間、わたしは唐突に実感した。グレンは死んだ。
(あぁ、グレンはもういない。いなくなったんだ……)
『自分で王都へこい。ネリア、お前にこの家も、わしが錬金術師として築いた長年の研究も……称号も、すべてを』
(グレン……どうして。まだ時間はあるんじゃなかったの?)
『すべてを譲る。だからそのかわりに……頼まれてくれるか?』
ボサボサの銀髪に、くすんだヨレヨレの白いローブ。デーダスの地下にある工房を、猫背でせかせかと歩き回っていた老錬金術師グレン・ディアレス。
ミストグレーの瞳で鋭く事象をつぶさに観察して検証する……研究にかける情熱は年老いてなお衰えなかった。大怪我をしたわたしを助けてくれた恩人の頼みであれば、すでに心は決まっていた。
(いかなきゃ……王都シャングリラに!)
わたしは洗濯カゴを床に置くとグレンの書斎に向かう。
資料や本が山積みになっているのは、机の上だけではない。わたしは床に積み上がった山を崩さないよう気をつけて、かきわけるように書斎の中央に進む。
──資料庫の権限を〝ネリア・ネリス〟に。──
──地下研究室、及び工房の権限を〝ネリア・ネリス〟に。──
すべての権限が委譲されたのを確認して、わたしはこの世界では誰も知らない自分の……生まれたときに両親がくれた本当の名前をつぶやく。
「─────」
なぜだろう、ひさしぶりに聞いた自分の名前に、涙がでそうになる。
──封印の呪文を変更しました。──
権限を委譲するために彼が仕掛けた魔法陣は、役目を終えるとすべてが光を失い、家はまた元通り静かになる。
デーダスを吹く風がガタガタと、窓ガラスを揺らす音がするだけだ。
そして辺境にぽつねんと建てられた、老いた錬金術師のわびしい住まいは、ただの居候だったわたしの物になった。
王都シャングリラにある錬金術師団の本拠地は『研究棟』と呼ばれている。
どんなところかは知らないけれど、師団長だったグレンの家はそこにもあるらしい。
(まずは王都に行ってグレンの死を確認しないと。それにしても……聞いていたより早すぎる)
心臓の魔石化が緩やかに進行し、残された寿命がそう長くないことも彼は知っていた。だから来月の〝竜王神事〟までには、わたしを王都に連れていき、自立するのを見守るという約束だった。
(グレンはでかけるとき『準備をしておく』と言っていたのに……いったい何があったんだろう)
この世界にきて三年、はじめて荒野の家を離れると思うと、心臓の鼓動がさらに早くなって体の震えも止まらない。それでも階段を上がって自分の部屋へ行き、荷造りをはじめる。
いちどだけグレンが一番近くにあるエルリカの街に、転移で連れていってくれたけれど、着いた瞬間ひどい転移酔いで倒れてしまった。
(わたしは転移を使えないし、グレンの迎えもない。自力でここからでなきゃ……)
用意ができたらこの家を封じて王都に向かう。偉い錬金術師団長だったといグレン・ディアレス、彼が建てたこの家には数多くの貴重な資料や、素材が保管してある。
留守にするのは不安だけれど、今はそうも言っていられない。
(偏屈なお爺さんだったけど、グレンとの暮らしはわりと楽しかったな)
鼻の奥がつん、とした。ひとりぼっちは嫌だ。彼がいたからつらいリハビリにも耐えたし、何もない荒野での不自由な暮らしも楽しめた。
わたしにとっては名付け親であり、庇護者にして後見人。この世界にきたばかりで何の知識もないわたしに、さまざまな知識を与えてくれた錬金術の師でもある。
本や資料が山積みの書斎、暖炉の前に置かれた安楽椅子、使っていた皿やコップ、クローゼットにかかったままの、ヨレヨレのくたびれた白いローブ。
主を失ったこのデーダスの家には、グレンの痕跡がそこかしこに残されているのに、彼はすでにこの世にいない。
今度こそ本当に自分は異世界でひとりぼっちだ。王都にでて自活していく道を探さないと。それもなるべく早く。
書斎の中央に立ち、わたしは壁に向かってひとりごちる。
「わたしは『ネリア・ネリス』、職業は錬金術師……かな?」
錬金術師グレン・ディアレス……気難しく人嫌いで、人前では決して仮面を外さなかった偏屈な老人。
日常のささいなことでケンカして何度も言い争った。だけどどこか不器用で優しいところもあった人。三年も一緒に暮らしたのに、わたしは彼のことをあまり知らない。
(王都にいけば彼のことも……何かわかるかもしれない)
王都の錬金術師団で師団長をしていた偉い人物が、どうしてこんな人里離れた場所に一軒家を建てて、ひとりで住んでいたんだろう。
書斎の壁にはグレンがつけていた白い仮面がかかっていた。
無機質な白い仮面は錬金術を使うとき、顔を保護する魔道具でもある。わたしはそれに手を乗ばす。
デーダスの家と地下の工房、錬金術師の肩書き……。
「どうせ引き継ぐんだもの、仮面ももらっていくね」
わたしは壁からグレンの仮面をはずし、自分の顔にそっとかぶせた。
本編の他に設定やキャラクターのこぼれ話等は、【魔術師の杖シリーズ】からお読みください。
表紙と挿絵担当のよろづ先生より1巻発売記念イラストを描いて頂きました!
よろづ先生が描いて下さった2025年賀イラスト!
シリーズをここまで続けられたのも、先生の素晴らしいイラストのおかげです。
本当にありがとうございます!
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中古品が市場に出ることはあまりなく、稀少本扱いで高値がつくことがあるためご注意を。