【 閑話 】 ある修道女の記憶 ②
王都から第二王子殿下と新しい婚約者の絵姿が回ってきたのは、●●●様が目を覚ますのと同じころだった。
さぞ美しい人だろうと期待していた修道女たちは、新しい婚約者が●●●様と比べてごくごく普通の少女だったことに落胆した。
だが、侯爵令嬢という肩書とあまりにも美しい●●●様より、男爵令嬢でごく普通の容姿の少女の方が自分たちに近いと感じたのだろう。修道女たちはまた手のひらを返した。
自分たちに似た身分の低い女性が、何もかも持っている貴族令嬢によって不当な扱いを受けたという、世の中の噂を支持することにしたようだった。
私は●●●様に何の感情もないはずだった。
どちらかといえば同情的だった、と思う。
●●●様が目を覚ました、と●●●様の面倒を見ていた修道女たちが迎えに来た時まで、そう思っていた。
年を取って屋根裏に登るのは一苦労だが、ようやく●●●様に与えた部屋までたどり着き、その姿を見た瞬間、私は私を捨てた男とその愛人を思い出していた。
●●●様の瞳が、愛人のそれによく似ていたのだ。
「●●●様」
自分が思うより冷たい声が出た。
ベッドの上で●●●様が身じろぎし、私を見た。
その目が涙で赤くなっているのに気付きながらも、その体はまだ満身創痍だと知っていながら、起き上がろうともしないで、と無理なことを考える。
「ここはイスタルト領のカミラ修道院です。私はこの修道院の院長でサリーです。●●●様は殿下への不敬があったということで、こちらに送られました」
●●●様が何か言いかけてやめた。
「熱が高く意識もなく、右手に怪我を負われていた状態でしたので、こちらで治療をさせていただきました。少し時間がたっていたため右手の方は元のように動かすことは難しいと思われます」
●●●様は黙ってそれを聞いていたが、布団のなかで手が動いているのが分かる。
「何か言いたいことはありますか?」
「……」
●●●様は何か言うように口を動かしたが、聞こえたのは息遣いだけ。
あの熱に長く侵されたのだ。
「ああ、声が出ないのですね」
そう言うと、●●●様は頷いた。その表情になんの驚きもなかった。
それがまた気に障る。
私は自分が意地悪い言葉を言おうとしていると気が付いていた。
だから、ことさら慈悲深い表情をつくった。
「神は貴方に言いわけをせずに生きろと言われているのです。報復などに心をとらわれず、ここに送られた意味を考え、その涙を忘れずご奉仕をすれば、きっと神もお許しくださるでしょう」
何故そんなことを言ったのか、自分でも分からない。
暫くして、●●●様は修道女に交じり生活を始めた。
最初は片手でできることをと考えたが、他の修道女たちからの風当たりが強いことを思うとあまりひいきもできない。
とりあえず修道院に入ったものが最初に覚える仕事を与えてみた。
大した仕事ではないが、貴族の令嬢であれば嫌がるような下働きだ。
しかし●●●様は、顔色一つ変えずにこなしていく。
それどころか、てこずるのは最初だけで、片手、しかも利き腕ではない方しか使えないと言うのに、見る間にコツを覚え他の修道女より早く仕事をこなすようになった。
誰よりも美しく優雅な動きで、何をやらせても完璧に修道院内を動く●●●様に修道女たちはさらに苛立っていく。
その苛立ちは、最初は言葉で、次第に行動となって現れた。
しかし、●●●様は何をされても無表情で受け流してしまう。
あまりにひどくなればそれとなく注意したが、止めようとはしなかった。
毎日●●●様を見ていれば、彼女が真面目で慎ましいことはすぐに分かった。
纏う空気はいつも清廉で、穏やかで、思慮深い。
感情のない表情も瞳もまっすぐで、噂のような悪女じゃないと思わせるには充分だった。
充分だったが、その完璧さがかえって不安を呼んでいた。
悪女の噂とのギャップが、●●●様を異質なものとしていたのだ。
●●●様の声が出ればまた違っていたかもしれない。
もしくは、私が●●●様の噂の真偽を確かめればよかったのだ。
だが、その頃には私も修道女たちと同じく、●●●様が噂のような悪女であると思い込んでいた。いや、思いこもうとしていた。
その時は何故か分からなかったが、今なら分かる。
こんなに美しく正しい者が、こんな風に裏切られるとは思いたくなかったのだ。
そして、その時はやってきた。
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