【 1 】
クローディア・レイスタンスは、俺、ボールウィン王国第二王子・エリックの婚約者だ。
レイスタンス侯爵家の長女で、これといった特徴はない。
ただ、他の女たちのように俺を追いかけてこないし、何かをねだることもない、立場を良くわきまえた素晴らしい女だと思う。
婚約したのは5年前、3歳離れた兄・クリストファーの婚約者を決める時、早い方がいいとついでに決められた。
一応お披露目兼お見合いのお茶会が開かれ、国内の年頃の女子が集められた。
俺と同じくらいの年の令嬢たちと簡単な顔合わせをし、どの子がいいかと聞かれたので、自分に寄ってこなかった女の中から、一番綺麗だと思ったのを選んだ。
まさか、そのまま婚約者になるとは思わなかった、というのもある。
そんなだから、婚約者ではあるが、王家の行事で年に何度か顔を合わすだけの間柄。
その婚約者である《俺の姿をしたクローディア》とクローディアの姿をした俺は、夜会会場に近い応接室で今、向かい合って座っている。
「これは、いったいどういうことでしょう?」
《俺》のものとは思えないくらい弱々しい声で、《俺》が困ったように眉を寄せた。
今日は王家主催の夜会の日だ。
会場入りとファーストダンスは婚約者の務めなので、クローディアと会場入り口で待ち合わせをしていた。
いつも通り、入場時間少し前くらいにクローディアは現れ、さあ行こうと言うところで、何かが起こったようだ。
運よく先触れの前で、近くにいた者も少なかったので、騒ぎにはなっていない。
意識を失った《俺》がジークハルトに横抱きで運ばれのを見て、俺が微妙なショックを受けた以外は、その場での大きな問題はなかった。
「………お前は本当にクローディアなのか?」
「はい、クローディアです」
おそるおそる聞いた俺に、《俺》が泣きそうな顔をする。
「魔術、でしょうか?」
《俺》の後ろからジークハルトがそう聞いてきた。
その目は俺を見ている。
「お前は信じるのか? 俺と、クローディアが入れ替わったこと」
「殿下の気配をクローディア様から感じます。とても妙な感じですが」
「だから、魔術か。……だが、魔術、ではないんじゃないか。王宮内での魔法関係は使えないようになっているはずだし、もしそうなら宮廷魔術師たちがもう騒いでいるだろう」
「そうですね、一応あちらには連絡しましたが、確かに落ち着いた対応でした。もう少ししたら誰かをよこすと言ってはいましたが、あまり真剣な様子ではなかったですね」
そりゃそうだろう、俺だって目の前に《俺》がいなきゃ、なんの冗談かと思う、というかまだ信じられない。
そして、ジークハルトがこの状態を、思ったより受け入れているのも驚きだ。
「すまないが、もう少しこう普通にしてもらえるとありがたいんだが……」
目の前の《俺》が、肩をすくめ祈るように指を胸の前で組み、俺とジークハルトを見比べている。そのしぐさはたぶんかわいい筈なんだが、俺の姿ではできれば見たくない部類のものだ。
「すみません、私、男性になったことがなくて」
俺の言葉に《俺》がさらに小さくなる。
その顔、やめてくれ。
心の中でそう叫ぶ。
「ほら、よく俺を思い出して、俺っぽくふるまってくれれば、俺じゃなくても誰か男の人を…」
「すみません、私、その普段のエリック殿下のことよく存じ上げなくて………それに、男性ってあまりよく見たことがないのです。なので、その、すみ、ま、せん」
本当に申し訳なそうに、声まで小さくなっていく。
そうだよな。俺を追いかけないって、俺に興味ないってことだもんな。
突きつけられる現実に、だんだん自分の言ったことに辛くなる。
「……いや。それならいいんだ」
ため息をつきながら、ソファーに深く座り直すと同時に、ドアの前に待機していた護衛の一人が顔を出した。
「失礼します。クローディア様の侍女がいらっしゃいました。お通ししてもよろしいでしょうか」
ジークハルトがうなずくと、後宮専用制服姿の女が一人入ってきた。
「お嬢様! お倒れになったそうですが、一体何があったのですか!」
俺を見つけると同時に走り寄り、俺の手や足や体をベタベタ触りながらそう叫ぶ。
「お怪我はありませんか? どこか具合の悪いところは?」
「いや、俺は、大丈夫だ」
その行動に驚きながらも応える。
「俺? だ?」
侍女が、顔をしかめて俺を見上げる。
その目が厳しい。
「お嬢様、お言葉が」
「マリー、あのね」
見かねたのか、《俺》がおずおずと侍女に声をかけた。
マリーと呼ばれた侍女は、敵を見るように《俺》を睨みつける。
「何故、殿下が私などの名前を知っていらっしゃるのですか?」
「それは、あのね、マリー、落ち着いて聞いてほしいのだけど、今あなたの前にいるのがエリック殿下で、私がクローディアなの」
飛びかからんばかりの勢いのマリーを両手で制しながら、《俺》がゆったりとした声でそう告げる。
「はい? え? はい?」
「だからね、マリー。私と、殿下が、入れ替わっちゃったみたいなのよ」
《俺》がそう、首をかしげながらもう一度繰り返す。
「またまた、御冗談を。お嬢様はいつの間にマリーを担ぐほど、殿下とお近づきになったのですか? そんなばかばかしい話に、このマリーが騙されるとお思いですか?」
マリーはカラカラとそう笑い声をあげた。
俺と《俺》は、困ったようにマリーを見つめる。
「マリー、信じられないと思うけど、本当なの」
《俺》がもう一度そう言うと、マリーは視線をさまよわせた後、《俺》の後ろにいるジークハルトを見た。
ジークハルトは大きく頷く。
マリーは俺と《俺》をもう一度見比べて、口をパクパクさせた後、そのまま後ろ向きに倒れた。
「そうだよな。普通、そうだよな」
俺はため息を吐きながら一人うなずき、倒れたマリーをソファーに引き上げた。
いや、引き上げようとしたが、クローディアの手は力がなさ過ぎて無理だった。見かねたジークハルトが、侍女と言えど勝手に女性に手を触れるのは良くないとかなんとか言いながら手伝ってくれた。
「すみません、ありがとうございます」
ほっとしたように《俺》が頭を下げる。
おい、勝手に礼を言うな。頭を下げるな。
「マリーは子供のころから私の側にいてくれた侍女なので、私に何かあると大変なんです。それに、ちょっと変わったことが起きると、後先考えなられなくなると言うか……いっぱいいっぱいになっちゃうというか。本当に、すみません」
《俺》がそう安堵した表情でマリーを見つめ、その侍女のためにまた頭を下げた。そして、
「こんなことなら、呼ばなければよかったですね……」
と頬に手を当てため息をついた。
でも、大分落ち着いたのだろう。さっきまでの、そわそわした感じが無くなっている。
心配そうに暫くマリーを見つめた後、《俺》は俺へ視線を向け、
「それで、どうしましょう?」
そう首を傾げる。
俺も思わず首を傾げる。
「パーティーです。このまま顔を出さないわけにも行きませんよね」
マリーのせいですっかり忘れていた夜会のことを思い出す。
「あぁ、そうだな。そうだよな」
「あの、殿下がよろしければ、この件はとりあえず入場して、その後でまた考えませんか?」
急にもじもじしながら《俺》が、何故かジークハルトを見上げた。
なんだろう、あの目。
なんか乙女の目だ。
ジークハルトもいつの間にか笑顔で、《俺》を見ている。
なんか、ヤダ。コワイ。
「そうですね。ですが、大丈夫ですか? 殿下のようにふるまえますか?」
「ハイ、がんばります」
ふわっと《俺》がほほ笑む。
なんだろう、違う。
そこまで意識したことないけど。そんなのたぶん、俺じゃない。
《俺》のしぐさにおびえている俺をよそに、話は勝手にまとまったらしい。
「殿下、殿下もです。クローディア様は女性です。言葉遣いもですが、その足を大きく開くのもおやめください。殿下もできますか?」
「え、あ、ハイ、がんばります」
ジークハルトのいざという時の有無を言わさぬ声と眼光に、俺は膝をそろえて頷くしかなかった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
不定期更新になりますが、
次話も、よろしくお願いします。