【 15 】
それは偶然だったのか。
いつものように俺は生徒会室にいた。
一仕事終えた目を休めようと、いつものように中庭を見下すと、比較的大きな木の陰に立ち辺りをうかがっている女生徒の制服が見えた。
「あれは、キャシー?」
いつもならヒューたちが一緒にいるはずなのに珍しく彼らの姿も、辺りに他の生徒の気配もない。
「何をやっているんだ? 今はダンスの時間だよな」
俺もクローディアも最終学年になってダンスの授業は免除となった。俺はその時間を使って生徒会の仕事を、クローディアは視察がなければ学長やら教師やらの講義を受ける事になっている。
ついこの間まで知らなかったが、クローディアの講義は、俺がクローディアに護衛をつけなかったのを問題視した学園側がとった苦肉の策で、クローディアが入学してからずっと行われていたと言う。
最近はそんなことばかりで……本当に恥ずかしい……。
だけれど、そのおかげでクローディアがいらぬ疑いをかけられずに済んでいるのは、間違いない。
それと言うのも、クローディアが登校する時に限って、キャシーに問題が起こるのだ。それこそ、教科書を破られたり、物がなくなったりと言うものだ。
ヒューたちはクローディアがやっていると言うけれど、流石に学長や教師がクローディアと一緒にいたと証明するのでそれ以上の追及が出来ないようだ。
「……あれは」
キャシーが木の陰から伸びあがった。
視線はダンスの授業が行われている講堂の方へ向いている。
俺もそちら側を見るとクローディアが歩いてくるところだった。
―――――こっちに来たら駄目だ!
長い髪を揺らして、優雅に歩んでくるクローディアに向かって俺は心の中でそう叫ぶ。
こっちにはどう見てもクローディアを狙っているキャシーがいる。
他に生徒がいないとはいえ、どう見ても何かを企んでいるキャシーの側に来るのは得策ではないだろう。
手を振ったり、祈ったり、とにかく気がついてもらおうとしたけれど、クローディアにはまっすぐキャシーのいる場所に近付いてくる。
―――――こうなったら、よし、窓を開けよう……
そう思って鍵に手をかけようと手を伸ばす。
しかし、キャシーが木の影から飛び出し、クローディアに駆けて行く方が早かった。
「あ!」
慌てて窓に張り付き二人の方を見ると、キャシーは予想に反してクローディアの前でぴたりと止まった。
――――あれ?
腕を組んで仁王立ちするキャシーと、同じように足を止め綺麗な姿勢で向かい合うクローディア。
キャシーの表情は見えないが、クローディアは不思議そうに首を傾げ、時折眉を寄せている。唇は動いていないから、話しているのはキャシーの方なのだろう。
暫くそんなキャシーを見つめていたクローディアが首を振った。
キャシーが腕組みを解き、今度は身振り手振りを加えて話しているようだ。
クローディアはまた長くキャシーの話を黙って聞いていた。
そして、酷く困惑したクローディアが、ようやく口を開いたのが見えた。
『そのようなことはできません』
しっかり、はっきりと綺麗な唇が言葉を紡ぐ。
その途端、キャシーが右手を振り上げた。
―――――殴るつもりか!?
ヒッと息を吸い込みクローディアを見ると、彼女はキャシーに見せつけるような大きな動きで、ゆっくりとこちらに視線を向けた。
キャシーはその視線を追ったのだろう。
手を振り上げたまま、訝しげに俺のいる方を見上げた。
そして、凶悪に歪んだ瞳が俺をとらえる。
一瞬にして、表情が崩れた。
瞠られた目が驚きと、困惑、そして動揺を浮かべる。
俺が茫然とその姿を見つめていると、キャシーは明らかに失敗したと言う顔色になり振りあげた手がゆっくりと降りて行く。
声をかけられたのか首だけクローディアの方へ向け、びくりと体を揺らすと、そのままクローディアが来た道を走り去る。
クローディアもすぐに振り返り、その背中を見送っていた。
「クローディア」
俺はすぐに生徒会室を出て、クローディアのいる中庭へ走った。
クローディアはゆったりとした足取りで、中庭を生徒会室の窓辺まで歩いてきていた。
「殿下」
クローディアが軽く頭を下げる。
「大丈夫だったか?」
「はい」
「何を言われていたんだ? それは出来ない、と言っていたように見えたが」
「はい、そう言いました」
俺が尋ねると、クローディアは首を傾げた。
「一体何が出来ないんだ?」
「それが、よく分からないのです」
「分からない?」
「はい、なんとか理解しようとしたのですが……私には何をおっしゃっているのか分からなくて……ただ」
「……ただ?」
「殿下との婚約を解消してほしい、と」
「婚約を解消? なんだそれは」
「えぇ、それだけはなんとか分かりましたから、それは出来ないと言ったのです。それは私が決めることではありませんから……」
クローディアはそう顔をしかめた。
その通りだ。
クローディアがどうにか出来ることではない。もちろん、俺にもだが……
「それに怒って、彼女は手を振り上げたのか?」
「……」
クローディアは困ったように黙り込んでしまった。
「クローディアはどうしてここに?」
「それは……」
いいかけて、また止める。
「クローディア?」
「それが……こんなものが机の中に入っていたので……」
そう言ってスカートのポケットから出てきたのは、一枚の紙だった。
「これは……」
丁寧に折りたたまれたそれを広げると、銀の縁取りがされた便箋だと分かった。
厚手で手触りのよいこの紙は王族御用達の特注品だ。
上部の中央をよく見れば、俺の使っている印が型押しされている。
「何故これが……」
戸惑いながら文章を読むと、文は至ってシンプルだった。
“中庭に来られたし”と言う一文と時間、それにエリックと言うサイン。
だがその文字は俺の物じゃない。
何と言うか、かわいらしい文字だ。
「……それでクローディアはここに来たのか」
「はい。殿下の字ではありませんでしたから、不思議に思ったのですが……」
アレイン様でしたわね、とクローディアはほんわりとほほ笑んだ。
いや、それはあまりに危機感がないだろう。
「これは俺が預かってもいいか?」
「はい、どうぞ」
「次こんなものを貰ったら、必ず報告してくれ」
頷くのを確かめて、俺は便箋を折りたたんだ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
不定期更新になりますが、
次話も、よろしくお願いします。




