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初めてのキス

 リネーレ大陸には、アヴェリア山脈を源流とする大河ティーヴァが、大陸を縦断するように流れている。

 カミーユは国から逃亡し、ティーヴァに沿って五日を掛けてテスタリオまで辿り着いたという。


 パラディーの現在の国王は、共和国との共存路線を選んだが、王に仕える貴族たちの中には反共和国の声も高く、中でも国の最有力貴族であるジョフロワ・ユメルはその筆頭だという。ユメル家は王国に多額の研究費用を提供していて、それはすべて対共和国の武力研究に使われているのだという。


 その研究が実を結んで、できたのが魔力吸収の魔具だった。

 実験台にされたのが、国王派のカミーユだったというわけだ。そうは見えなかったが、カミーユはパラディーで代々続く名家ヴィルシェーズ家の出身なのだそうだ。


 騙されて捕らわれ、魔力の殆ど全てを魔具に吸収された後、狼型のまま意識を失ったカミーユは、死んだと思われてぼろ雑巾のように捨てられたのだという。

 山中で雑に埋められたカミーユは、すぐに意識を取り戻して柔らかい土を掻き分けてそこを這い出した。雑に埋められたせいで、浅い位置だったのが幸いしたらしい。

 もし生きていることが知られたら、口封じにもう一度存在を抹殺される可能性がある。二度殺されるのはごめんだと、カミーユは心底嫌な顔をした。


 カミーユの話が本当なら、恐ろしいことだ。その魔具が実用化されれば、共和国にとって、いや大陸すべての他の生物にとって、かつてない脅威になる。火器に魔力が装填されれば、戦争の方法は一変するだろう。


 思った以上の重い話に、ジェニーは眠れぬ夜を過ごした。ようやく寝付いたのは、深夜をすっかり過ぎてのことだった。


 いつもより短い睡眠時間のせいで、夜が明けて金属音を響かせるように時計が鳴っても、ジェニーはしばらくそれを止めることができなかった。

 のろのろと緩慢な動きで時計をサイドテーブルから払い落すと、ようやく耳障りな音が止まった。


 どういうわけか、いつもより体が重い。違和感を感じて身をよじると、ジェニーは一気に覚醒した。

 逞しい腕が、ジェニーの体に巻き付いていた。アッシュブロンドの男は、気持ちが良さそうに眠っている。


「な、な、な」


 声が震えて言葉にならない。焦って腕の中から抜け出すように上体を起こせば、カミーユが目を覚ました。


「何してるのよ!」


 ジェニーの隣で同じく上体を起こしたカミーユは、呑気に欠伸を噛み殺している。


「……おはよ、ジェニー」

「おはよう、じゃない! 何なの、何でここにいるの!?」

「何でって、ベッドが一つだったから」

「このベッドは、私が寝る場所! ソファで寝ろって、昨日そう言ったでしょ!」


 昨晩ベッドルームに入る前に、ジェニーは確かに言ったのだ。リビングのソファで眠るようにと。


「えー。あのソファ、小さくて足が出るからさ」

「そ――」


 そういう問題じゃなくて。という声は言葉にならなかった。ジェニーは項垂れる。起き抜けに大声を上げたせいで、頭がくらくらとした。

 どうしてこんな状況に。カミーユに魔力が無いせいで、まったく気配を感じなかった。いや、そうでなくても、朝まで気がつかないというのは問題がある。ジェニーは自分のあまりの鈍感さに内心でショックを受けていた。さすがに何かされた様子はないが。


「……もう、いい」

「そう?」

「今日からは私がソファで寝る」

「ええー。家主を追い出すのは心が痛む」

「誰のせいよ!」


 顔を上げて声を荒げたジェニーに、カミーユは相変わらずの笑顔だ。


「一緒に寝ようよ、御主人様。狼型でもいいからさ」

「あーもう、うるさい!」


 きいっと甲高い声でカミーユを振り払って、ジェニーはベッドを抜け出ようとする。

 と、カミーユに腕を掴まれて引き留められた。


「待って」

「……何なの。これ以上怒らせたら容赦しないわよ」


 きつい眼差しを向けても、カミーユはびくともしない。


「一緒に寝て分かったんだけどさ」

「そういうこと言うの、止めて」

「魔力を取り戻す方法が分かった気がする」


 その言葉に、腕を振り払おうとしていたジェニーは思わず大人しくなる。


「……どういうこと?」

「あのさ、君にくっついてたら、不思議と体が楽になったんだ」

「……はあ?」

「だからさ、君の魔力って多すぎて、漏れ出てるんじゃない?」

「そんなわけないでしょ。だとしても、それであなたが楽になるわけがないじゃない。私の魔力を受取ったとでも言いたいの?」

「うん」

「…………」


 そんな馬鹿な。とは思うが、調べたことがないので完全に否定ができない。

 怪訝な表情をしていると、カミーユは何故だか嬉しそうに瞳を輝かせている。


「……何よ」


 嫌な予感がする。ジェニーは眉間の皺を深くした。

 それにはお構いなしにカミーユは、ぐっと体を近づけてくる。


「魔力、分けてよ」

「……どうやって」

「とりあえず、キスで試す」

「…………」


 ジェニーは今度こそ本気でカミーユの手を振り払った。


「馬鹿じゃないの? 何でそんなこと」

「何でって、俺を助けるため」

「私には試すメリットが全く無い」

「あるよ。元に戻れたら、ここから出ていく」

「…………」


 ジェニーは目の前まで迫ったカミーユをまじまじと見て考える。パラディーの件が解決するまでは、とりあえず目を離すわけにはいかない。でもその後まで、居座られたら困る。


 そもそも、とジェニーは思い直す。カミーユがこんな調子だから悲壮感が無いけれど、今まで持っていた魔力を失うという状況は、ジェニーの想像以上に辛いものかもしれなかった。自分だってその状況に陥ったら相当堪えるだろう。ジェニーで力になれるのなら、試すべきなのかもしれない。


 しばらく逡巡してから、ジェニー意を決したように答えた。


「……分かったわ。試してみてもいい」

「え。そんなに俺に出ていって欲しいの? それはそれで傷ついた」

「うるさいわね。試すならさっさとやって」

「じゃ、遠慮なく」


 と言うが早いか、カミーユはジェニーを腕の中に抱いた。勢い良くそうされたが、腕の力は優しかった。

 そして形の良いカミーユの唇が、ジェニーの唇を奪った。柔らかい感触に、ジェニーは慌てて目を固く閉じる。


 カミーユの唇がジェニーの唇を挟む。唇を唇でやわやわと押し揉まれ、更に舌で舐められて、ジェニーは思わず息を漏らした。その瞬間を逃さずに、カミーユの舌が押し入ってきた。

 ゆっくりと優しく舌を絡められて、耳の後ろの辺りが痺れるようにぞくぞくとする。初めての感覚に、自分でも信じられないくらい甘い声が漏れた。


「ん……」


 するとカミーユは抱き寄せる腕に力を込めた。更に深く口づけされて、ジェニーは全身の力が抜けて崩れ落ちそうになる。それに焦って、ジェニーはカミーユの体を強く押して抵抗した。


 カミーユがゆっくりとジェニーを解放する。

 息が乱れる姿を見られたくなくて、ジェニーは慌てて顔を逸らした。


「ジェニー?」

「……結果」

「ん?」

「結果は? どうなの?」


 ぎろっと視線だけを戻せば、カミーユはああ、と自身の手を眺める。


「……あ、いけるかも。ほら」


 カミーユの骨ばった大きな手が、更に大きくなった。一瞬で金色の毛で覆われた太い指の先には、鋭い鉤爪。人間の首など一瞬で掻き切ってしまいそうなくらい立派だ。


「あー……」

「……何なの?」

「終わり」

「は?」

「だから、戻ったのはこれだけ」

「えっ」


 ジェニーは思わず間の抜けた声を出した。


「……右手だけなんだけど」

「右手だけだね」

「…………」

「ということはつまり、もっとキスする必要がある」


 と言って口の端を上げたカミーユに、ジェニーは固まる。

 さっきのを、もっと? そう考えたら、顔がかっと熱くなった。


「うわ、何その可愛い反応」

「ふ、ふざけ――」


 ないで、という言葉をジェニーは言い終えることができなかった。

 カミーユの右手が、しゅっと元の人型のものに戻っていたからだ。


「あれ?」


 それに気がついてカミーユはきょとんとする。

 目を見開いていたジェニーは、そのまま崩れ落ちるように俯いて、手元のシーツを握りしめた。力を込めた十本の指から、ふわりふわりと小さな光の粒が舞い上がる。


「……とりあえず、一回死ねばいい」


 低い声でジェニーが呟く。と同時に、粒子はカミーユ目がけて襲い掛かった。

 カミーユは慌ててベッドから逃げ出した。あっという間に狼の姿になって、一目散に部屋から走り去る。


 一人残されて、ジェニーはふるふると震える。


「……信じられない」


 せっかく覚悟して試したのに。ジェニーにとっての生まれて初めてのキスを捧げてまで。


「あー! もう、最低!」


 ジェニーは苛立ちを爆発させるように叫んだ。

 本当に最低だ。カミーユも、そして不覚にもときめいてしまった自分自身も。

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