運命のつがい
ジェニーは入浴を終えると、リビングルームへ向かった。
暦の上では春になったとはいえ、夜間はまだ気温が低い。メイベルが暖炉に火をくべてくれているはずだ。
暖かい室内に入れば、暖炉前の一番良い場所に、大きな犬、もとい狼が伏してくつろいでいた。
ぴくりと耳を動かして、狼は顔を上げた。
汚れを洗い流して、炎の前ですっかり乾いた金色の毛並みは、ふかふかと輝くようだ。ジェニーの右手が思わず動きそうになる。
正体があの男でなければ、思いきり撫でるのに。それができなくて、ジェニーは長いため息をつく。
それから気を取り直して、側にあったロッキングチェアに腰を下ろした。
「――で、名前は?」
頬杖をついてぶっきらぼうに聞くと、狼は小さく首をかしげるようなしぐさをした。
「ワァウ」
「…………」
思わずがくりと項垂れる。狼型だと話せないと言ったさっきの言葉を思い切り失念していた。
ジェニーは仕方なく立ちあがり、ベッドルームに向かう。クローゼットを開けると、さほど衣服の掛かっていないそこを漁る。
残念ながら、男性用の衣服など一枚もない。生まれてこのかた恋人などいたこともないジェニーには無理な相談だ。
「もう、面倒なんだから」
さっき見た背格好を思い出す。長身の立派な体だった。ジェニーは自分の持っている中で一番大きなシャツとカーゴパンツを引っ張りだした。
リビングまで戻って、その二枚を投げるように狼に渡す。
「着替えが終わったら、呼んで」
狼型に戻らせておいて早々に人型に成れと言うのは少々悪いような気もしたが、仕方がない。
狼がのっそりと起き上がったので、ジェニーはそのまま廊下に出る。
そういえば彼に食料を何も渡していなかったことを思い出して、その間にキッチンに向って残っていたパンと牛乳を持ってきた。
戻ってきたら、丁度ドアが開いた。
「いいよ」
ジェニーの服は、ぎりぎり入ったようだった。とはいってもシャツのボタンは引き締まった腹部だけで留められていて、厚みのある胸部ははだけている。くるりと袖と裾をひと巻きさせたシャツとカーゴパンツは、七分丈になっている。
服を着たその姿をまじまじと見れば良く分かる。何だか無駄にルックスが良い。獣の耳と尻尾が見えてはいるが。
「下はボタンが留まらなかったんだよね。何かの拍子に落ちたらごめん」
「絶対に許さない」
キッと視線を送って部屋に入ると、ジェニーは持っていた簡素な食料を手渡してロッキングチェアに戻った。
狼だった男はジェニーの前で胡坐をかいて座り込むと、にこりと笑顔をつくった。
「カミーユ・ヴィルシェーズ。二十一歳。恋人はいない」
「何があってパラディーを追われたの? 魔力はどうしたのよ。魔力無しの獣人なんて聞いたこともない」
「あれ、無視?」
カミーユは眉を下げながらも、軽口をやめない。
「ジェニーも恋人、いないんだろ? 男の服が一枚もストックされてないってことは。バスルームの洗面道具もそうだったし」
「……そんなことはどうでもいいから!」
図星を突かれて、思わずドンと肘掛けを拳で叩く。カミーユは悪びれもせずに続けた。
「どうでも良くないよ。もし君に恋人がいるのなら、血を見ることになってた。魔力無しの今の俺じゃ、分が悪かったかも。負けるつもりはないけど」
「……一体何を言っているの?」
「ジェニー、俺のつがいになって」
「…………」
ジェニーはよろよろと肘掛けにもたれかかった。
本当に、一体こいつは何を言っているんだろう。唐突すぎてついていけない。激しい疲労感が、ジェニーを襲う。
「ジェニー?」
肘掛けにもたれかかったまま、手のひらで額を支えて視線を返す。
「私、冗談を聞いている暇はないんだけど」
「冗談なんかじゃないよ」
琥珀色の瞳が煌めいて、ジェニーを真っ直ぐに見つめた。
「パラディーからずっと逃げて、ようやくテスタリオまで辿り着いた。自分の魔力は無くなっても、魔力を感じることはできたから、強い魔力を辿って行きついたのが特別治安部隊本部だった。君の姿を見て、すぐに分かった。君は俺の運命のつがいだって」
「……私の魔力を感じとったというだけでしょ。他の人より強いから」
ジェニーはナイツで随一の魔力を誇っている。他にはない魔力の強さが、両親の死後すぐに国立養護院に引き取られた理由だ。いずれその力を持ってして国のために尽くすように、ジェニーは手厚い保護を受けた。
魔力を持つ人や獣人ならば、誰だってジェニーの魔力を感知できる。それは運命なんかじゃない。
「確かに君の魔力は強いよ。でもそれが原因じゃない。例え君の魔力が弱くても、もしかしてこの先弱くなるようなことがあったとしても、それでも俺は見つける自信がある。一度出会ってしまったから、絶対に忘れない。それが、つがいだから」
「…………」
掴みどころのないふざけた男だと思ったが、今目の前のカミーユの眼差しは真剣で、嘘をついているとは思えなかった。
つがいという概念は、人にはない。きっと獣人特有のものなのだろう。
「家に入る前、俺に魔力を使ってくれただろ? 雨に濡れないように」
「……どこか別の場所を探しなさいって言ったのに」
「別の場所なんて行けるわけない。今まで感じたことがない、温かい魔力だった」
「…………」
そんなことを言われたのは初めてで、嬉しくないと言えば嘘になった。
ジェニーは大抵、男性から敬遠された。皆、ジェニーの魔力の高さを怖れて遠慮するのだ。
例えばメイベルのように、魔力を持たない、感知できない男性になら或いは受け入れられたのかもしれない。だが残念ながら、そういった男性に出会うことは皆無だった。ジェニーの日常は本部と自宅の往復ばかりだ。ナイツの人間は、仕事柄大体が魔力持ちだ。魔力無しもいるにはいるが、お互いに恋の対象ではない。
「……そう言って貰えるのは、ありがたくもあるけど」
一応正直にそう答えたら、カミーユはぱっと顔を輝かせた。
が、ジェニーはぴしゃりと水を浴びせるように言い切った。
「悪いけど運命とか信じられないの」
途端に悄然としたカミーユは、さっき雨の中にいた時よりもずっとしょんぼりして見えた。
「信じられないかもしれないけど、分かるんだ」
「私には全然分からない。私たちは魔力で運命を感じたりしないし、したとしても今のあなたには魔力が無いじゃない」
「それを言われると痛い……」
ジェニーはひとつ息をついて、話を戻した。
「とりあえず、あなたの状況を教えて。途中でふざけるのは無し」
「ふざけてないのに」
じろりと鋭い視線で先を促せば、カミーユは仕方がなさそうに口を開いた。




