啜る(3)
運ばれてきたラーメン。
メニューから予想はしていたがこってりと濃厚な脂が浮いていて、これぞまさしく”体力勝負の男の食い物”といった感じがする。
筋骨隆々男汁ラーメンの名にふさわしい。
とはいっても、
うう
汁に溜まった丸い油を見ているだけで胃に穴が飽きそうだ。
なかなかラーメンに手をつけない僕を彼女は心配した様子でこちらを見つめている。
食べなければ。
そう思った。
食べなければ麺が伸びてしまう。
ラーメンの一番美味しいのは程よく茹で上げられた今なのだ。
刻々と美味しさのタイムリミットは迫っている。
心臓の高鳴りが聞こえる。
食べれば血圧は急上し、更にこの心臓の鼓動は早くなるだろう。
僕は意を決して、油の塊が連結し大きくなっている汁の中に箸を突っ込んだ。
ラーメンを啜った。
驚いたことに見た目に反して、あまり脂のしつこさはなかった。
これはもしかしたら完食できるかもしれない。
そう思って、2.3口食べた。
そこから僕の箸は止まる。
空腹ならばもう少しいけただろう。
さきほど口の中に放り込まれた肉の塊。
それに、このラーメンが普通の量ならばいけたかもしれない。
しかし、働く男のラーメンなだけあって、量が普通の2倍くらいある。
僕は胃の許容範囲をはるかに超えるこの脂の塊に萎えきっていた。
箸が止まったままの僕を見て彼女が心配そうな声を出した。
「あまり美味しくありませんでしたか?」
メニューを勧めたことを後悔しているのかもしれない。
そんなことはないんだ。
そんなことはないんだけれど。
「美味しいんですけれど」
それならば、なぜ?といった表情。
限界底知らずの彼女の胃袋には問題にならないのだろう。
期待に応えるべく、もう一口食べた。
が、限界の来た胃袋ではそれを処理するための能力が落ちていて、美味しさよりもなによりも胸からこみ上げてくる気持ち悪さが優先された。
「少食なもので」
申し訳なかった。
こうも彼女の煌々とした期待に添えられない女々しさが嫌になった。
「あのっ」
「はいいいいっ」
彼女は突然大きな声を出したので、びっくりしてしまった。
それから、「ふう」と呼吸を整えると彼女は続けた。
「その……差し出がましというかお恥ずかしいんですけれどぉ」
彼女の頬は赤面していた。
心の隅に寄生した子女の感情からくるそれだった。
「それを頂いてもよろしいでしょうか」
なんだって?
それは間接的な接吻では?
それは純潔可憐な子女として大丈夫なのだろうか?
多少なりとも僕の体液が溶け込んだ
男汁を
「いいですけど、それは」
「……そうですよねぇ」
なんでこうも残念そうな顔をするんだ。
どうしてここぞとばかりにメニューとにらめっこを始めるんだ。
もうすでに一人前を平らげた直後だというのに。
時折メニューから目を出してこちらに向けるキラキラした視線が刺さって痛い。
それに僕の胃も限界だった。
「あの……お願いできますか?」
僕はヌルヌルと脂の飛沫のついたどんぶりを差し出す。
彼女は胸の前でそれを受け取ると、新たに割り箸を割るでもなく、むんずと僕の体液のついた割り箸を手に取り、麺をつかんだ。
「美味しいいいい」
脂でコーティングされた麺を嚥下した瞬間、彼女のは驚嘆の声を漏らした。
「やっぱりこっちにしておけばよかったんですけど、注文しにくかったんですよね」
やはり筋骨隆々男汁というネーミングが壁になったのだろう。
その後も箸は上下を続け、彼女は麺を啜り続けた。
脂でてかりを帯びた唇がグロスを塗ったように艶かしい。
彼女の辞書に限界というものはないのだろうか。
かの英雄ナポレオンよろしく、不可能を可能にする力。
とうに凡人の胃袋の限界を超越したその破壊力。
いや、素晴らしい。
僕には無いものを沢山持っている彼女に惹かれていた。
一目惚れだった。