啜る(1)
「いただきまーす」
人が飯を食う姿は美しい。
特に女の子が美味しいものを美味しそうに口の中で咀嚼する姿はどんなに魅力的だろう。
例えば、ラーメンをすする仕草。
汁の中に入りそうな長い黒髪を白魚のような華奢な人差し指で掻きあげる。
それでも右手は食欲に負け、焦るようにどんぶりの中に箸を突っ込んでいる。
髪を耳にかけたら、口の前にはもう濃厚な汁から引き上げられた湯気の立った麺が。
ここで2,3回息を吹きかけ熱々の麺で口腔内をやけどしないように冷ます。
その艶かしい息遣いと唇の震えに何億人の男達がため息を漏らしただろうか。
舌の上によく汁に濡れた麺が乗る。
味蕾という味蕾は全力で旨味を感じ取ろうと必死だ。
そして頬をふくらませてもぐもぐと顎を動かす。リスのような表情がたまらない。
次を受け入れるためにごっくんと喉を鳴らして飲み込む。
胃に落ちていく間もなく、目を輝かせながらまた新たな標的へと移っていく。
見ているだけで幸せな気持ちになるのだ。
しかし、困ったことに、咀嚼され、喉に入り、胃で消化された食べ物は後に脂肪になる。
あまり脂肪を取り過ぎた体はみっともないとされ、健康管理が不十分であるとみなされる。
しかし、人は適度に栄養分を取らねば死んでしまう。
食事とはなんと背徳的な行為だろう。
それなのに、このまんまるとした女の子は食事という行為に一切の後ろめたさを感じず、幸せそうに頬を緩ませる。
体全体が丸と柔和と膨らみでできたような一切の骨を感じさせない作りはもはや芸術である。
幸せな人は角がとれてどんどん丸くなっていくのかもしれない。
「ふえ?」
彼女は料理を口に詰め込みながらこちらを見ていた。
しまった。
彼女の魅力的な姿に時間を忘れて見惚れてしまった。
「あの…」
いかん。不審な人物と思われてしまう。
「お腹すいてる…のかな」
ああ、彼女はどうして下劣な男から不審な目を向けられてそういう発想になるのだろう。
僕の脳内を盗み見る機械があれば、僕は警察のお世話になってしまう。
僕は下心丸出しで彼女を注視していたというのに。
彼女はチャーシュー麺の肉を2、3切れをひとまとめにすると、「ほらあーんしてください」と言った。
僕には逡巡する間なんか無くて、言われるがまま間抜けに開いた口を塞がれ、いつの間にか口の中で肉の塊は食道を通り抜けていた。
「あ、美味しい」
思わずついて出た言葉。
食事にあまり興味のない僕はこんな風に感嘆した覚えがないというのに。
「美味しいですよね」
彼女は目を細くして笑った。
彼女はどうしてこうも幸せそうに微笑むのだろう。
どうしてそんなにも食事を取る行為に幸せを感じられるのだろう。
SF映画で見たように栄養剤を血管から流し込むだけでは得られない満腹感というやつかもしれない。
美味しいとはこういうことなのか。
誰かと食べるご飯が一番美味しい。
こんな風に隣に柔和な笑顔があれば僕だって幸せになれる。
胃袋だけでなく体全体が暖かくなった気がした。