そらへいく
「そらへいく」
そう言って皺くちゃに笑ったのはおばあちゃん。
そらっていうのはお家を抜けた裏の山道。
鬱蒼とした斜面を左に右を見ればウサギ小屋と水田が視線の下の方に広がっている。先には道路を挟んでお寺さんが見える。
ひらひらと小さなちょうちょが飛んでいる。道は途中で登る道とそのままの道。
手招きされたのは右側の登らない道。
楕円の隙間にはお墓がある。
おばあちゃんのお父さんやお母さんいってしまった子供たちが眠ってる。
お盆が近いからご挨拶。
「さぁいこうね」
小さな私は機嫌良く頷いてちょろちょろと走り回る。左の道は空への道。
椎茸の栽培をしてる山を左に見ながら坂を登る。
鬱蒼とした斜面木のカーテンを抜けて、てっぺんから見れば広がるのは視界いっぱいの畑。
つま先立ちしても花に届かないのっぽの向日葵。
ビニールハウス。
空の牛小屋には茶色い仔牛がいた。牛小屋のそばに薄暗い小屋がある。私はそこを見るのが大好きだった。
そこに生きているのは美しい孔雀のつがいだったから。
おばあちゃんは空の小屋から道具を選んでねこぐるまにのせる。
準備オッケーだ。
「私が押す!」
畑に転がっている黄色っぽくなったかぼちゃまるっと抱えきれないスイカ。ピーマンにハサミを入れて収穫。
トウモロコシをもぐのは一苦労。赤く熟れたトマトは瑞々しく光ってる。
「今日はこれいっとこうねぇ」
夏の記憶。
熟れたトマトに砂糖をかけるのを真似してみる。
採れたてトマトの砂糖がけ水で冷やしたスイカに塩を振ってかぶりつく。
お日様も雨も優しくて蚋に刺されて泣いた。
お菓子を買いにいくにはとてとて一キロの道のりを歩いた。
そらはおうちの裏。
お寺さんの前の小さな川を上に向かった場所で川遊び。
道路から川に降りる。
小さな滝。木々のこずえが作り出す天蓋。
水着代わりのTシャツ。
冷たい水は痛いほど。夏の水遊び。
すとんと落ちてきたのはビニール袋。透明のよく見るアレだった。
きゅっと閉じられたお肉の詰まった袋だった。
拾い上げたそれがどうなったのか、今の私は覚えていない。
小さな仔犬。
それだけが忘れられない。
木漏れ日に緑の中落ちてくる小さな滝。
流されていく塊を拾い上げた記憶。
記憶の中に音が残されていない。
もともと、記憶の欠落は多いのだ。
そらへのみちを上る。
ウサギがいるはずの小屋を覗けば小屋にみっちりと一羽の鳥がいた。
「十二月に食べるんよ」
伯母さんがにこにこ教えてくれる。七面鳥だった。
使われてないビニールハウス。小さな檻があって生き物が暴れていた。
「まめや。もーちょぃおいて食べるんよ」
そんな内容のことを告げられた。
狸だったんだと思う。
伯母さんは「食べる」でしめることがそういえば多かったかもしれない。
孔雀は雄だけが残っていて小屋の中を歩いてた。
そらの上からは空がきれいに見えた。
ため池で鮒だか、鯉だかが跳ねる。
そらは泣けるほどきれいだ。
小さな蝶が舞う。
ゆらりとそらへ向かう。
お寺のご住職さんの声。
お墓に土を入れる。
そらへいこう。
そらのうえからそらへいこう。
今日はキレイないい天気。
あなたがいたから私がいる。
空へ行こう。
そらへいこう。
きっと、あの空は忘れられない。
左手にしいたけ山。右手に水田。
そらへいこう。