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第8話 新たな力

マリー、もう泣かないで。



うるさい。



ねぇ、お願いだから、泣かないでよ…。



…どうしてアンタが泣くの。



マリーが悲しいから、僕も悲しいんだ。



…何それ。



言ったでしょ。僕はマリーで、マリーは僕だ。マリーが悲しくなったら、僕も悲しい。マリーが涙を流せば、僕も涙を流す。



…意味わかん無い。



きっともうすぐ分かるよ、僕が誰か。

…さあマリー、もう起きる時間だ。



イヤ、起きたくない。



…マリー。僕に腕があったら、マリーを起こして上げられるのに。ごめんね。



…腕が無いの?



無いよ。手も足も体も、僕はなにも無い。あるのはこの心だけ。



……そう。



心配しないで。今はまだ無いけど、もうすぐ手も足も出来るから。



え?



手も足も、マリーがくれるでしょう?

僕、早くマリーに会いたいんだ。だからマリー、早く僕に、体を……



「グロォオオッ!??」



 化け物は勢いよく飛び起きた。背中が冷や汗でぐっしょり濡れている。今日はなんて恐ろしい夢なんだ…。


 化け物は毎晩のように夢を見ていた。いつも不思議な少年と会話する夢だ。少年は化け物が人間だった頃の名前を知っていて、そしていつも泣いている化け物を慰める。ただそれだけの夢。少年の姿は見えない。ただ、その優しい声が聞えるだけだ。しかし……


 怖ッ……! 何だ今日の夢は。いつも意味深な事を言う『僕』だけど、今日はまた一段と意味不明な事を言っていた。「手も足も、マリーがくれるでしょう?」…って。


 ゾオオォ〜〜ッ!


 化け物は背筋に悪寒を感じ、ブルリと体を震わせた。


 何だ「マリーがくれるでしょう?」って! あげないよ! 不死身の身体でも流石に自分で手足千切るのは抵抗あるさ! 気持ち悪いだろッ、小心者舐めんな。


 化け物は自分の腕を摩りながらまたブルッと体を震わせた。


 グギュ〜〜グルグルグルグゴオォーッ!


 化け物の腹の中で、盛大に腹の虫が騒いだ。しかし化け物は動かない。少年を食べてしまったあの日、化け物は二度と人間は食べないと決めた。あれから二週間近く、化け物は誓い通り絶食を貫いていた。


 お腹減った……。でも、我慢我慢。


 化け物は小さな目を閉じ、再び横になる。空腹を忘れる為に眠るのだ。寝るたびにあの少年が夢に現れるのでちょっとうっとおしいなと感じていたが、空腹のあまり人を襲ってしまうよりはよほどいいと化け物は思っていた。


 ああ、このまま何も食べなければ餓死して死ぬのかな。そうだ、そうなればいい。そうすれば、人を殺めず、この化け物の人生も終わる。


 化け物はにやりと笑う。


 ーークンッ。

 化け物の鼻が甘い匂いを捕らえる。


 …あ、すごくいい匂いがする。しかも沢山いい匂いがするぞ。ご馳走の匂いだ。


 化け物はクンクンと鼻をひくつかせる。匂いはどうやら化け物のいる洞窟の近くから香ってくるようだ。化け物は甘い匂いにつられるように、フラフラと洞窟の外に向かって歩き出す。


 化け物は洞窟の絶壁の縁に立つ。外はもうすっかり日が落ち、あたりは月明かりだけの暗闇。化け物が匂いの元を探るように見渡すと、洞窟から遥か下に広がる森に、点々と灯りの筋が見えた。


 ーー人間だ。


 化け物の鋭い嗅覚が瞬時に人間の匂いを感じとる。千、二千……もっと、沢山いる。その中でも美味しそうなのが何人かいる…。化け物は無意識に舌舐めずりをし、赤い目をギラリと光らせた。


 ーーッハ!


 化け物は我に返り、青ざめる。


 …っな、何を…、私はまた、人を食べようとした!?


 化け物は、また無意識に人を食べようとしていた自分に愕然とし、巨大な身体を震わせた。


 ーーああっ! 私はついに、心まで化け物になってしまった!


 化け物は膝から崩れ落ち、赤い小さな目からボロボロと涙を流した。もう戻れない、人間の体と心。体だけでなく、心までジワジワと化け物になっていくような錯覚に、化け物は恐怖し、涙を流す。


 怖い! このまま心まで化け物になってしまったら、私は一体どうなるの? 人間だったころも忘れ、私が私であることも忘れ、体も心も全部、醜い化け物と化してしまうの…?


 化け物は自分の不穏な未来を想像し、絶望する。自分が人間の心を失った時、自分は本物の化け物になってしまう。そんなのは嫌だ。せめて、人間のまま、人間の心を持ったまま死にたい。


 化け物は眼下に広がる暗い森を見やる。細長く伸びる松明の灯り。沢山の人間。あの人間達が、自分の姿を見たらどうするだろう。驚いて攻撃してくるだろうか。自分を殺せる人間がいるだろうか。不意に、甘く芳ばしい匂いが鼻を掠めた。


 ーー血だ!


 血の匂いと確信すると同時に、化け物は洞窟から飛び去っていた。赤い目は暗闇でギラギラと輝き、大きな口から大量のヨダレを垂らしながら、化け物は血の匂い目掛けて真っ直ぐに飛んだ。自分は人間だとか、人間を食べるとか、もうそんな事は頭から吹っ飛んでいた。あるのはただ空腹。早く、早くあの甘い血を啜りたい。早くあの甘く芳ばしい骨肉を噛み砕きたい。化け物は血の匂いに誘われるままに飛び進む。視線の先には、洞窟から遥か先にあった松明の灯り。化け物が洞窟から飛び去って数分も経たない内に、松明の灯りは直ぐそこまで近付いていた。そして直ぐに、それが人間の姿が見えるまでに近付いていた。



「ギャアアアアッ!!」


「ば、化け物ーーッ!」


「ヒイィーーッ!!」



 暗い闇に包まれた森の中で、悲鳴と絶叫が響き渡る。


「打てっ! 打てーーッ!!」


「駄目だ! 剣も矢も効かない!!」


「だ、第二部隊全滅! だいッ…ギャアアアアッ!!」


 上がる悲鳴と断末魔、飛び散る血飛沫、転がる人間だった物。化け物は次々に獲物を捕らえ、噛み砕く。


「このっ、化け物がああぁーーッ!」


「うおおおぉ! 御子様の仇ーーッ!!」


 斬りかかる大勢の人間達。それを化け物は右手の一振りでなぎ倒し、切り裂き、噛み砕く。


 …これは不味い。こっちはまあまあ。


 大勢の人間を喰らい、化け物は人間それぞれに味がある事に気付く。なぜ同じ人間で味が違うのかは分からない。ただ、最初に食べた少年ほど美味い人間はいなかった。


「駄目だッ…このままでは全滅する!」


「退却だ、退却しろっ!!」


 蟻の大群の様にいた人間が、気付けば百人にも満たない数に減っていた。蜘蛛の子を散らすように逃げていく人間を、化け物は追う事もせずにただ見つめていた。化け物は辺りを見回す。松明の灯りも消え、暗い森の中はわずかな月明かりと血の臭いで充満していた。


 ーーああ、とうとう……。


 化け物は、辺り一体に転がるバラバラになった死体の山を見やる。食い散らかされた、さっきまで生きていた人間。


 ……私は化け物。大勢の人間を殺し、食べた化け物……。


 化け物の目から、もう涙は流れない。胸にポッカリ穴が空いた様に、大切な何かを失ってしまったような喪失感。化け物は、もう人間には戻れないことを悟った。


「私を殺せる人間はいなかったな…」


 化け物は死体の山を見つめながらポツリと零す。沢山の兵士が自分に斬りかかって来たが、この身が剣の錆となることはなかった。大抵の攻撃はかわせるし、化け物の頑丈な体は剣も矢も全く効かなかった。時々火の玉やら氷の矢の様な物が当たったが、痒い、冷たい程度のことで、体には傷ひとつ付くことはなかった


「最強の化け物かよ、私……」


 化け物は絶望を孕んだため息を吐く。この世界に自分を殺せる人間はいないのか。転がる死体を見やり、またため息をつく。


「流石にこのままは可哀想だよね」


 転がる死体を一箇所に集める化け物。自分がやったとはいえ、このまま野ざらしにして野生動物や魔物の餌になるのは偲びない。化け物はせっせと死体をかき集めた。


「こんなに沢山…、本当にごめなさい」


 集めきれない程の死体の数に、化け物の目が滲む。せめてきれいに埋葬だけでもと思うが、数が多すぎる。


「数が多いから、火葬の方がいいかもしれない」


 死体の山を見ながら呟くと同時に、頭の中に不思議な呪文が浮かんだ。え?と思う間もなく、化け物の手からいきなり火が放たれた。


「……え、えっ? 何で? え、ええぇぇッ!?」


 化け物から放たれた火は死体の山に命中し、勢いよく燃え上がり、死体はみるみる骨になっていく。


「は? どういうこと? 私、魔法使えたの? え、初級魔法って? ええ!?」


 化け物の頭の中で、見たはずのない魔導書の文字が次々と浮かび上がる。


「え? なんで!? 私、魔法なんて習ってないんだけど!!」


 魔法は修行を重ねた魔導士しか使えないもので、田舎の村娘だった化け物が簡単に使えるものではない。これは一体どういうことか。


「この化け物、魔法も使えるってか…? 本当に最強じゃん、どうすんのコレ…」


 化け物は自分の事ながら、恐ろしさに身震いする。不死身の身体に超怪力、おまけに魔法も使いこなせるとは、まさに最強の化け物。


「もうなんか色々ぶっ飛びすぎてよくわかん無いよ…」


 化け物は涙目で呟く。規格外すぎる自分の体をあれこれ考える事はやめ、化け物はせっせと遺体の火葬に精を出す事にした。次々と骨になっていく遺体。化け物は穴を掘り、兵士達の骨を埋めた。その上に、大きな岩を立てた。一応墓石のつもりだ。


「…………」


 化け物は両手を合わせ、目をつぶる。ごめなさい、ごめなさい…。大勢の命を奪ってしまった罪は謝罪しても許されることはない。それが分かっていても、化け物は心の中で精一杯謝罪した。どれぐらいそうしていたのか、辺りに充満していた血の臭いが大分薄れてきたのが分かった。


「うん?」


 化け物は顔を上げる。薄れてきた血の臭いの中で、甘く芳ばしいが香りが一瞬鼻を掠めたのだ。


「これは…、最初に香った匂い?」


 洞窟から香ってきた甘い香り。この匂いにつられて大勢の人間を殺してしまったのだ。今は空腹ではなく我を忘れることはないが、誘われるほどに甘い香りなのは確かだ。


 化け物はふらふらと匂いの元を辿ると、少し離れた木の根本に、一人の男が木に持たれかかるようにして倒れていた。月明かりの下、男の白い服が赤く血に濡れているのが分かった。


 辺りには甘い血の匂いが充満している。化け物は溢れる唾液を飲み込みながら、そっと男に近付いた。


「あっ……まだ生きてる!?」


 男の肩が小さく上下しているのに気付き、化け物は驚愕する。遠目から見ても大量の血を流しているのが分かったので、てっきり死んでいるものと思い込んでいた。


「ああ、ごめなさい! 逃げ遅れたんですね! ああどうしよう!?」


 男は小さく息をしているが、明らかに死にかけていた。肩から腰にかけてバッサリと切られた傷から、血がどくどくと溢れていた。


 ……ん? バッサリ切られ??


  化け物は男の傷口を観察する。てっきり自分の爪で切り裂いたものと思ったが、切り傷はひとつ、剣で切られたような傷だ。


「え? この人、誰かに切られたの?」


 化け物がマジマジと傷口を見つめていると、ピクリと男が動いた。


「み……こ、様…」


「え?」


 白金の髪が揺れ、男の口から掠れた声が漏れる。


「申し……わけ…、御子…さ…」


 男がゆるゆると顔を上げる。白金の髪の隙間から、男の灰色の瞳が見えた。


「……レイ? …って、えッ!?」


 化け物は自分の口から出た言葉に驚いた。


「ああ……御子さ…、やっと、おそばに……」


 男は血を吐きながら化け物に向かって微笑む。が、男の灰色の瞳は化け物を映してはいない。ただ宙を見上げながら、ここにはいない『御子』に向かって微笑んでいた。


「な、なんで……」


 化け物は微笑む男を見つめ、小さな目を見開いた。私はこの人を知っている。一度も会ったことがない、この男を…。化け物はゴクリと生唾を飲み込んだ。


 男の名前はレイモンド・ハーバー。ダレン王国の神の御子に仕える神殿騎士であり、御子の第一守護騎士でもあった。レイモンドは御子が幼い頃から常に御子の側にあり、御子を誰よりも愛し、護っていた。そんな事を、何故か化け物は知っていた。今初めて会ったばかりの、レイモンドの少年の頃の姿や、御子に向ける笑顔まで化け物は何故か知っていたのだ。


「グハッ…!」


 レイモンドの口からまた血が吐き出される。いよいよ死が迫っているようだ。


「レイ!」


 化け物は思わずレイモンドに手を伸ばす。


「御子様……」


 レイは弱々しい笑顔で、自分を支える化け物に微笑む。化け物を自分の愛する御子だと思い込んでいるようだ。


「御子…さ…、今、お側に…グ、ガハッ!!」


 レイモンドが大きく吐血し、血が化け物の顔に勢いよくかかった。


「レイ!」


 レイモンドの瞳が閉じられ、体から力が抜けていく。


「死んじゃダメッ! レイ!!」


 ゆさゆさと身体を揺するが、レイの身体はピクリとも動かない。


「やだ…、こんなのやだ!」


 混乱する化け物の頭に、スッと、何かが入りこむ。今まで感じたこともない、清らかで、柔らかな力が身体の奥から沸き起こる。化け物は無意識にレイモンドを抱きしめ、レイモンドの傷口に唇を押し当てた。


「この者に神の祝福を…」


 化け物は小さく呟き、傷口に息を吹きかける。化け物の体から沸き起こる清らかで暖かな力を、レイモンドの傷口に送るように。


「…ッ!?」


 突然、レイモンドが銀色に淡く輝いた。化け物が驚いて見ると、レイモンドの傷口から光が溢れ、みるみる内に傷口が塞がっていった。


「うわわわッ!?」


 バッサリ切られていた傷はあっという間に塞がり、くっきりと残った傷跡が淡く銀色に光っていた。化け物はその光る傷跡を凝視する。


「か、神の祝福……」


 化け物は知っていた。田舎娘でも知っている『神の祝福』。それはダレン王国の神の御子だけが使えるという、神の力。傷付いた者を癒やし、死せる者さえも息を吹きかえさせるという聖なる力。それを…



「何で使えるんだあああぁぁ!!」



 化け物の咆哮が、白みはじめた森に響き渡った。


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