電車
なんとなく電車に乗った。どこまで乗るかなんて決めてなかったから
千円札で買えるとこまで買った。
電車の座席は温かかった。
各駅停車の電車は毎回駅につくたび冷たい空気と知らない人をたくさん飲み込んだ。
どこかの駅から乗り合わせた老人は僕の亡くなった祖父によく似ていた。
祖父の隣に座っている老婆は祖母に見えなくもない。
二人は一言も会話することなくじっとうつむき加減で座っている。
今さっき、乗り込んできて僕の前のつり革を持って座席に座っている僕をうらめしそうに
見ているおっさんは朝ケンカした父親と同じ色のくたびれたスーツを着ている。
おしゃれなんて言葉がかけらもでてこない紺のスーツ。
僕と父親の間を妹のいつきが駆け抜けていった。大好きなクマのぬいぐるみを
脇に抱えて隣の車両のドアに手をのばそうとしている。
慌ててどこかの席に座っていた母が妹に駆け寄る。
「そっちいっちゃだめ」
小声で周りの目を気にしながら叱る母。
いつもそうだ。
いつしか僕は窓の景色を眺めていた。
慣れた景色がコーヒーにいれたミルクのようにゆがんで混ざっていく。
小学校も中学校も一瞬で僕の視界から消えてなくなる。
自分の息で窓ガラスが曇っても外の景色を見続けた。
自分の世界がなくなるまで見続けた。
いつしか履いていた靴を脱いで窓を覗きこんでいた僕をダサイ父親が
控えめに「よしなさい」と言う。
振り向くと知らない顔の男性が僕の顔を覗きこんでいた。
「だいじょぶですか、もう終点ですよ。」
「ああ、ありがとう。大丈夫です」
僕は少し周りを確かめて取り残された電車を下りた。
ここのところ残業続きだったせいかいつのまにか眠っていたようだった。
なんの夢をみていたのか覚えていなかったが頬をなにかがつたった後が残っていた。