覗き込む光-間宮響子-
夜の画面は、やけに明るすぎる。
その光は、部屋の輪郭を曖昧にし、人の気配を“隠す”には都合がいい。
――それを、彼女は知らなかった。
最初は、些細な不具合だった。
スマートフォンの画面が、ふとした瞬間にピンボケする。
文字が滲み、指で触れても焦点が合わない。
「あれ……?」
軽く再起動すれば直る。
だから、それ以上は気にしなかった。
次に、妙な“熱”を感じるようになった。
ポケットに入れていると、じんわりと太ももに伝わる異様な温もり。
長時間使っているわけでもないのに、背面がじっとりと汗ばんでいる。
「バッテリーかな……」
そんな風に、理由はいくらでも思いついた。
Wi-Fiの不具合、OSのバグ、アプリの暴走。
すべて、“現実的な説明”がつく。
――そのうちは。
だが、ある夜。
突然、画面が暗転した。
操作していたはずのSNSが消え、黒い画面に自分の顔だけが映る。
それも、ほんの一瞬。
すぐに別のアプリが立ち上がる。
開いていないはずの動画。
触れてもいない通知。
指は動かしていないのに、画面が勝手にスクロールされていく。
「なにこれ……」
怖い、というよりも先に、苛立ちが来た。
壊れたのだと思った。
だから修理に出した。
代替機に変えた、その日から――
同じ現象が起きた。
「それ、もう機械の問題じゃないわね」
間宮響子は、そう言った。
静かな声だった。
けれど、その言葉には逃げ道がなかった。
相談者の女性――奈緒は、ぎこちなく笑った。
「でも、修理に出したスマホも異常なしで……代替機でも同じで……」
「ええ」
響子は頷いた。
「“あなたが見ている”からよ」
その意味を、奈緒は理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
問題が決定的になったのは、その夜だった。
部屋の灯りを消し、ベッドに横になる。
いつものように、暗闇の中でスマホを操作する。
画面だけが、顔を照らす。
白い光。
それだけが、この世界に存在しているような錯覚。
――そのとき。
画面が、ふっと暗くなった。
完全な黒ではない。
わずかに残るバックライトの中に、“何か”が映る。
自分の顔。
そのすぐ横に――
別の顔があった。
「……え?」
ゆっくりと、視線を横へ動かす。
いた。
そこに。
見知らぬ女が。
髪は濡れたように張り付き、頬は不自然にこけている。
目だけが異様に大きく、瞬きをしない。
そして――
スマホの画面を、覗き込んでいた。
奈緒の顔のすぐ隣で。
まるで、“一緒に見ている”かのように。
翌朝。
奈緒は直ぐに間宮響子の元へ駆け込んだ。
「その女、何を見ていたと思う?」
響子の問いに、奈緒は震えながら首を振った。
「……あなたよ」
即答だった。
「正確には、“あなたが見ているもの”を見ている」
空気が、重く沈む。
「それはね、視線に憑くものよ」
響子は静かに語り始めた。
「昔からあるわ。鏡や水面、そして“光るもの”に現れる類の霊」
「でもスマホなんて……」
「だから厄介なのよ」
間宮響子は言った。
「現代は、誰もが毎日、長時間“それ”を見続ける」
逃げ場がない。
霊視が始まった。
響子の瞳が、ゆっくりと細くなる。
そして――
わずかに、表情が歪んだ。
その変化を、奈緒は見逃さなかった。
「……何が見えるんですか」
沈黙。
長い沈黙のあとで、響子は口を開いた。
「一人じゃないわ」
奈緒の心臓が、嫌な音を立てた。
「最初は一人だった」
「でもね――」
響子の声が、わずかに低くなる。
「あなたが見るたびに、“増えてる”」
それは、覗き込む。
画面の向こうから。
光の中から。
最初は一つの顔。
やがて二つ。
三つ。
重なり合い、隙間なく、びっしりと。
まるで、画面の奥に“人間が詰め込まれている”ように。
全員が同じことをしている。
ただ、見ている。
あなたの視線の先を。
あなたの顔を。
あなたの“生活”を。
――あなたの“内側”を。
「……対処法は?」
奈緒は、かすれた声で尋ねた。
響子は、少しだけ迷った。
そして言った。
「簡単よ」
その言葉に、わずかな希望が宿る。
「見なければいい」
「え……?」
「スマホも、画面も、鏡も。光るもの全部」
現実的ではない。
仕事も、連絡も、生活も。
すべてが破綻する。
「無理です……」
奈緒は即座に否定した。
その瞬間。
響子の目が、はっきりとした恐怖を帯びた。
「そう」
短い返答。
そして――
「じゃあ、もう手遅れね」
帰宅した夜。
奈緒は、スマホを見ないと決めた。
机の上に置く。
電源も切る。
それで終わるはずだった。
はずだったのに。
――気になる。
見られている気がする。
画面は消えているのに。
“向こう側”から。
何かが、こちらを見ている。
我慢できずに、スマホを手に取る。
電源を入れる。
画面が光る。
その瞬間。
びっしりと。
顔が。
重なっていた。
何十、何百。
すべてが奈緒を見ている。
そして――
その中に、“自分”がいた。
同じ顔。
同じ目。
同じ表情で。
こちらを覗き込んでいる。
翌日。
間宮響子のもとに、新しい相談が来た。
「スマホがおかしいんです」
若い女性だった。
画面が勝手に動く。
知らない顔が映る気がする。
よくある話。
響子は、静かにスマホを受け取った。
画面は、黒い。
けれど――
そこに、見えた。
覗き込む無数の顔。
その中に。
ひとつ、見覚えのある顔があった。
昨夜、相談に来たはずの女。
奈緒。
彼女は、画面の奥から。
ゆっくりと口を開いた。
「……ねえ」
その声は、スピーカーからは聞こえなかった。
だが、確かに。
“こちら側”に届いていた。
そして今も。
あなたが画面を見るたびに。
ほんの一瞬、ピントが合わないことがあるなら。
それは、故障じゃない。
熱でも、通信でもない。
ただ――
まだ、“数が足りていない”だけだ。
――(完)――




