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東京で燃え尽きた僕が、海辺の喫茶店で人生を淹れなおす物語  作者: 久遠翠


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番外編「巴の日記より - 昭和五十五年、夏祭り」

 昭和五十五年、七月二十八日。晴れ。

 朝から、蝉の声が耳に痛いほどの夏日になった。今日は、年に一度の汐見神社の夏祭り。町中が、朝からそわそわとした熱気に包まれている。うちの店も、朝からかき氷を目当てに来る子供たちで大忙しだ。


 昼過ぎ、潮田さんとこの譲二くんが、友達と一緒に店にやってきた。まだ中学生だというのに、もう大人びた顔つきをして、粋がってコーヒーなんてものを注文する。私が「子供は黙ってカルピスでも飲んどきな」とからかうと、顔を真っ赤にして怒るのが、本当に可愛らしい。父親譲りの、一本気で優しい子だ。きっと、立派な漁師になるだろう。


 午後三時を過ぎた頃、役場勤めの岩城さんが、息子の剛くんを連れて顔を見せた。武くんは、譲二くんとは一つ違い。いつも物静かで本ばかり読んでいる子だが、父親に似て、一度決めたことはてこでも動かさない頑固さを持っている。今日は、父親に新しい本を買ってもらったと、嬉しそうに見せてくれた。その横顔を見ながら、岩城さんは「うちのは、どうも体が弱くていけません」とため息をついていたけれど、その目には息子への愛情が溢れていた。いつか、この二人が力を合わせて、この町を引っ張っていく日が来るのかもしれないな、なんて、ぼんやり思った。


 夕方になり、店を一度閉めて、私も祭りに顔を出した。神社の境内は、裸電球の温かい光に照らされて、たくさんの人でごった返している。浴衣姿の若い娘さんたちの華やかなこと。金魚すくいに夢中になる子供たちの歓声。焼きそばの香ばしい匂い。そのどれもが、この町の宝物だ。


 人混みの中で、若い夫婦が喧嘩をしているのを見かけた。都会から嫁いできた奥さんと、地元から出たことのない旦那さん。些細な価値観の違いが、積もり積もってしまったのだろう。私は二人を無理やりうちの店に連れ戻し、冷たい麦茶を出してやった。

「夫婦なんてものは、違う星から来た生き物同士が、一つの船に乗るようなものさ。違うのが当たり前。だから、相手を自分の星の言葉で変えようとするんじゃなくて、二人の船でだけ通じる、新しい言葉を探すんだよ」

 そう言うと、二人はきょとんとしていたけれど、帰る頃には、照れくさそうに手を繋いでいた。私にできるのは、こうやって、少しだけ止まり木になってあげることくらいだ。


 夜も更け、祭りの喧騒が遠ざかった頃、私は一人、カウンターでこの日記を書いている。今日も、たくさんの人がこの店を訪れ、笑い、悩み、そして帰っていった。私の淹れる一杯のコーヒーが、この町で生きる人々の人生の、ほんの小さなひとコマになれるのなら、それ以上に幸せなことはない。

 窓の外では、祭りの最後の花火が上がっている。どーん、という大きな音が、夏の夜空に響き渡った。この平和な音が、この町の笑顔が、いつまでも、いつまでも続きますように。

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