所有物
私の癖なのか性なのか、欲しいと思ったものに対して、購入寸前の支払い時をピークに嬉しさが失われていく。
何故か分からないけれど、買った後は私はもうこれを手に入れたんだという満足感を最後に、購入したものについての興味がなくなり、本のように読まなければ最後がどうなるかわからないという商品を買ったとしても、何故かそこには私が感じたかつての憧れや興奮はもう湧かない。
湧くのはただ、虚無感だけだ。
虚無感があると、日常の行動すべてが色あせていく。朝アラームが鳴って起きるとき、ご飯を作るとき、トイレに行くとき、顔を洗うとき、歯を磨くとき、髪の毛を整えるとき、服を着替えるとき、朝出かける際の鍵を閉めるとき。
朝からその気持ちに蝕まれると、その日の目は生気がない。
電車でゆられて少しずつ職場に近づくにつれ、私は私を励ます。
昔は高校生の頃は友達と会える学校がほんの少し楽しく感じて、家だとうつろな気持ちでも外に出かけようと思えたのに。
なぜ、私のこんな気持ちばかりが続いてきたのだろう。後悔する。しかしそんな気持ちすら乾いた後悔だ。どこからか、もう気にしようととも思わず他人事と感じる私もいる。そんな私は今日もどこか侮蔑のこもった目をして私を見下ろしてくる。それに対して、若干の苛立ちもしたがすぐに諦めの気持ちが上塗りしてくる。
—やっぱり私、もうこの世界にいたくない—
そう思った時、電車がもう最寄りにまでついてしまった。仕方なく、外見は平然として電車を降り駅の改札まで歩いていく。
私は、何度もそう思ってきたが実際に何か行動をしようとしても、それすらできない弱虫だった。
弱虫。虫。虫。
でも、そういえば虫って弱いはずなのに必死に生きてるよな。
以前Youtubeでカエルに虫を餌として与えている動画があった。以前はカエルを見て、カエルも頑張っているのだから私も頑張ってみるかと思ったことがあった。
今は、少し虫の立場にもなって考えてみるか。虫といって思い浮かぶものは何だろうか。蚊、トンボ、ミミズ、セミ、コオロギ、カマキリ……。いや、ミミズは違ったか。
どちらにしろ、全部他の動物たちにたくさん食われているのにまだ生き残っている時点で生き残ろうと必死に頑張っているんだよな。まあ、生き残りたいっていう思いがありそうではないけど。
改札が近付いたので、Suicaを取り出す。
そんなこんなで、虫のことを考えていたら、もう職場についてしまった。そしたら、いつの間にか職場の上司や同僚と挨拶を済ませ、席に着き始めていた。
仕事が何であれ、暇な時間があるといつの間にか暗いことを考えたりしてしまう。しかし、その暗いこと以外の、他のことを考えていたらいつの間にかその時は嫌なことを忘れられる。たまに、そんな時間の潰し方で私は幸せなのかと思ってしまうこともあるが、大抵抽象的な事を考えすぎると嫌なことを考えてしまう。だからまた、別のことを考える。思考する力はあるのに、そればかり大きくなり自身を守る方法は忘れがちなのだ。かき消されるのだ。
これは昔からの周期的な思考の良くないときの傾向だ。私は今日のことを、昼休みが終わる前に書き留める。
次こうなっても、対処法を覚えておくために。私の寿命が、時間がただただ減っていても、それでもまずは自分を守りたいのだ。
友達は助けてはくれても、寄り添ってはくれても私のためにずっと必死に守ってくれる人はいないだろう。
私は社会人になってしまった。子供でなくなってしまった。大人になってしまった。年を取ってしまった。周りも年を取ってしまった。昔のままではいられなくなってしまった。私は変わらないといけなかった。変われなかった。悩んで苦しんでも、助けてくれてた人はすでに助けられるべき人に変わりつつあり、私を助ける力もなくなってしまった。
もう守ってくれる人は減っていってしまっているから、だからせめて私が私を……。
今はこの思考は明るすぎて、到底できない。とりあえず、次の仕事を始めるか。
飲み物を軽く飲み、胸を掌で二回軽く叩き、深呼吸をするという、いつもの仕事を始める前のルーティーンをして、今日も一日の続きを再開した。
いつの間にか、少し血の通った目になっていた。
最後までお読み頂きありがとうございます!
皆さんは自身の欲しいものに関して、一番楽しいと感じる時はいつですか?手に入るとき、その商品を存分に堪能した時、普段身に着けて外に出かけているとき……。
工夫をこらそうと思えば、今まで以上に楽しめる気がします。
意外と幸せは近くにあるのかもしれません。少なくとも近くから見つけていかないと、悲しくなりそうです。
何はともあれ、あとがきも読んで下さりありがとうございました!




