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44 ロイドの魔術

 ドナルドは黒髪の兵士四名と従者二名を付き従えてモーリンの屋敷にやってきた。

 モーリンの用意した馬にまたがったドナルドは、「雨ならば馬車を用意してもらいたかった」などと毒づいた。


 モーリンは、クーレイニー国へやってきた時と同様に、体一つで出ていこうとしている。

 その腕に最愛の花を納めた木箱を抱えて。


 雨のせいなのか、それとも宴の終焉がそうと決まっているのか、この数日間、王都を包んでいた熱狂はしぼんでしまい今や見る影もない。

 通りには、雨を避けるように足早に去っていく者がちらほらといるだけだった。


「では参りましょう」

「うむ」


 王都を巡回する近衛兵を減らしておいてよかったと、モーリンは馬の背が揺れる振動を感じながら、しみじみと思った。

 城門までやってくるとモーリンは馬を下りた。馬の背に積んでいた木箱を取り出し大切に抱えて。


(たとえほんのひとときだろうと、もう手放すことはできない)


 顔が見えるようにフードを下げると、兵士に歩み寄った。


(おや? こんな顔の男もいたか……?)


「おい、お前。門を開けるのだ」


 兵士は無骨な表情のままモーリンが想定していなかった言葉を発した。


「そちらのテントへお入りください」

「なんだと! 私の言うことが聞けぬのか!」


 大声を出したせいで兵士らが集まってきた。

 ドナルドを囲んで守っている兵士たちも、多勢に無勢と諦めたようで剣を取り出したりはせずに命令を待っている。

 ドナルドは目線だけで、モーリンに、「さっさと片付けろ」と言った。


「ちっ。こんな時に面倒な」


 モーリンは仕方なくテントの中に入った。部下が横着をして、そこで休んでいるとふんだのだ。


「おいっ。お前たち、何をしている!」


 だがテントの中にいたのは、ほんの数十分前には虫の息だった男だった。


「ス、スペンサー……」

「呼び捨てとは聞き捨てなりませんね。もう王族に媚びる必要もないということですか」


 ザクッ、ザクッと雨の中を人の集まる音が聞こえる。


(やっと来たか。待たせおって)


 モーリンはテントの入り口を大きく開けると、暗闇の中、外に集結している兵士たちに命令した。


「お前たち。どこにいたのだ。門を開けろ。スペンサーは私が出ていくまで、ここに閉じ込めておけ!」

「近衛兵への命令は私がします」


 先頭にいた男がぬっと一歩前に出た。テントの中の明かりが男の顔を照らす。


「お、お前――。どうして。デレク。貴様――」

「ここにいる五十名は、皆、私の忠実な元部下たちです」


 テントの中からスペンサーが声をかける。


「こんな雨の中を、どこへ行かれるというのです?」


 ドナルドたちは既にデレクの部下に囲まれていた。

 テントの入り口で動けないモーリンの背中に向かって、スペンサーが言った。


「お前はポリージャの者だったのだな。十五年前から潜り込んでいたとは。正体がバレて逃げ出すところか?」


「だ、黙れ! 私は大使をお見送りに来たまでだ。お前らこそ、大使にこのような無礼を働いて無事に済むと思うなよ」

「無礼な真似だと?」


 スペンサーがモーリンを威嚇するように鋭く睨んで、背後に近づいた。


「デレク。あの者をここへ連れてまいれ」

「はっ」


 スペンサーの指示で、デレクがフードを被った男を連れてテントに入ってきた。

 モーリンはフードの男の不気味な気配を感じて後ずさる。

 スペンサーは、モーリンをデレクの前に突き飛ばして声を荒げた。


「モーリン。お前は知らぬらしいが、我が国にも高名な術師がいるのだ。デレク、やれ!」

「はっ」


 デレクはいきなりモーリンの髪の毛をつかんで何本か抜くと、フードの男に渡した。


「痛っ! 何をする!」


 男は髪の毛を受け取ると低く笑った。


「これがお前の髪の毛か。それでは――」


 男は少しの間ゆらゆらと体を揺らしたかと思うと急にピタリと止まった。そして口を開いた。


『よかろう。不確定要素は減らすに限る』


 男が発した言葉は、かつてモーリンが口にしたセリフそのものだった。一言一句違わない。声までもモーリンそのものだった。


『半分で十分な量だ。匂いはそれほどないので心配はあるまい』


「ひ、ひいっ!」


 モーリンは目の前の男が自分に成り代わろうとしているように感じた。

 自分が消され、男が自分になるのではないかと。


「やめてくれっ! やめろっ!」


 震えながら逃げようとするモーリンに男は詰め寄って、なおもモーリンの声色でしゃべり続ける。


『毒は念の為、倍の量を入れることにしましょう。まあ宮殿内で王に毒を盛った犯人ですら取り逃す奴らですからね。なあに今回もどうせ捕まえることはできませんよ』


 テントの中にモーリンの声色が響いた。

 フードに隠れた男の表情が見えないだけに、不気味さが増す。


 モーリンはワナワナと震えてその場にへたり込んだ。

 木箱を抱えたまま外へ出ようともがくが、腰が抜けてしまっているため動けない。

 フードを被ったロイドは、笑いを噛み殺していた。


 芝居がかったやり方で、録画映像からモーリンのセリフを抜粋して再生しただけなのだが、モーリンには想定していた以上に効いたらしい。

 ロイドは正体がバレないように声色を低くしたまま話し始めた。


「実は、私も魔術を会得しているのですよ。髪の毛を媒介に、その者に乗り移ることができるのです」


 モーリンは驚きのあまり、パクパクと口を動かすだけで言葉が出ない。

 それでもハアハアと息をしているうちに落ち着きを取り戻したのか、弱々しいながらも抵抗した。


「う、嘘だ。インチキに決まっている。そんな魔術などあるものか」


 スペンサーが冷たく言い放つ。


「今の声はあなたの声でしたよ。国中の者に聞かせてみましょうか。果たして、どちらの言うことを信じるでしょう?」


 ロイドが口を開こうとした時、テントの中へいきなりドナルドが乗り込んできた。


 黒髪の兵士たちがドナルドを四方から囲むようにして守り、近衛兵に剣を突きつけている。強行突破を選択したらしい。

 ドナルドは尊大な態度で警告した。


「おのれ、我々に何かあればポリージャへの敵意とみなすぞ。攻め込まれても文句は言えんぞ!」


 スペンサーがニヤリと笑った。


「ほう。『我々』ですか。 我々とは、あなたとモーリンのことですね」


 デレクが吠えた。


「つまり、モーリンをポリージャ側の人間と認めたのだな。毒を盛ったのも、ポリージャ国の仕業ということだな!」


 ドナルドが余裕でニヤリと笑うと言い放った。


「はん、今更手遅れよ」

「なんだとーっ!」


 デレクが剣を構える。近衛兵が黒髪の兵士との距離を詰める。それでもドナルドは慌てた様子を見せない。


 ドドドド――――ン!


「あっはっはっはっ! 聞いたか、この音を!」


 ドドドド――――ン!


 突風に襲われ、テントが吹き飛ばされそうになった。

 高笑いをしていたドナルドも、あまりの衝撃にその場で凍りついたほどだった。

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