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31 お忍び歩き(ロイドとイース)

 王都の目抜き通りに降り立ったイースは、おのぼりさん丸出しで興奮していた。


「すっげー! なんだこの人の数! それに見渡す限り店だらけ! 何をそんなに売るもんがあるんだよー!」


 家族連れやカップルなど、道ゆく人たちは皆、楽しそうに話したり笑ったりしている。

 香ばしい匂いや甘い香りが漂う中、店先での呼び込みの声や客とのやりとりなど、心地よい喧騒が、午前中の毒物騒ぎを遠くへと追いやってくれる。


 イースは王都の街並みに感激しているが、ロイドも映像と体感との違いを感じていた。

 いったいどこから集まってきたのかというくらいの人、人、人。


 ありとあらゆる食べ物が売られている。

 パン、菓子、果物、野菜、鮮魚、肉類、スパイス。


 洋服も、店先に完成品を吊り下げているところから、生地専門店もあれば、仕立て屋、古着屋と、実に様々だ。

 ロイドは、浮かれているイースの周辺に気を配りつつ、ドローンが作成したマップに目視情報を元にした補正を加えていた。


 夜間でも完全に人通りが絶えない目抜き通りは、上空からの撮影に頼らざるを得なかったのだ。

 ロイドは人の多さが気に入らなかった。

 警護対象の周囲に不特定多数の人物が存在するという状況は、できれば避けたいものだ。


 イースに付けていたドローンに加え、王都上空を偵察中のドローン二機も呼んで、三機体制で警護することにした。


 購買欲に支配されているイースは、昼食を済ませているにも関わらず、具沢山のバゲッドサンドとドーナツのどちらを買うかで悩んでいた。

 結局、チョコレートがかかっているドーナツを買い、すぐさまかぶりついた。


「お前も一つ食べ――あ、そうだったな。悪い」

「いえ、お構いなく」


 イースの隣を歩くロイドに、ドローンからアラートが届いた。

 三メートルほどの距離をとって、ロイドとイースを尾行していると思われる人物が三人いる。


(うーん、謎です。なぜイースに狙いを定めたのでしょうか。イースの正体はバレていないと思うのですが)





 イースはお忍びで街歩きをするにあたり男装していた。

 今日は誰が見ても金持ち貴族のボンボンにしか見えないはずなのだ。


 黄みの強い金髪のカツラまでかぶっている。

 ミッチェルは、イースに頼まれた衣装をこともなげに用意した。


「王都にいる貴族連中は、馬鹿騒ぎをしたり悪い遊びをしたりするのが大好きなのですよ。ですが身分がバレては大変ですからね。よからぬ場所へ出入りする時などには必ず変装するのです。大通りから一本入った通りなどに、その手の店がたくさんあるのですよ」


 そういう貴族連中と一緒に王都の学園に通っていたミッチェルだ。

 既によからぬことを経験済みなのだろう。

 そんなロイドの思考を読んだのか、ミッチェルは、


「こういう付き合いも、王都でしか学べない社会勉強に含まれるのです」


 と言ってのけた。





 ロイドは歩き続けるうちに、徐々に周囲の視線を集めていることに気が付いた。


(よくありませんね。こんなところで目立ちたくはないのですが。イースの田舎者ぶりが目に余るのでしょうか)


 ドーナツを平らげたイースが、ロイドを横目で見ると呆れた顔で言った。


「それよりお前。なんで、よりによってそんなの着たんだよ。目立つだろ!」

「は? 普段とは違う服装で別人になるのでは?」

「お前は別にいいだろ。っていうか、やるにしても、なんでそれなんだよ」


 ロイドはマクシミリアンから贈られた純白のドレスを身につけていた。

 イースが変装して繰り出すと言ったので、ロイドもそれに倣ったまでだ。


(納得がいきません。確かに、「普段とは違う服装で別人になる」と言っていたではありませんか)


 ロイドが屋敷を出ようとした際、なぜかライアンが黒いマントを貸してくれた。

 ライアンはマントを着たロイドを見て苦笑したが、


「まあ、これならそれほど目立つこともないでしょう」


 と太鼓判を押してくれたのだ。

 ロイドは変装の完成度を高めるため、カチューシャが似合うように髪の毛を十センチほど伸ばしもした。


(毛髪の残量は残り二センチ弱になりました。人間の毛髪と同じ素材なので引火しやすく危険です。万が一、燃焼等で消失した場合に備えて、生え揃えるギリギリの量は残しておきましたが)


 三人の男はまだついてきている。


「お前が言っていた、あの赤と白のストライプの制服の店員がいる店はどこにあるんだ? 焼き菓子だと一番人気なんだろ?」

「まだ食べる気ですか? 今日は食べるために来たのですか?」

「いいだろ! ずっと気になっていたんだから」


 ロイドはイースの行きたい店までの最短ルートを選択した。

 十メートル先の花屋の角の路地を抜けると近道になる。路地に近付いたあたりでイースが身を強張らせた。


「気付いているよな?」

「はい。私は上から周囲を見ていますから」


 三人が急に距離を詰めてきたのだ。ロイドとイースは囲まれつつあった。


(イースを路地に連れこんで誘拐でもしようというのでしょうか)


 ロイドは相手が加速するスピードと自分の歩く早さを計算した。


「イース、ちょっと先に行っててもらえませんか。サン――」


 承知したという面持ちで頷いたイースは足早に先を急いだ。逆にロイドはスピードを落とす。


「ニイ――」


(イースへは近付けさせませんよ)


「イチ――」


 男の一人がロイドの右腕を捕まえた。


「へへへっ。嬢ちゃん。大人しくしないと痛い目にあうよー」


(はあ? 人違いですよ、と言うのも変ですが。イースを諦めたのでしょうか)


 ロイドの存在を周囲から隠すように残りの二人が背後に立った。


「ほら。こっちに来な」


 男がロイドの腕を引っ張って路地へ連れ込もうとする。


「いひひひ」

「可愛い顔してんなあ」


 最後にしゃべった男が、背後からロイドの首筋に息を吹きかけてきた。

 ロイドは勢いよく振り返ると、その男のみぞおちに空いている方の手で、骨が折れない程度に一発見舞ってやった。


「うっ――」


 男は息が上手く吸えなくなり、「ひいひい」と苦しそうに、目を思いっきり見開いて地面に倒れた。

 歩いていた男が急に倒れたため周囲がざわつく。


 ロイドは間をおかず、掴まれた腕を振り上げて掴んでいた男を引き寄せた。

 男がバランスを崩したところを、腕を振り解き男の膝の裏を少しだけ強めに蹴る。

 男は右足の半月板を地面に打ちつけられると、悲鳴を上げてすねを抱えて転がった。


(おや。多少、損傷したかもしれませんね)


 この間、ロイドの動きに沿って、黒いマントが翻ったりマントからのぞく白いドレスの裾が波打ったりしただけで、ロイドの手足の動きは周囲の人間たちには見えなかった。


 周りの人間には、急に男が転がって驚いたロイドが振り返り、ドレスの裾がはためいたように見えたのだ。


(重なった布が重くやたら広がっているので、動きにくいだろうと覚悟していましたが。いやはや、これはかえっていいカモフラージュになります)


 ロイドは驚いてその場を離れようとしたかのように、残りの一人とすれ違うと、そのすれ違いざま下腹部に強烈な蹴りを入れた。

 男はくぐもった声を出して地面にうつ伏せに倒れた。


「きゃーっ!」


 近くにいたカップルの女性が悲鳴を上げた。

 次々と人が集まってきたので、ロイドは通りの端の方によった。


「大丈夫ですか? お連れの方はいらっしゃらないのですか? この時期は地方の貴族令嬢を狙った不埒な者たちが増えますので、一人歩きは危険ですよ」


 ロイドが立ち止まったのは時計屋の前だった。

 騒ぎを聞きつけて職人らしき主人が表に出てきたらしい。一人佇むロイドを気遣ってくれた。


「いやあ、すみません。つい、はぐれてしまって」


 イースが駆け寄ってきてロイドの背中に手を添えた。

 ロイドより背が低いイースでも、そういうポーズをとられると、ロイドがか弱い乙女に見えてくるから不思議だ。


「ああ、お連れ様がいらっしゃったのですね。ようございました」

「ご主人、わざわざありがとう」

「いえいえ」


 イースは軽く礼を述べてロイドの手を取ると、大通りから離れた。


「この辺までくれば大丈夫だろう」


 イースはロイドの手を離すと、改めてその姿を繁々と見つめた。


「なるほどな。その格好のせいでお忍び歩きがバレバレだったんだな。地方から出てきたばかりの王都に不案内な令嬢をさらうつもりだったんだろうな」


 気を付けて見回せば、ロイドのようにマントやローブを着て、その隙間から美しいドレスをのぞかせている娘たちがちらほらと目につく。


「あの三人は、あのままにしておいてよいのでしょうか」


 ロイドは事後処理の要否を確認した。


「あれだけ人が集まっていれば誰かが近衛兵を呼んでくるじゃないか? 第一、こっちはお忍びなんだから身分を明かす訳にはいかないだろ。それに――」


 呻き声を上げながら地べたに転がっている姿を思い出し、ため息と共に言った。


「もう悪さなんて、できそうになかったしな。放っておこう」

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