#94 領主モルジェオ (モルジェオ視点)
街が見える。
フェンデリン一族が代々統治し、如何なる時代でも必死に護り抜いてきた、ルーンベイルの街並みが。
私と子供たちが生まれ育った、一族の家であり庭。
それが今、紅蓮に包まれていた。
各所から上がる火の手が、見慣れたはずの美しい街をまるで見知らぬ世界か地獄の如く不気味に彩り、朦々と立ち昇る黒煙と火の粉が月光を汚す。
前回の『邪神の息吹』──今から三百年も昔のことだが、当時このルーンベイルの街を治めていたカルディス・ジェルド・ウルヴァルゼ王弟は、兄ベナト王に対して謀叛を企てた悪名高い人物だが、その一方で、将軍としても領主としても優れた才覚の持ち主だった。
それが窺えるのが、ルーンベイルに施された防衛設備や都市設計だ。
今回の『邪神の息吹』に於いても、カルディス王弟の遺産とも言うべきそれらは有効に機能し、襲来した変異魔物やアンデッドの大群を幾度と無く撥ね退け、被害を最小限に抑えてきたことから、帝都エルザンパールに次いで安全な都市として、人々に安心と信頼を与えてきた。
しかし、あくまでそれらは都市の外側から攻め来る敵に対抗するためのもの。
内側に湧いた敵に対しては、何の意味も成さなかった。
「「「フェンデリン家に鉄槌を!」」」
声がここまで響く。
「「「ルーンベイルに救済を!」」」
明々と燃える松明が、蟻の行列の如く連なっているのが見える。
それも一つや二つではなく複数の行列が、この領主の居城を目指して向かって来ている。
「「「正義は我らにあり!」」」
石畳をゾロゾロと踏み鳴らすのは無数の足音。
薪割り用の斧や鉈、鍬や鋤や鎌といった農具の他、鎚や肉切り包丁、火炎瓶などで簡素な武装を整えた彼らの正体は、ルーンベイルとその近郊の村々から集った領民たち。
そう、これは反乱だ。
このモルジェオ・デルク・フェンデリンに対する、民草の武装蜂起だ。
〈さあさあ、我が声に応えし勇敢なる民草よ! サウル神の加護を受けし同胞たちよ! 裁きの時は来たれり! 僭主モルジェオは今、我らの勇気と正義に恐れ慄き、あの城の奥で鼠の如く震え上がっています!〉
小憎らしい声が、音響魔法によって大混乱のルーンベイル全域に響き渡る。
声の主は、ヌンヴィス・トルベ・ズンダルク司教。
栄耀教会の頂点に君臨するラモン教皇と同じ『聖なる一族』ズンダルク家の出身で、この地域に於ける教団の統括責任者の姿が、城の正門を目指す行列の中にあった。
聖騎士団によって分厚く囲まれ、魔法によって浮かび上がる輿の上で、童の如きこじんまりとした体をふんぞり返らせた彼は、更に演説を続ける。
〈皆も知っての通り、僭主モルジェオは長きに亘って領民に重き税を課して貧苦を味わわせた挙句、『邪神の息吹』を鎮めんとする我ら栄耀教会に対しても、下らない見栄と贅沢な暮らしを保つため、言葉では語り尽くせぬほどの卑劣な妨害を繰り返してきました。ああ、何たる鬼畜の所業! そのせいでどれほどの無辜の民が苦しみ、命を落としたことか! きっとあなた方の近くにもそうした者が居たことでしょう。その無念、このヌンヴィスには痛いほど分かります〉
劇場の舞台役者を想わせる、実に大袈裟な身振りと口調。
しかし、感情と衝動に駆られた今の反徒に対しては効果覿面だったようで、彼らの顔に浮かぶ怒りと悲しみの色が一層強くなっていくのがここからでも見て取れた。
〈災禍に苦しむ善良なる民に救いの手を差し伸べようともせず、心の拠り所である信仰の道を阻み、剰え『聖女』様の善意すら突っ撥ねる始末! これを神への反逆と言わずして何と言いましょう!〉
そうだそうだ、とヌンヴィス司教に同調する反徒たちの叫び。
〈今こそ、積年の恨みと真の正義を見せ付ける時! 神に敵する悪しき一族の首級を挙げ、ルーンベイルを解放するのです!〉
ヌンヴィス司教の演説に鼓舞され、反徒たちの勢いが更に増す。
無論、こちらとて衛士や騎士団を動員して防衛に当たらせているが、反徒側に寝返ってしまった者も少なくなく、状況は極めて悪い。
「閣下! 正門前の柵が突破されそうです!」
騎士団隊長の叫びに応じて眼下を見遣ると、急拵えの柵が反徒によって破壊されようとしていた。
こちら側の兵は、回り込んで来る敵への対処に手一杯でそれに気付く様子が無い。
警告を飛ばす前に、限界を迎えた柵がメキメキと音を立てて破壊された。
堤防が決壊して濁流が押し寄せるが如く、ヌンヴィス司教の演説によって殺気立った反徒がどっと雪崩れ込む。
「『火の飛球』」
言わずと知れた攻撃魔法の代表格で、威力と射程の優秀さや扱い易さは勿論、派手な爆炎と爆音による心理的なインパクトも大きい。
撃ち放たれた火球は、反徒と味方兵の間に着弾、爆裂した。
「「「うわああああああああーッ!?」」」
爆風に吹き飛ばされて反徒たちは来た方へ吹き飛び、逆にこちらの兵は城の方へ吹き飛んで、駆け付けた味方によって城内に担ぎ込まれた。
〈ああ、何と酷い! 同志たちよ、今の様子を御覧になりましたか! たった今、僭主モルジェオが火球を撃ち放ち、先陣を切っていた勇士十名を無惨な肉片に変えてしまいました! 何と残虐! 何たる非道! とても同じ人間のすることとは思えません!〉
よくもまあそんな出鱈目を息を吐くように言えたものだと、その二枚舌と鉄面皮に呆れを通り越して感心すらしてしまう。
今の『火の飛球』は反徒の戦意を挫き、撤退する者たちへの追撃を妨害するための威嚇として撃ったものであり、威力も着弾地点も計算通り、死者も重傷を負った者も居ない。
しかし、その場に居ない者たちには遠くで爆発が起きたことくらいしか分からないため、ルーンベイル全域に響き渡るヌンヴィス司教の虚言を信じ、一層こちらへの反感を強めてしまう。
本当はあの憎らしい顔面に十発以上叩き込んでやりたい所だが、流石は保身に長けた栄耀教会の高位聖職者と言うべきか、彼を乗せた輿は二百メートル以上先に留まったまま、決してそれ以上は城に近付いて来ない。
ああも離れていては、こちらの如何なる攻撃も司教には届かず、一般市民とは比較にならない武装と戦闘能力を持つ聖騎士団によって幾重にも護られている以上、接近することすら難しい。
「おのれ……ッ」
このまま為す術無く売僧共によって、愛する街も一族の未来も闇に閉ざされてしまうのか。
神は何故、我々にこのような苦難を課すのか。
神よりも金をこそ拝む者たちに、何故『聖女』を遣わしたのか。
何度も繰り返したその声無き問いに、応じる者はやはり居ない。
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