#93 救済前夜 (カグヤ視点)
皇帝暗殺の運命を改変し、ダスクをフェンデリン邸へ連れ戻したその夜。
「闇の極大魔力『望月』──その異常さは理解していたつもりではいたが、よもや瘴気を吸収することすら可能とは……」
事情を聞いたオズガルドが、難しい唸り声を上げる。
「信じられないかも知れないけど、これは本当だよ」
「ええ。私も確かに見ました。間違い無くあの地の瘴気は吸収され、完全に消え失せました」
「しかも、吸収した瘴気はそのままカグヤの魔力になる。変異魔物を元通りにしたり、アンデッドを使役して無力化することも可能だ。これはテルサの『旭日』にもできない」
オズガルド自身は吸収の様子を見ていないが、ジェフとエレノア、そしてダスクが目撃して証人になってくれている。
「それでカグヤ、これから君はどうするつもりだね?」
その問いに対する答はダスクに言った通りだ。
「──各地の『邪神の息吹』を鎮めていきます」
私とテルサ、二人で行えば効率は単純に考えて倍になるが、テルサと栄耀教会は私と協力する方針を決して取らない。
「聞いた話では、テルサは栄耀教会からとても厚遇されているそうだよ。『聖女』の威光を使って、色んな所から莫大な財を集めてる。君もその『望月』で、欲しい物を手に入れて贅沢な暮らしをしたいとは思わないのかい?」
尋ねたのはジェフ。
『邪神の息吹』を鎮め、国家人民を救うという大仕事なのだから、相応の見返りを要求するのは強欲でも傲慢でもないが、私の場合は事情が異なる。
「私の存在や居場所、何より『望月』の秘密が知られるのは危険が大き過ぎます。瘴気の吸収だけならまだしも、時間や空間すら操り、死者をアンデッドにして使役してしまえる力ともなれば、栄耀教会ならずとも私を脅威と見做す人は現れるでしょう。暗闇や月の引力といった条件もありますから、力を満足に使えない状況で襲われれば命を落としかねません」
力とは諸刃の剣、鋭い剣ほど使い方を誤った時に払わされる代償は高くなる。
今まで以上に慎重に行動する必要があるだろう。
「月は月らしく、自己主張せずこれまで通り闇に隠れています。その方が私の性分にも合っていますし、何より……」
そこまで言いかけて詰まった所で、ダスクが言葉を代わってくれた。
「莫大な財を求めるということは、結局その分を『邪神の息吹』で困窮する民衆が負担することに他ならない。自分の利益のために弱者に苦を強いるなんて真似、カグヤが望むと思うか?」
「……そうだったね」
大いなる力には、大いなる責任が伴う。
『望月』は軽薄な意志や私利私欲で使っていいような力ではなく、そんなことをすれば多くの者が運命を狂わされて不幸になる。
「奪われる痛みを知るからこそ、私は与える者でありたいのです。私のような思いをする人が少しでも減るように。それがこの世界に召喚された意味であり、そして……罪滅ぼしと考えています」
これは試練だ。
『望月』を以て『邪神の息吹』を鎮め、人々を救済することこそ、かつて奪ってしまった命への償いになるという、運命が課した試練なのだと私は受け取った。
「それで? 次はどこの瘴気を吸収するつもりなのですか?」
エレノアとジェフ、そしてダスクの前で行った二度の吸収と、テルサと栄耀教会の活動により、帝都エルザンパールの近くにある「地脈」から出ていた瘴気はすっかり消えている。
しかし『邪神の息吹』を完全に鎮めるには、地脈以上に大量の瘴気を放出する「源泉」をこそ処理しなくてはならない。
「それについては、是非我らフェンデリン家の領地をお願いしたい」
「分かりました。私がこうして安全に暮らせているのは、フェンデリン家の皆様が匿って下さっているお陰なのですから、喜んでお引き受けしましょう」
オズガルドが頼み込まずとも、私の方からそうさせてくれと言い出すつもりだった。
「フェンデリン家は栄耀教会と対立する間柄、だったな。栄耀教会が自分たちに恭順する者の領地を優先的にテルサに浄化させていくのなら、カグヤはその逆──フェンデリン家のように栄耀教会と対立する者の領地に向かい、瘴気の吸収を行っていく訳だな?」
栄耀教会に屈服しない限り、テルサの『旭日』の恩恵を受けられず、止め処無く溢れ続ける瘴気によって領地は蝕まれて人々の苦しみは終わらない。
「そうだ。栄耀教会は各領主に恭順を迫り、多大な見返りと引き換えに浄化活動を行う。つい先日、テルサを連れた遠征軍がウィルドゥ家の領地へ向けて出発した」
「ウィルドゥ家もフェンデリン家と同じく、栄耀教会に反発する大貴族。当然、栄耀教会は瘴気の浄化と引き換えに彼らに服従を迫り、ウィルドゥ家はそれに屈してしまった。他の家も後を追うように膝を折っていくだろうね」
「テルサ以外にそれができる者が居ないため、誰もそれに歯止めを掛けられず、ウィルドゥ家のように過大な条件も吞まざるを得ないのが現状。しかし、テルサに頼らずとも瘴気が収まって『邪神の息吹』が衰退していけば──」
「押さえ込まれていた者たちは、もう栄耀教会に頭を下げる必要が無くなり、奴らに対して公然と反発できるようになる」
火山の噴火のように、圧力を加えれば加えるほど限界に達して爆発した時のエネルギーも凄まじいものとなる。
『聖女』の力に縋るために、屈辱的な恭順を余儀無くされていた者たちが一斉に立ち上がって栄耀教会に反抗し始めれば、彼の教団は一転してピンチに陥るだろう。
「これ以上、栄耀教会の専横と増長を許す訳にはいかん。カグヤの真の力が判明した今こそ、彼らへの反撃を開始する時だ」
ラモン教皇は縁者である第三皇子ミルファスを次期皇帝に推しており、狙い通りミルファス皇子が即位してしまえば、ウルヴァルゼ帝国は栄耀教会の思うがまま。
オズガルドたちフェンデリン家が最も危惧しているのはそれだ。
栄耀教会は、私を苦しめたあの教団と同じ体質の組織だ。
宗教を救済ではなく営利の手段としか思っていない守銭奴たちが国家の覇権を握ってしまったら、かつての私と同じような、奴隷か家畜の如く搾取されるだけの弱者が増えてしまう。
私が『邪神の息吹』を鎮めれば栄耀教会の力も削がれ、本当の意味で人々が救われると信じたい。
闇の中を彷徨い苦しむ者たちに、救いの手を差し伸べることこそが私の道であり、元の世界で過ごしてきた暗黒の人生は、慈悲の精神と救済の意志を養うための、必要な過程だったのだとすら今では思える。
痛みも苦しみも無い人生を歩んだ末に召喚されて『望月』を授かっていたとしたら、或いはジェフが言ったように、その力を自分の利益と保身のためだけに使う、両親や教主と同じ「奪う者」に堕ちていたかも知れない。
「それで? フェンデリン家の領地はどこにあるんだ?」
ダスクの問いに、フフッと笑みを漏らしたのはジェフだった。
「それがね、本当に奇妙な縁としか言い様が無いんだけど、フェンデリン家の領地はレーゲン地方の中央部なんだ。そこにある都市に一族の城はある」
「レーゲン地方の中央……まさか……!?」
ダスクが敏感に反応した。
「そう、ルーンベイルだ。かつて君の主君カルディス王弟が統治していた、ね。ただ……」
言いかけたジェフと、そしてオズガルドとエレノアの顔が曇る。
「……父上や兄上から聞いたんだけど、近い内に現地の栄耀教会が何かやらかす動きがあるようなんだ。急いだ方がいいかもね」
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