#88 源泉浄化 (ラウル視点)
「ではテルサ様、お願いします」
「ええ」
ゼルレーク聖騎士団長に促され、テルサが浄化のための魔力を練る。
全てはこの瞬間のために。
あの時と同じく、まずテルサの全身から閃光が爆ぜる。
事前に知っていた我々は眼を閉じていたため、怯んでしまうような間抜けは犯さない。
「──我が身に宿る『旭日』を以て、忌まわしき瘴気を祓う奥義を」
皿を形作るように重ねた両手に、テルサが膨大な魔力を注ぎ込んでいく。
サウレス=サンジョーレ曙光島にある教会図書館には、大司教以上の最高位聖職者のみが立ち入りを許される禁書庫が設けられており、そこには極秘の資料や記録の他、特級の魔導書が保管されている。
その魔導書の一つに、初代『聖女』が当時の栄耀教会と共同で編み出した、瘴気の浄化に特化した魔法を記録した物がある。
『招聖の儀』で召喚されて以来、テルサはその魔法のダウンロードを続け、完了したのは遠征が始まる少し前のことだった。
「『邪を浄める救世の旭光』」
彼女の両手の上に完成したのは、華やかなピンク色に煌めく光球。
大きさはメロンほどと小振りだが、極限まで凝縮された光の魔力は他の魔法の比ではなく、まさに『旭日』を宿す者にのみ許された究極の奥義と言える。
神々しい気を放つその魔法に、眺めている者たちも目を奪われ、感嘆の息を漏らしていた。
大気中または地脈から湧く瘴気を浄化する程度ならば単なる魔力拡散でも充分だが、この規模の源泉を浄化するとなると相応の魔法を用いなくてはならず、初代『聖女』も試行錯誤したそうだ。
「……いよいよね」
初めての源泉浄化ということで、テルサの顔にも不安と緊張が滲んでいた。
汚水が溜まった湯舟に固形洗剤を投下するように、テルサが『邪を浄める救世の旭光』を瘴気の源泉へ放り込む。
光の球が黒い泉に沈み切った瞬間、まるで間欠泉を何十倍にもしたような勢いで噴き上がり、そこから無数の、白銀の煌めきを帯びた美しい虹色の泡がポコポコと立ち昇り始めた。
泡は爆発的に増えて拡散、そこら中をフワフワと漂う幻想的な光景となった。
「これが泡状になった魔素、か……」
指先でツンと触れてみると、たちまちシャボン玉のように弾けた。
魔素がこのような泡状に変化するのは何故なのか、それは『邪を浄める救世の旭光』を編み出した初代『聖女』にも分からなかったようだ。
禍々しさを湛えていた源泉は次第に色が変わっていき、吐き出す泡と同じ、魔素本来の色彩を取り戻していく。
未だ空には瘴気が立ち込めて辺りは暗いままだが、源泉が浄化されて正常な魔素が湧くようになった以上、いずれ薄れて元に戻る。
「テルサ様、これは……」
「ええ。浄化成功よ」
着けていた吸気浄化マスクを外して、もう害が無いことをテルサが身を以て示す。
今回の『邪神の息吹』が始まって五十年、瘴気を無尽蔵に吐き出してあらゆるものを蝕み続ける源泉に、この地の誰も手出しできず、辛く厳しい時期をただひたすら耐え忍ぶのみだった。
しかし今、三百年振りに忌まわしい源泉の浄化が成し遂げられた。
立ち会った者たちは皆、この成功を喜び、感動に打ち震え、神に感謝し、それを成し遂げた『聖女』テルサを口々に讃えた。
そのテルサはと言うと、歓声に応じてはいるものの表情が優れない。
「魔力をごっそり使ったから、ちょっと気分が悪いわ……」
目眩や頭痛、吐き気などの体調不良は魔力欠乏症の典型だ。
「どうぞ。少しは楽になるでしょう」
すぐに駆け寄り、手持ちの魔力回復魔導薬をテルサに渡す。
この魔導薬自体に魔力や魔素が込められている訳ではなく、摂取した魔素から魔力を生成する体機能──『魔力変換力』を高める効果があるに過ぎない。
「ありがとう。結構楽になったわ」
「源泉が浄化されたとは言え、また新たな敵が現れるかも知れません。今度はどうか我々にお任せ下さい」
『旭日』は魔力放出力だけでなく、魔力変換力と魔力保有力に於いても桁違いだが、大きな浴槽ほど満杯になるまでに時間が掛かるように、再び源泉を浄化できるほどの魔力を回復するには、テルサと言えども相応の時間と魔素を要する。
次の源泉に着くまでに回復を済ませて貰わなければならないため、魔力回復魔導薬も大量に持って来たが、聖騎士団とて次なる襲撃に備えて魔力を回復しなければならず、持参した全ての魔力回復魔導薬をテルサだけが使える訳でもない。
目的の源泉の浄化のために魔力を温存するか、円滑な行軍のために魔力を使うか。
初代『聖女』や当時の聖騎士団も直面し、大いに悩まされたであろう問題だ。
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