#86 魔の地の洗礼 その2 (ラウル視点)
「テルサ様、暫しお待ちを。直ちに排除します!」
群がる変異ゴブリンを背中から斬り捨て、これで一安心と思いきや、
「ミノタウロスの変異個体が出たぞォーッ!!」
誰かが不穏な名前を叫ぶと同時に、ズシン、と大地が踏み鳴らされた。
ミノタウロスとは、牛の頭部を持つ亜人型魔物である。
身の丈は六メートルほど、雑食性で凶暴、縄張り意識の高さ故に人間を見ると猛然と襲い掛かって来ることから、非常に危険度の高い魔物として認知されている。
今現れたのは変異ミノタウロスで、角の数が通常個体よりも明らかに多く、非常に大柄な上に体色も毒々しい紫色に染まっていた。
我々を目視するや否や、まるで肉親の仇でも見つけたような憤怒の形相を見せ、猛々しい雄叫びと共に全速力で向かって来た。
「防御態勢を取れ!」
今周りに居るアンデッドや他の変異魔物とは比較にならない強敵を確認、ゼルレーク聖騎士団長が指示を出す。
途上のアンデッドや変異魔物を滅茶苦茶に殴り散らして、あっと言う間に変異ミノタウロスが目前まで到達した。
「「「『不壊の金剛壁』ッ!!」」」
聖魔術師たちによる防御魔法が発動、亀甲を想わせる光の障壁が展開した。
複数人が魔力を合わせて一つの魔法を発動するあれは、『合同魔法』と呼ばれる技術だ。
テルサを召喚した『招聖の儀』も合同魔法の一種で、上手くすればあのように、一人では発動できないような高度な魔法も使えるのだが、各自の魔力の相性や発動タイミングといった条件をクリアしなければならず、見た目ほど簡単ではない。
岩をも砕く変異ミノタウロスのストレートパンチは、強固な『不壊の金剛壁』に見事に弾かれて失敗に終わる。
「今だ、掛かれ!」
弾かれた衝撃で体勢が崩れたのを見計らってゼルレーク聖騎士団長が号令、聖騎士や聖魔術師が攻撃に転じる。
怒涛の攻撃が変異ミノタウロスに叩き込まれ、深手を負わせることに成功した。
通常個体ならばこれで仕留められたかも知れないが、変異個体は肉体の耐久性も向上していることが多く、このミノタウロスもその例に漏れなかったようだった。
深手を負った牛頭巨人がガパッと口を開けたのを見て、攻撃が来ると直感した聖魔術師たちが再び『不壊の金剛壁』を展開した。
直後、毒々しい紫色のガスが吐き出され、瞬く間に辺りに拡散し始めた。
至近距離に居てそれを吸ってしまった者たちの顔がたちまち蒼褪め、悶え苦しみ、真っ赤な血を吐いて崩れ落ちていく。
「このミノタウロス、毒持ちか……!」
通常個体が駆使する攻撃手段は物理的なものばかりで、あのように毒を吐くことなど無い。
『不壊の金剛壁』は、テルサの輿の結界のように対象物を完全に覆うものではなく、盾か壁のように一面に展開するものであるため、広範囲に撒かれたガスには相性が悪い。
「し、しまった……!」
「だ、駄目だ……間に合わ──」
治癒魔法や解毒魔導薬を使えば、毒を受けても深刻な状態には陥らないのだが、『不壊の金剛壁』に意識と魔力を集中していた聖魔術師たちは反応が遅れ、猛毒のブレスを吸い込んでしまっていた。
変異魔物の厄介な点として、同種の魔物でも個体ごとに全く違った変異を遂げるため、新たにどのような性質を得ているか読めず、このように予想外の攻撃を受けてしまうことが挙げられる。
「まずい、『不壊の金剛壁』が消滅してしまった……!」
護りを失い無防備になった所で変異ミノタウロスが圧倒的なパワーで蹂躙、聖騎士団もアンデッドも他の変異魔物も、視界内で動くもの全てを無造作にぶん殴って吹き飛ばしていく。
「暴れ牛め、手が付けられない……!」
辛うじてまだ戦えはするものの、毒を受けてしまって私も体の動きが鈍く、意識も少しぼやけてしまっている。
薄暗い一帯にあって煌めく結界に興味を惹かれたのか、変異ミノタウロスがギロリと輿を睨み付け、すかさず攻撃。
「きゃあああああああああ……ッ!!」
『聖女』付きの侍女リナリィの悲鳴が輿の中から上がる。
悲鳴が心地良く聞こえたのか、それとも思ったより頑丈な結界に苛立ったのか、どちらとも取れる雄叫びを上げた変異ミノタウロスは、ドゴドゴと怒涛のラッシュを叩き込んでいく。
「早く何とかして……! このままじゃ破られるわ……!!」
テルサは悲鳴こそ上げなかったものの、その声には焦燥感が滲んでいた。
彼女の言葉通り、変異ミノタウロスの拳を浴び続ける結界に見る見るヒビが入っていっており、突破は時間の問題だ。
最優先で、あの変異ミノタウロスを倒さなくては。
皆が四方八方から怒涛の攻撃を加えるも、激情で痛みさえも忘れてしまっているのか、変異ミノタウロスの勢いは全く衰えない。
止めとばかりに、変異ミノタウロスが両の拳を組み合わせる技、いわゆるダブルハンマーを振り下ろす。
破壊的な一撃で限界を迎えた結界が、甲高い音と共に砕け散った。
「まずい、結界が……!」
結界が失われれば輿自体の防御力などたかが知れており、ミノタウロス相手ではパンチ一発で木っ端微塵になってしまう。
変異ミノタウロスが再び拳を振り上げたその瞬間、
「──調子に乗らないでくれる?」
輿の窓が開いて、冷たい言葉と共にテルサが掌を翳した。
「『蛇行する輝鎖・受難の磔刑』」
光属性の拘束魔法が変異ミノタウロスを襲い、五体に巻き付いて動きを封じ込める。
通常の『蛇行する輝鎖』が術者の手から光の鎖が伸びて標的に巻き付くのに対し、『受難の磔刑』は虚空から鎖が伸びて標的を拘束、磔にされたような無防備な体勢で固定してしまう。
消費する魔力が多く扱いも難しい分、拘束力も耐久性も射程も『蛇行する輝鎖』とは段違いだ。
並外れた筋力を持つ変異ミノタウロスと言えども、光の極大魔力『旭日』による『蛇行する輝鎖・受難の磔刑』を引き千切ることは不可能なようで、鎖はビクともしていなかった。
力技では抜け出せないと理解した変異ミノタウロスが、再び大口を開けて猛毒ブレスを吐き出そうとするが、
「させるとでも?」
読んでいたテルサによって口にも『蛇行する輝鎖』を巻き付けられ、沈黙を余儀無くされた。
「『慈愛の加護領域』」
更にテルサは広範囲の治癒魔法を発動、半径二十メートルに亘って地面に円形の光が広がり、中に居る聖騎士たちを包み込む。
我々の身を蝕んでいた毒も完全に分解、皆の顔に失われかけていた戦意が再び漲る。
「さ、流石は『聖女』様……!」
「これならまだやれるぞ!」
「この機を逃すな! 攻めて攻めて攻め立てろ!」
『聖女』テルサが加勢した途端、形勢は一気に逆転した。
動きさえ止まってしまえば、如何なる魔物も単なる的でしかなく、復活した我々の攻撃をただひたすら受け続けるのみ。
「喰らえッ!」
「地に伏せるがいい!」
私とザッキスが両脚の腱を同時に斬り付け、変異ミノタウロスをうつ伏せに転倒させる。
全身はボロボロで既に虫の息、反撃の余力も気力も失われていたようだった。
少しばかり哀れな気がしなくもないが、殺らなければこちらが殺られてしまう。
「覚悟せよ!」
丁度良い高さまで降りて来たその頭部を狙って、ゼルレーク聖騎士団長が最後の斬撃を振り下ろす。
頭蓋を真っ二つに叩き割られた変異ミノタウロスは絶命、残っていた他の魔物も順次討伐されていき、戦いは勝利に終わった。
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