#81 聖なる遠征 (ラウル視点)
栄耀教会が所蔵する『サウル教典』には、三百年前に加筆された『聖女の章』という箇所がある。
名前からも分かる通り、当時召喚された初代『聖女』の活躍を謳った伝説で、その内容は以下の通りだ。
聖なる乙女を讃美せよ
光の主の導きにて 異界の日の本より招かれり
忌まわしき闇 冷淡なる月
幾星霜の眠りを経て 邪神再び目覚め息吹く
天地は乱れ 実りは枯れ尽き 蔓延る病に限り無し
蠢く屍 狂いし獣 明けぬ闇夜に咆哮絶えず
聖なる乙女 大いに嘆く
聖なる乙女を讃美せよ
光の主より賜りし その身に宿す旭日を
至高の光は天地を照らす
長き闇夜は天明を迎え 情熱の朝が絶望を祓う
蒼き空は万里に広がり 恩寵満ちて実り齎す
祝福の光は生命を癒す
傷ある者 病める者 救いの光に隔て無し
苦痛の時節は末を迎え 我ら新たな誕生を祝わん
守護の光は悪災を鎮める
黒き泉は浄められ 邪神は彼方へ消え去れり
蠢く屍 狂いし獣 夜明けと共に咆哮絶える
聖なる乙女 大いに喜ぶ
聖なる乙女を讃美せよ
天の主より賜りし 旭の光が現世を照らす
晴れ渡る空 豊穣の大地 我らが国は救いを得たり
勇猛なる皇帝 仁徳の教皇 正義の眼は隣国へ
聖き大戦の火蓋を切り 神託の剣が暴君破る
被虐の民草は解放され 光の教えを分かち合う
我らが国は高みへ上り 不滅の栄光を授かれり
聖なる乙女 永久に見守る
第一節では『邪神の息吹』による被害と『聖女』の召喚を、第二節では『旭日』による人々の救済を、第三節では隣接していたラッセウム帝国への『聖戦』とその勝利を、それぞれ謳い記している。
これを元にした演劇や詩吟、書籍が数多く生み出されたため、内容自体は世間一般にも広く浸透しており、私の場合は幼少の頃、就寝前に母アイリーンが絵本を読み聴かせてくれた。
「さあラウル、もう寝ましょうね」
優しい語り口調、床に就く私を見つめる慈愛の瞳。
当時の私が最も安らぎを時間だった。
「ねえ母上、『聖女』さまはまた来るかな?」
その頃には既に今の『邪神の息吹』が始まっており、父は任務に追われて家にも滅多に帰って来ず、母がその寂しさを埋めてくれた。
「そうね。いつかきっと来て、みんなを救って下さるわ」
今にして思えば、あの時から既に『招聖の儀』の準備が進んでおり、父もそれに加わっていたことを、レヴィア皇后の聡明さを受け継いでいた母は勘付いていたのかも知れない。
「もし来たら、僕が『聖女』さまをささえるよ。父上みたいなりっぱな聖騎士になって、『聖女』さまといっしょに、困ってる人たちをみんな助けるんだ」
「まあ頼もしい。その時が来るのを楽しみにしてるわ、未来の聖騎士さん」
しかし、晴れて聖騎士になった私を見ること無く、母は『邪神の息吹』で狂暴化した変異魔物に襲われ、この世を去ってしまった。
誉れ高き『聖なる一族』エーゲリッヒ家の男子として、高貴なるウルヴァルゼ皇族の血脈を受け継ぐ者として、母のような者を増やさないため、務めを立派に果たすと誓った。
技術を磨き、知恵を蓄え、剣を握り、命を燃やす。
いつかこの国に再来する『聖女』に、私の全てを捧げて尽くす。
それこそが神の御意思であり、国家の正義であり、そこに属する全ての者の救いになると信じて。
「ここがコーウォール地方、ウィルドゥ領か……」
帝都エルザンパールを発って五日、私はこの地を訪れた。
旧くはラッセウム帝国領だったコーウォール地方は、肥沃な平地が広がる国内有数の穀倉地帯として広く名が知られており、我が国の食糧庫の役割を担っている。
血液が血管を通じて人体を巡るように、魔素は地脈を通じて世界中に行き渡る。
生物は摂取した魔素から魔力を練り、魔力は魔法となって放たれた後、再び魔素に戻って世界に拡散する──これが魔素の循環だ。
地脈や源泉が多くある土地は魔素が特に豊富に湧く訳だが、コーウォール地方の場合は単に地脈と源泉の数が多いだけでなく、溢れる魔素が特に強い地属性を帯びているために土壌が活性化、作物の生育を促進して大いなる実りに繋がっているのだ。
と、これだけ聞くと誰もが羨む肥沃な土地なのだが──
「聞いてはいたが、想像以上に酷いな……」
今、私の目の前に広がるのは、恵みや豊穣とは掛け離れた地獄絵図。
かつては見渡す限りの小麦が実っていたであろう広大な畑は、土壌はどす黒い色に染まって乾き切り、作物どころか雑草さえ疎らな状態で、家畜や人の骨が散乱するという悲惨な有様だった。
「まったくですよラウル様。こんなにも凄まじい瘴気、見たことがありません」
私と馬を並べる聖騎士が、呆れたように声を上げる。
正午だというのに、空には蒼みも無ければ白い雲も無く、あるのは瘴気によって作り出された禍々しく赤黒い風景だけ。
おまけに太陽の光がほとんど遮られているため、晩秋の如き寒気が満ちていた。
「今までの所も酷かったけど、ここはその比じゃありませんね。こんな所でよくまあ人間が暮らしていけるものかと、感心せずにはいられませんよ」
やたらお喋りな彼の名は、グーネル・ロピンズ。
ロピンズ家はエーゲリッヒ家の譜代家臣──いわゆる「寄子」であり、聖騎士の階級こそ対等だが父から私を補佐するよう言い付けられているため、事実上の私の部下と言っていい。
「吸気浄化マスクで顔一面を覆っていても、死臭が強過ぎて不快感が全然消えない。お陰で酒が台無しですよ」
職務中に飲酒するなど聖騎士としてあるまじき行為なのだが、共に歩く他の聖騎士や、更には隊長格の中にさえこっそり飲んでいる者が居る以上、グーネル一人を注意することも憚れてしまう。
彼が放り投げた空の酒瓶が、道端に転がっていた腐敗した犬の死骸に命中、啄んでいたカラスの群れがバタバタと飛び去った。
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