#68 改変する時 (カグヤ視点)
「『自在なる時空の意志・改変する運命』」
特級の魔導書からダウンロードした魔法を発動した直後、私の世界は、伸ばした腕の先が見えなくなるような暗闇に包まれた。
この世界に召喚された時に見た光景と同じだが、これは時空の狭間。
時間と次元を超越し、産卵のために川の流れに逆行する鮭の如く、私の身が過去へと遡っているのだ。
程無くして景色が戻り、私は先程の皇帝の寝室ではなく、また別の寝室に立っていた。
皇帝の寝室かと思って侵入したこの部屋は皇族の姫君──年齢的に恐らく皇帝の孫娘の部屋だったのだ。
ベッドに横たわる蒼い髪の姫君は、何も知らずスヤスヤと寝息を立てている。
「二十三時五十八分……良かった、ちゃんと戻ったわ……!」
窓の向こうに聳え立つ時計塔は、一度過ぎ去ったはずの時刻を示していた。
『自在なる時空の意志・改変する運命』──それは時間を最大で十分間巻き戻し、過去へ遡る魔法。
私がダスクの元に辿り着いた時、皇帝の寝室にあった置時計は零時を示していた。
ならば彼がケルド帝を殺害したのが、その少し前の二十三時五十九分頃となるため、その少し前に戻るように調整した。
一度起きた運命は固定され、術者が何らかの影響を及ぼさない限り、前回と寸分の狂いも無い出来事が繰り返される。
今度は、皇帝の寝室がどこにあるか知っている。
先程は場所が分からなかったために間に合わず、ダスクによるケルド帝殺害を許してしまったが、いつどこで何が起きるか知っている今ならば、迅速な行動で阻止が可能だ。
すぐに皇帝の寝室へ転移したその時、運命の瞬間が訪れようとしていた。
「でぇええええええええええええええい……ッ!!」
剣を振り上げたケルド帝が、気合いの掛け声を上げてダスクに迫る。
あれが今のケルド帝が出せる全力だろうが、卓抜した戦闘力を有するダスクには牛の歩みも同然。
「──さらばだ」
せめて苦痛は与えまいと、ダスクが首を狙って剣を振り抜こうとする。
時は今。
手の魔導書が紫に輝く。
「『自在なる時空の意志・静止する現世』ッ……!!」
ジェフとエレノアの前で披露した、時間を止める魔法。
時が止まればあらゆるものの動きは完全に固定され、認識して自由に行動できるのは術者だけ。
「今度は間に合いました、辛うじて」
ダスクが振った剣はケルド帝の剣を易々と折り、喉首の一センチ手前という、絶妙に際どい所で止まっていた。
時間が停止している間は、止まっているものにどんな攻撃を加えようとも掠り傷一つ付けられず、形も変えられず、どんな魔法も効果を与えられないが、止まった物体の位置を動かすことは可能だ。
石像の如く全身が硬直したケルド帝の足を引っ掛け、床上にゴロンと寝かせ、ダスクの斬撃の軌道から外す。
「──時は再び動き出す」
『静止する現世』が解除、止まっていた全てのものに動きが戻る。
ブゥン、と凄まじい速度でダスクの剣が通過するが、もうそこにケルド帝は居ない。
「何……ッ!?」
時の停止を知覚できないダスクには、ケルド帝がフッと消失したように映ったことだろう。
斬撃は無人の空間を斬り裂き、両断された剣が床上で音を立てる。
今まさに、一度は死を迎えたケルド帝が生き延びるという、運命の改変が為された。
「来たのか、カグヤ……」
「はい」
『静止する現世』と同様、『改変する運命』による時の遡上を認識できるのも術者である私だけ。
これが「二回目」だとは、ダスクもケルド帝も夢にも思っていない。
「一体何が……そ、其方は、何者だ……?」
決死の覚悟を決めて斬り掛かったはずが、いつの間にか床上に寝転がされているという不可解な現象にケルド帝が困惑する。
「申し訳ありませんが皇帝陛下、その質問にはお答えしかねます」
狼狽する彼に手を翳し、
「『寝坊の常習犯』」
闇属性の催眠魔法を掛けて、夢の世界へ送り出す。
「『原点へ立ち返る期』」
『改変する運命』と同じく時を戻す魔法だが、こちらはタイムリープではなく、付近のあらゆるものの時間を巻き戻して、元の状態、元の配置に戻すというものだ。
以前、鑑定水晶やサリーの傷に対して無意識に施した効果だが、今では明確な意志を持って、より精密に行える。
「これは……全てが元に戻っているのか……?」
ダスクによって破壊されたベッドが修復され、破れたシーツも元通りになって敷かれ、真っ二つになった剣も傷一つ無い状態で壁に掛かる。
眠り込んだケルド帝がベッドの上に横たわり、その上に毛布が掛かり、全てはダスクが彼を襲う前の状態へ戻った。
「『彼方への忘却』」
修復して痕跡を消し去れば、残る処理は記憶のみ。
「どうぞ、今夜のことは全てお忘れ下さい」
眠る皇帝の額に手を当てる。
これで彼は、私のこともダスクのことも朝目覚めた頃には完全に忘れているか、或いは単なる夢として気にも留めないだろう。
「……俺を止めに来たのか、カグヤ」
「はい」
あの手紙を置いてきた以上、私がここへ駆け付けることも想定していたはずだ。
「何故止める? その男もウルヴァルゼ皇族も君とは何の関わりも無い連中、栄耀教会に至っては君を殺そうとした連中だ。消えて貰った方が君には都合が良いはずだが」
「損得で考えればその通りかも知れません。ですが、私が本当に助けたいと思う相手はダスクさん──あなたです」
彼らを殺せばオズガルドたちももうダスクを助けることはできず、彼は完全に孤立する。
「……恨んでいた人たちを手に掛けてしまった私が言えることではありませんが、復讐は不幸しか招きません。どうかそのような暗黒の道へ歩を進めないで下さい」
その相手が皇帝や皇族、栄耀教会の重鎮ともなれば、その死は国中に多大な影響を及ぼし、社会が大混乱に陥る。
そうして被害を受けた者たちが、今度はダスクへ復讐心を燃やして争いが起き、最終的に悲惨な末路を辿るであろうことは火を見るよりも明らかだ。
「……以前倒したレイス──レンポッサが言ったことを憶えているか? 自分の復活は復讐せよという天啓に他ならない、と」
あらゆるものに見放され、人を恨み世を呪いながら死んだ後にアンデッド化したという点で、ダスクとレンポッサ卿は共通している。
「私とて、あなたやレンポッサ卿の復讐心を否定している訳ではありません。あなた方の境遇を思えば無理からぬこと。ですがせっかく取り戻した命、復讐ではなく、希望ある第二の人生を歩もうとは思わなかったのですか?」
「人間として蘇ったのであれば、そんな風に前向きに考えられたかも知れないな。しかし俺はヴァンパイア、闇に生きる不死者だ。もう人間としては生きられないし、人間と認められることも無い。太陽から隠れ、恐怖と嫌悪の視線に晒され、生者の命を喰らって永遠を生きる道しか無い。……そんな光明の無い、暗黒の未来しか無い俺に、どんな希望を持てと言うんだ?」
いっそ開き直って悪に堕ちてしまえば気が楽だったのかも知れないが、カルディス王弟との出会いで人としての誇りに目覚めた彼には、今更そんな堕落は選べなかった。
「過去の恨みと、不死の命と、闇の力以外に何も無かった──だから復讐にしか蘇った意味を見出せなかった、ということですか。しかし、あのケルド帝は……」
ダスクたちを欺き、陥れたのは三百年前のベナト王と当時の栄耀教会であり、ベナト王の末裔であるケルド帝に対して直接の怨恨は無い。
「俺もできることなら、当時の内に復活したかったさ。だが恨んだ連中は時の彼方へ消え去り、残っているのはその子孫と教団だけ。先祖への恨みを子孫にぶつけるのが理不尽だと、頭では理解できている。しかしもう他に相手は居ない」
この世で最も深い因縁は「血の繋がり」だ。
血の繋がりさえ無ければ、私が手に掛けてしまったあの人たちも、私に信仰を強要したりはしなかった。
「復讐が完了したその後……ダスクさんはどうするつもりだったのですか?」
その問いに対する彼の気まずそうな沈黙で、私は察した。
「まさか……最後は自分自身さえも葬り去る気でいたのですか……?」
「……アンデッドは誰も救わない。他人も、そして自分自身さえも。ただ不幸を招くだけの、この世に居てはならない存在だ」
暗く沈んだその声に滲むのは、悲哀と絶望、そして孤独。
私もかつて、同じ想いを抱いていたから分かる。
しかし──
「それは違います、ダスクさん。あなたが蘇ったお陰で救われた者が、少なくとも一人ここに居ます」
ダスクが助けてくれなければ、あの夜の時点で私の命運は尽きていた。
「あの冥獄墓所に葬られていた大勢の中で、あなただけが復活したのは何故か、それは私にも分かりません。ですが、きっとそれは『復讐』という過去に対してではなく、『希望』という未来に対してこそ意味を持つもの──私はそう信じています」
この世界で果たすべき役割があって、私は招かれた。
この時代で果たすべき役割があって、彼は蘇った。
だからこそ、私たちはあの夜に出会ったのだ。
「……そういう君はどうなんだ? 俺が望んでアンデッド化した訳じゃないように、この世界への召喚も、闇の極大魔力も、謂れ無き罪を着せられて潜伏する生活も、どれも君が望んだものじゃない」
実の親を殺めたり、悲惨な過去を持つという点でも私たちは共通している。
「そんな君にはあるのか? この世界で生きる意味が。未来への希望とやらが」
ダスクはまだ知らない。
まさにこの夜に見出した、私が秘める可能性を。
未来への希望を。
「──あります。来て下さい」
ダスクの手を取って転移、私たちは皇帝の寝室を離れた。
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