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#58 天国と地獄 その5 (ダスク視点)

「なあダスク、本当に帰る気は無いのか?」



 後ろから付いて来るグロームが、不安を滲ませた声でそう言った。

 荷物を抱え、夜中にこっそり宿舎を抜け出した俺に気付き、弟は追いかけて来た。



「……帰って何になる。また死と隣り合わせの過酷な日常に戻れってのか? もううんざりなんだよ。俺は俺の生きたいように生きる」



 そう言って歩き出そうとする俺の前に、グロームが立ちはだかった。



「ここで逃げたら、きっともう誰もお前を人とは見てくれなくなる。誰からも信じて貰えなくなるって分かってるのか?」

「分かってないのはお前の方だ、グローム。殿下は俺たちを戦いの道具、使い捨ての駒としか見てないんだ。あのクソ親父と何も変わらねえ。親切は善意なんかじゃなく、そうやった方が俺たちが犬みたいに尻尾を振ってよく働くと思っての打算、つまりは偽善に過ぎないんだよ」



 弟以外に誰も信じられない環境で生きてきた俺には、他人が向ける笑顔や善意が全て、醜い欲望や卑しい悪意を覆い隠す仮面のように思えてならなかった。

 栄耀教会の聖職者の中には、口では神への奉仕や正義を説き、弱者に寄り添う素振りを見せながら、縋ってきた無垢な少女を慰み者にして(もてあそ)んだり、聖騎士を従えて暴力的に借金の取り立てを行ったりと、悪魔も真っ青の非道を働く者も数多く居た。



 神の従僕たちでさえそんな有様なのだから、その他の者など猶更信用できない。



 何よりカルディスは王族。

 王侯貴族からすれば、俺たちのような卑賤の出など二本足で歩く犬も同然で、実際にそんな風に軽蔑してくる連中も大勢居た。

 凶暴な野良犬を調教して従順な闘犬に仕立て上げ、イーバたちのようにいつか死ぬまでこき使う。

 上流階級のやりそうなことだ。



「暗黒の時代だぞ? 少し優しくされた程度で甘い夢を見るんじゃない。現実を見て、力と命は自分のために使え」



 この世のどこにも救いは無く、あるのはただ悪夢のみ。

 好きに生きて何が悪い。



「お前も来い。また昔のように、兄弟二人で生きるんだ」

「悪いが、もうあの頃には戻らない。仲間も誇りも務めも放棄した、堕落の道なんざ御免だ」



 兄として差し出した善意をきっぱりと拒絶された俺は、頭に血が上って声を荒らげた。



「グローム、お前……俺に逆らうのか! 今まで生きてこれたのは、誰のお陰だと思ってやがる!」

「気付いてないのか、ダスク。お前のその言い方……親父にそっくりだぞ。俺たちはようやく人としての道を歩み始めたんだ。ここでまた踏み外したら、死ぬまでずっと卑しい野獣のままだ! 間違い無く親父みたいに惨めな最期を遂げる。それでいいのかよ……!?」

「今のまま、命じられるがまま戦い続けても同じことだろ。ボロボロになるまで戦わされて、イーバたちのように魔物に喰われて終わる。お前はそんな死に方が望みなのか?」



 逆らう力も意志も持てないまま、上位者の都合で家畜のように死んでいく人間は後を絶たない。

 酷い者は、自分がそうだという自覚が無いまま骨の髄まで利用され続け、長々と苦しんだ挙句、取り返しの付かない最後の時になってようやく気付き、後悔と絶望に(もだ)えながら死んでいく。



「なあダスク……人は何のために生きるのか、考えたことがあるか?」

「何だよ急に」



 幼い頃から苦しい日々を生きるのに精一杯だった俺には、そんなことを考える余裕など無かった。



「セレナ様が言っていた。人は『天国』に行くために生きるのだと。人生とはそのための試練だと」

「……『天国』だと? お前、何言ってんだ……?」



 栄耀教会に忠実に従い、信仰を貫き通した者だけが、死後にサウル神が住まう『天国』に導かれ、あらゆる苦痛と恐怖から解放されて永遠の安楽を得る──聖職者たちにそう説教されて、どれだけの者が金と時を騙し取られていったことか。

 そんな腐った現実を共に見てきたグロームの口から、反吐が出るほど美しい言葉が出て来たのだから、耳を疑わずにはいられなかった。



「誰だって死ぬのは怖いさ。だが誰もがいつかは死ぬ。だったら俺は胸を張って、誇り高く死にたい。俺の人生には間違い無く意味があったと、俺が居たお陰で救われた誰かが居ると、最期の瞬間まで信じていたい。きっとイーバたちがそうだったはずだ。誇りと充実感を抱いて人生を終える──その死に際そのものが『天国』なんだ」



 悲惨な人生でも、死に際に満足できれば勝利。

 裕福な人生でも、死に際に後悔が残れば敗北。



 動物や魔物など、他の生き物では得られない、知性ある人間だけの領域。

 それが、カルディス王弟やセレナを通じて見出した、グロームが信じる『天国』だった。



「ダスク……お前が向かうその先に、本当に『天国』はあるのか? 後悔はしないのか?」

「……うるさいぞ」



 グロームのその問いが、強い眼差しが、俺の胸に痛みを走らせた。



「確かに苦しい日々だ。不安を感じて、投げ出したくなる気持ちも分かるさ。だが、名誉も誇りも棄て、信頼を裏切り、道を踏み外して、目的も無くたった一人で生きるなんて、生きながらの死人、アンデッドと何も変わらない」

「うるさいっつってんだろうが! 俺に偉そうに説教するんじゃねえッ!」



 胸の痛みが我慢の限界に達した俺は、怒りに任せてグロームを殴り飛ばした。



「……本当に親父そっくりだな。所詮、屑の子は屑か」



 ペッと血混じりの唾を吐いて、グロームが嘲笑する。



「何だとォ……!?」



 立ち上がった弟に再び怒りの拳を飛ばすが、今度はヒョイと躱され、逆にカウンターパンチを喰らってしまった。



「……グローム、お前……やりやがったな……?」

「言っても分からないのなら、こうするしか無えだろうが。理解できるまでぶちのめしてやるから、今の内に包帯を用意しな」



 臨戦態勢に入ったグロームに合わせて、俺も格闘の構えを取る。



「よ~し、いいだろう。なら負けた方が勝った方に従う。それでいいな?」

「ああいいとも。逃げ出す機会を窺って手を抜いていたお前と違って、俺は真面目に訓練を受けてきたんだ。その成果を見せてやるよ」



 喧嘩したことは何度もあったが、この時ばかりは違った。

 兄と弟の喧嘩ではなく、男と男の決闘だった。



 本気で殴り合い、そして──終わる頃には朝日が昇っていた。



「申し訳ありませんでしたッ!」



 カルディス王弟とセレナ、そして親衛隊の面々の前で、グロームが必死に土下座する。

 ボコボコに殴られ、反抗することも立ち上がることもできなくなった俺を、グロームはカルディス王弟の元まで文字通り引き摺って来た。



「ダスクもこの通り、反省してます! どうか、どうか赦してやって下さいッ!」



 俺の顔面を地べたに叩き付けて、グロームが更に詫びる。



「……申ひ訳、ありまへん、でひた……」



 ボロボロになった口で、間抜けな声で謝罪の言葉を口にすると、



「……レヴラン、治癒魔法を」

「はい」



 カルディス王弟に従い、レヴランの掌から放たれた光が俺を包む。



「また明日から訓練だ。罰としてお前は特に厳しくしてやるからな」



 フフッと笑んで、かなり酷なことを告げるカルディス王弟。

 逃げ出したことへの責めの言葉は、彼の口からは一切出て来なかった。



「お帰りなさい、ダスク」



 グロームの拳を散々浴びて腫れ上がった俺の顔を撫でて、セレナがにっこりと微笑む。



「……ただひま、もどりまひた」



 何故、グロームとの決闘に負けたのか。

 実力的には大きな差は無く、どちらが勝ってもおかしくなかったが、勝敗を分けたのは何か。



 恐らくそれは「覚悟」の有無だったのだろう。



 カルディス王弟を見限ったと言いつつ、グロームに見透かされていた通り、俺の中には未だ迷いがあった。

 本当にこのまま逃げ出していいものか。

 自分を認めてくれた者たちに背を向けて、かつての暗黒の道に戻って、絶対に後悔はしないのかという迷いや躊躇いが、覚悟の欠如が、俺を僅かに鈍らせたのだろう。



 グロームは既に、進むべき道を定めていた。

 カルディス王弟に従い、仲間たちと共に戦うことこそが、自分の運命だと信じていた。

 その果てに命を落とす未来が待ち受けていたとしても、覚悟を決め、誇りを胸にその運命を受け入れられれば、自分にとっての幸福──すなわち『天国』なのだと疑っていなかった。



 ならば、もう一度懸けてみようかと思った。



 暗闇の底から生まれ、悪事に手を染めた俺でも、人生の意味を見出して『天国』へ行けるかも知れない、と。

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