#50 静止する時 (カグヤ視点)
日没を迎え、時は夜。
暗くなった東の空から真円を描く月が昇り、私の魔力の解放条件が整った。
「今日は帝都から離れた、遠い場所に行きましょう」
「何故でしょうか?」
エレノアの提案に、私は首を傾げる。
これまでの魔法訓練は、帝都から離れてこそいたが、街灯りが見える程度には近い場所で行ってきた。
「特級の魔導書に秘められた禁断の大魔法──それがどんなものなのかは分かりませんが、帝都の近くでそれを使えば、直接的な被害が無かったとしても、何らかの影響が及んで市民が怯えかねませんから」
「……それもそうですね」
人目に付かないに越したことは無い。
「今日は僕も行くよ」
ひょいと顔を出したのはジェフ。
「ジェフさんも、ですか?」
「あれ、行っちゃ駄目? 意地悪だなぁ、カグヤは」
「そんなことはありませんが……何故でしょうか?」
「だって、特級の魔導書の魔法を試すんだろう? 僕だって魔術師の端くれだ。編み出した古の大賢者以来、誰一人修得できなかった伝説の魔法と聞いて、黙っていられる訳が無いじゃないか」
まるで遊園地に連れて行って貰えると聞かされた子供のように、ジェフが瞳を輝かせて笑む。
魔術師一族フェンデリン家に生まれただけあって、魔法への関心は人一倍強い。
「では行きましょう」
「お待ち下さい。その前に、ダスクさんをまたお送りしなくては……」
「あれ、聞いてない? ダスクならもう出て行ったよ」
「そうなのですか……?」
毎夜、私が街中に送っていたというのに、一言も入れること無く一人で発つなど初めてだ。
気に掛かるが、まずは魔法訓練が先だ。
今夜の訓練地にエレノアが指定したのは、帝都から百キロメートル以上離れた、魔素の地脈が通う地。
すなわち、それは瘴気が満ちる地ということ。
『邪神の息吹』に対する闇の極大魔力の活用法を見出す、という趣旨なのだから、実際にそれが発生している場所を選ぶのは当然のことだ。
「しかし、こんなに離れた土地にまで簡単に行けてしまうなんてね。道中魔物に襲撃されるリスクを考えると、優に数日は掛かる距離なのに」
付近には村落も無く、最寄りの街からも十キロは離れているそうだ。
「では、ダウンロードを」
「はい」
特級の魔導書に触れて、込められた魔法情報を読み取る。
流石、と言うべきか。
これまでダウンロードしてきた魔導書とは違い、流れ込んで来る魔法情報の量が桁違いに多く、破壊的な大津波をたった一人で受け止めているような、そんな感覚に陥る。
「うぅ……」
頭の重みが倍になったように、クラクラとしてしまう。
「大丈夫ですか?」
「ええ、何とか……」
車酔いにも似た気分の悪さも感じるが、程無くして収まった。
「ダウンロードは完了した?」
「いえ、流石にまだです」
魔導書に触れたまま、それに載った魔法を使う度にダウンロードは進行していき、最終的に魔導書無しでも使えるようになれば完全修得となる。
「さて、次はどう試すかですが……」
と、エレノアが言いかけた所で、こちらに近付く気配が一つ。
「おっと、何か来たね。変異魔物かな? それとも……」
以前にもこんなことがあり、その時はレイスのレンポッサ卿とその支配下のアンデッドたちが来た。
あの時と同じく、今回もまた登場したのはアンデッド。
「な、何ですか、あれは……!?」
学校の保健室にある人体模型を彷彿とさせる、全身の皮膚を剥ぎ取って、脳や筋肉が剥き出しになった人間、とでも言えばいいのか。
しかしその筋肉の色は赤ではなく、見るからに毒々しい紫色。
手足の五指は、サバイバルナイフをそのまま取り付けたような鋭利な鉤爪へと変化、獣か両生類のような四足歩行で這い寄って来る。
「あれは……中級アンデッドの『グール』だね。生きている者を捕食するだけでなく、他のアンデッドからも魂を吸い取ることで、際限無く強くなっていく。その性質故に、成長次第では上級アンデッドすら超えてしまう、ポテンシャルだけで言えば全アンデッドの中で最高だ」
そう言ってジェフは手を前に翳し、火球を四発放つ。
それぞれ異なる軌道を描いた全弾が見事命中、爆ぜた紅蓮の炎がグールを包むが──
「ふむふむ……『火の飛球・四重奏』の全弾直撃にも耐えたってことは、それなりに強い個体みたいだね」
炎と煙が晴れた先には、皮膚が焼け焦げながらも致命的な状態には至らず、おぞましい唸り声を上げる怪物の姿。
負わせたその火傷さえ、不死身の再生能力で元通りになってしまう。
「ですが、如何に成長を遂げようと所詮は中級のアンデッド。知性は無く、知能もせいぜい犬猫より少し上と言った程度。あなたの力の前には全くの無力です」
ダスクやレンポッサ卿のような上級アンデッドの支配が不可能なのは、彼らが人間と同等の知性を保持しているからだ。
「そうですね。ですが、こうしてわざわざ出て来てくれたのです。まだ他のアンデッドも来ていませんし、ダウンロードした魔法の練習台になって貰います」
レンポッサ卿の時と同じく、このグールは私の魔力に引き寄せられて来た個体。
攻撃を浴びせたジェフではなく、私に狙いを定めて臨戦態勢に入った。
キシャアッ、と凶暴な雄叫びと共に、大きく飛び掛かって来る。
あの鋭利な爪で私の頸動脈を掻き斬り、瞬時に決着を付ける気だ。
「『自在なる時空の意志・静止する現世』」
手にした魔導書が紫の輝きを放つと同時に、腕を大きく振り上げたその姿勢のまま、その身を宙に置いたグールが、ピタリ、と止まった。
一秒、
二秒。
そして三秒が経過しても、宙で静止したまま、グールの身は一ミリたりとも地面へ近付かない。
その間に私は聖水の小瓶を取り出し、牙がズラリと並んだその口に、栓を抜いた小瓶を差し込んだ。
「──時は再び動き出す」
私の言葉を合図に、グールが活動を再開。
一気に爪を振り抜くが、既にそこに私は居ない。
「「え……ッ!?」」
様子を見守っていたジェフとエレノアが、不可解な事態に瞠目する。
二人の気付かぬ間に、私がグールの背後に回り込んでいたからではない。
攻撃を空振りしたグールが、突然悶え苦しみ始めたからだ。
「な、何が起きたんだ……!?」
「グールが、一瞬で融けて……これは聖水? いつの間に……!?」
弱点の聖水を一瓶丸ごと飲まされたグールは内側から焼け爛れ、瞬く間に融け崩れていった。
「カグヤ、一体何をしたんだ……?」
単に空間転移しただけなら、グールがいつの間にか聖水を流し込まれていた説明が付かない。
「『自在なる時空の意志』──信じられないでしょうが、この世の時間を操作する魔法です。今使ったのはその内の『静止する現世』という時間停止効果です」
闇属性の魔力は『時間』に干渉する。
時が止まっている間は、水や大気、更には天体運動までも、宇宙のあらゆる事象が完全に固定される。
その間の出来事は他の者は一切認識できず、認識や行動が可能なのは術者のみ。
「時間を操作、ね。『操作』ってことはただ止めるだけじゃなく、他にも色々とできるって考えていいのかな?」
「はい。無意識でしたが、以前は時間と空間を飛び越えたこともあります」
ただし、莫大な量の魔力を消費してしまう上、操作時間は最大で十秒程度と非常に短く、発動後も多少のインターバルを必要とする。
「確かにとんでもない魔法だけど……『邪神の息吹』への対抗手段に成り得るか、って考えると微妙だね。それなら変異魔物やアンデッドを戻す力の方が効果的だ」
「そうですね……」
とは言え、使い方次第では非常に強力なので、ダウンロードを重ねて完全修得したい。
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