#97 絶望を祓う月 その1 (モルジェオ視点)
城壁から中へ戻り、我が息子の顔を正面から見据えて告げる。
「……カルステッドよ、もうこの城は持たぬ。隠し通路を使って父上の居る帝都へ逃げ、再起を図るのだ」
皇宮や領主の城、貴族の邸宅には、有事の際に要人が脱出できるよう隠し通路が設けられていることが多く、この城も例外ではない。
父オズガルドは宮廷魔術団の総帥であるため、母エレノアと、皇立学術院に通う我が三男ジェフと共に帝都エルザンパールの邸宅に在住している。
領地を追われれば、我が一族が逃げ込める場所は他に無い。
「私はこの城に残る。後事は託したぞ」
「えっ……?」
脱出することになるとは予想していても、私が残ることにまでは思い至らなかったようで、カルステッドが眼を見開いた。
「領主が城も領地も捨てて逃げたとあっては、末代までの恥。このような事態を招いてしまった責任もある。領主として、一族の長として、最後の務めを果たさねばならん」
この期に及んで無様な真似をする気は無い。
「只今を以てフェンデリン家の家督をお前に譲る。私が囮になって時間を稼いでいる間に、お前が皆を連れて脱出するのだ」
妻マァサや娘ミレーヌなど城内のフェンデリン一族も、直接戦闘に参加できずとも、治癒や回復の魔法で負傷兵の救護を行うなど後方支援に徹している。
「何を仰るのです。逃げるなら父上も含めた全員で──」
「それはならん。私とお前が共に死んでしまえば全ては終わりだ。今なら司教や聖騎士団の眼はベリオ君に向いている」
本音を言えばベリオが奇跡を起こしてくれることに期待したいが、聖騎士団に固く護られているヌンヴィス司教をたった一人で討つというのは、彼の力量を以てしても望み薄と言わざるを得ない。
現当主と次期当主を共に失って一族滅亡という最悪の事態を回避するためには、自分と彼を囮にしてカルステッドたちを逃がすという現実的な道を選ばなくてはならない。
「フェンデリンの血と意志を保ってくれ、カルステッド。帝都へ逃れ、我が一族が再びこの地を取り戻す時そのまで」
誰にでも終わりは来る。
いつかは未来へ希望を託さなくてはならない。
予定より随分早くなってしまったが、今がその時なのだ。
「閣下、門が突破されました! 反徒が城内に雪崩れ込んで来ます……!」
傷だらけの騎士が悲鳴にも似た報告を叫ぶ。
「早く行け! 手遅れになる前に!」
最早、別れの言葉を交わしている暇も無い。
「……分かりました」
顔を悲愴に歪ませ、涙を堪えた嫡男が我が元から走り去る。
こうして、父と息子の最後の時間は終わる──はずだった。
「──いいや、我が孫カルステッドよ。逃げる必要は無いぞ」
聞き覚えのある声に、反射的にハッと振り返った。
カルステッドの肩を掴んでその場に留める人物。
「父上……!?」
我が父にしてフェンデリン家先代当主、誉れ高き宮廷魔術団総帥オズガルド・デルク・フェンデリンが、そこに立っていた。
追い詰められたことで夢か幻でも見ているのか、或いは敵が掛けた魔法の類かと思い、両眼をゴシゴシと擦ってもう一度見たが、間違い無くそこに居るのはオズガルドだった。
「私も居ますよ」
驚くことに、隣には我が母エレノアの姿まであった。
「母上まで……」
にこやかに笑む母の顔に、軽い安堵と大きな混乱を覚えずにはいられなかった。
「お爺様とお婆様……何故こちらに……!?」
帝都のフェンデリン邸へ事態を報せる使者と手紙を送りはしたが、ルーンベイルから二人が住む帝都までは、どんなに急いでも二日は掛かるため、使者から事態を知ってここに駆け付けるまでは単純に計算して四日は掛かる。
物理的に来れるはずの無い二人が、何故今ここに居るのか。
「いいえ。恥ずかしながら、まさかこのようなことになっていようとは、私もオズも来るまで全く知りませんでした」
どうやら反乱を知って救援に来た訳ではなく、ベリオと同じく、他用で訪れてこの事態に直面したという経緯のようだ。
「と、ともかく、駆け付けてくれたことは有り難く思います。しかし、こうなっては最早手遅れでしょう」
オズガルドもエレノアも国内最高峰の魔術師ではあるが、それでも都市全体が敵に回ったも同然のこの状況を覆すには、流石に力不足と言わざるを得ない。
単に反徒を鎮圧するだけなら二人の加勢があれば可能だろうが、その後の安定した統治を念頭に入れるならば、領民である反徒たちをなるべく殺さず、かつ扇動者であるヌンヴィス司教を制圧するのが理想的な勝利だ。
そんな不可能を可能にすることなど誰にも叶わないだろうから、ここで二人に頼むべきは鎮圧ではなく、カルステッドたちを安全に帝都まで送り届けて貰うことだ。
「言っただろう、モルジェオ。逃げる必要など無いと」
「ええ。この城は決して落ちませんし、この反乱は直に収まります」
不安や動揺など全く無い、不気味なほど自信に満ち足りた態度。
直後、急に空気の密度が変わって肌が縮み上がったような感覚が襲う。
「これは……ッ」
フェンデリン家は全員が優れた魔力の持ち主──『魔才持ち』であるため、魔力感覚にも秀でており、魔法が発動されればその魔力を感じ取ることができる。
感じられる魔力の波が安定しており、かつそれが継続されているということは、『火の飛球』のように瞬間的に終わる魔法ではなく、防御魔法や強化魔法のような持続する類の魔法──それもかなり強力なもののようだ。
しかし、分かるのはそれくらいで、どんな具体的に効果の魔法なのかということまでは分からない。
「何だ? 急に静かになったような……」
カルステッドの言う通り、先程まで壁越しに響いていた怒声や悲鳴、絶えることの無かった金属音や破砕音が、今の魔法を境にパッタリと途絶えた。
「閣下、ご覧下さい! 反徒たちが……!」
騎士に呼ばれて城壁の上へ戻ると、そこには理解を超えた光景が広がっていた。
「これは……倒れている……!? 反徒たちが……?」
仰向けになった亀かカエルの如く、我が城を囲んでいた者たちが一人残らず武器を手放し、地面に体を横たえていた。
何が起きたのか理解できていないのは彼らも同じらしく、その声がここまで聞こえてくる。
「何にも見えねえよおおおおッ、聞こえねえよおおおおお……ッ! 真っ暗闇、怖いよおおおおお~ッ、一体どうなってんだああァ~……!」
「オレの松明、どこ行っちまったんだよォオオオオ~……ずっと手に握ってたのによォオオオオ~……! 何でいきなり真っ暗になったんだああァ~ッ……!」
「だ、誰か、誰かぁ~……助けてええええ……ッ! どうして誰も居ないのォオオオオ~……!? 誰でもいいから返事してええェェエエエ~……!」
まるで満たされることを知らないアンデッドか、或いは譫言を繰り返す重病人を想わせるそれは、先程までの死を恐れず果敢に挑んできた姿とは真逆の、何とも弱々しく滑稽な様子だった。
「父上、これは一体……!?」
事情を知っていると思われる人物に尋ねる。
「闇属性魔法『無明の極致』だ。指定した範囲内の生物の、あらゆる感覚を遮断する。視覚、聴覚、嗅覚は勿論、痛覚や魔力感覚も奪われ、触覚も無いから武器を持つこともできず、平衡感覚も無いから立っていることさえできない」
「全ての感覚を遮断されれば、死兵と言えども全くの無力。今の彼らは、母親の胎から出たばかりの赤子も同然です」
エレノアの言う通り、地面に引っ繰り返って手足をジタバタさせ、助けを乞い求めて呻き喚く様子は、まさしく赤子そのものだ。
「神様ァ~ッ、お、おお、お助け下さいィイイイ~……」
「何とか言ってくれよォ、司教様ァアア~ッ! 神様にお祈りして何とかしてくれよォオ~……ッ!」
信仰心で死や苦痛への恐怖を克服しても、何も感じることのできない虚無の世界に放り込まれれば、どんな者だろうと恐怖を禁じ得ずパニックに陥ってしまう。
〈ど、どうしたと言うのです! 同胞よ、すぐに立ち上がるのです! 立ち上がらねば神の待つ楽園へは行けず、永遠の地獄に堕ちるのですよ! 直ちに正気を取り戻し、神に仇為す悪魔共を討ち取るのです……!〉
異常事態を察したヌンヴィス司教が狼狽も露わに呼び掛けるも、聴覚を封じられた彼らにもうその声は届かない。
今の彼らは、転がっている地面の冷たさや感触も、自分が発する声も分からず、腹を貫かれようと体が燃えようと、痛みや熱すら全く感じず、そのまま死んだとしても死んだことにさえ気付けない──そんな状態なのだ。
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