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多少の性感はあったものの、すぐにそれもどこかにいってしまう。いつまでも射かないものだから飽きてしまったのだ。全身の勇気を絞り出すように集めて、やっと声をかけてきたような気の弱そうな、おやじ――というほどの歳でもなかったが――だったから、ちょっと不思議な気もしたが……。クスリでもヤッているのかしら? 汗と小さな喘ぎ声ばかりが肌にまつわりつく。早く射っちゃいなさいよ。今日はおかあさんに電話を入れなかったから、遅くなったら心配をかけてしまう。
といっても、もちろん母親は何も知りはしない。そのことには確信がある。何故こうなってしまったのかはわからない。時代がそうだったのか、それとも何か大いなるものの意志がそうさせたのか?
いいえ、それはわたし自身の問題だわ。
彼女は自分の性癖と、それを嗅ぎわけるおやじたちの存在に気がついている。何年も前からだ。
元を辿れば、それはおとうさんだったのかもしれない。ずっと幼い頃に死んでいたが、その視線を感じた瞬間を彼女は確かに憶えている。
もっとも、こうしておやじ漁り――というのか、おやじ漁られ?――というのかが実際にはじまるきっかけとなった出来事は別にある。
夢だったかもしれない。
朦朧とした月のない夜のことだ。
大都市郊外という意味だが、田舎の電車の駅で/あるいはバスの停留所で/それとも小山の頂きの小さなお宮で、わたしは自分の匂いを嗅ぐ。写真部の合宿で、ひとりだけ一日早く帰った日のことだ。それとも学校の遠足で道に迷った日のことだったろうか? 見ると、そこには顔にあどけなさの残る女がいる。実際の年令は判別できなかったが、二十代か、それとも母親の年代くらいだろうか? でも、それはわたしだ。もしかしたら、おとうさんを事故で亡くす前のおかあさんも同じ匂いをしていたのかもしれない。
何気なく近づいたのは、実際どちらからだろう? 午後の喫茶店の人いきれに似た倦怠を感じたとき、わたしはそれが間違っていると悟る。二人いてはいけないのだ。どちらかが、どちらかを排除しなくては。背反事象。だから揉み合ったのだろう、たぶん。名前も知らないその人と……。そして気づいたとき、わたしはその若いあるいは若く見える女をホームの下に/コンクリートの床に/崖の下に突き落としている。すると、わたしはひとりになり、自分自身とその人であったところのわたしをわたしの中に引き受ける。
たぶん、十四の夏に……。
「ううっ」
と声を出して気の弱そうなおやじがやっと射く。ぐったりと重い体が、わたしの上に圧しかかる。早くどけよ。重いんだから!
ド ン !
そのとき、マンションの隣の部屋から鈍い音が聞こえてくる。
耐震建材の壁を伝ってきたのだから、それは大きな音だったに違いない。
わたしは何故かその音に反応しなければならないように強く感じる。
認識としては物体になってしまったおやじの肉体を向こうへ押しやると、わたしはシャワーを浴びにいく。シャワー室の窓から下を覗くとマンションの下に一台の車が急停車するのが見える。