19
眠っていたはずだ。いや、今だって眠っているのだろう。おぼろな手の感触が娘の亜樹の存在を確認している。けれども、それが冷たい罅だらけの石に変わっている。いやな夢だ。賽の河原にいたのだ。手に触れていたのは、ただ崩されるのを待つだけの積み上げられた石の山。そして川面に映った自分の顔は亜樹のそれと瓜二つだ。
腑の下がじっとりと汗ばんでいる。寝返りを打つが、もうすっかり目は覚めている。ついで完全に忘れていたはずの記憶が蘇ってくる。そう、あれは天候に恵まれた小春日和の五歳の七五三の日だ。晴れ着を着た沙樹を嬉しそうに愛おしそうに見つめる父親の目が、そのときふいに妖しい光を宿したのだ。もちろん当時の沙樹にその光の意味は理解できない。
それでよかったのだ。
それは忘れ去られるはずの記憶なのだ。闇に葬り去られるはずの、わずか数秒間の戸惑いの記憶でしかなかったはずだ。
が、今、沙樹はその意味を理解してしまう。
ひんやりと汗が冷たく凍る。
自分は娘と同じ境遇にいたのだ。
おとうさんは、そのあと、いったい、どんな、おもいで、あたしと、いっしょに、くらして、きたのだろう。
それはわからない。わかるはずがないではないか!
では、この先いったい、わたしはどんな生活をすれば良いのだろうか?
亜樹は――幼いせいもあるだろう――すっかりとはいえないまでも、すでに自分の日常を取り戻している。単に自分の父親の死を理解できないせいかもしれなかったが……。
「決別が必要だわ。まず、わたし自身のために……」
沙樹が思う。
その刹那、腕の中の愛娘のことが憎らしく思えてくる。この子はわたしから最愛の夫を奪ったのだ。
馬鹿なことを……。
布団の脇においた目覚まし時計は夜中の二時を指し示している。
沙樹はおもむろに布団から起きあがると、あどけない娘の寝顔を確認してから服を着替えはじめる。
夫の菩提寺が近くになければ思いつきもしなかった考えに沙樹はとりつかれている。
安伸に逢おう! そして、自分の気持ちに決着をつけるのだ。