15
宮部安伸は、そのとき自分の目を疑っている。
新入職員の中に幻想の女性を見つけたからだ。それは許されない関係を願う、存在してはならない女性の幻だ。
「新藤愛美と申します。ふつつかものですが、精いっぱい仕事を憶えますので、どうぞ末永くよろしくお願いします」
安伸の部署にまわってきたとき、かなり混乱した調子で愛美が言う。言葉遣いも意味内容もおかしかったが、安伸は気にならない。それどころか、愛美のその言葉から妙な連想をしてしまい、安伸は自身の男性部分がむくむくと勃起するのを感じて焦る。これまでの人生で性的にはずっと淡泊だった安伸の、それははじめての経験だ。
「わたしは宮部といいます。こちらこそ、よろしくお願いしますよ」
言葉を返しながら、仲間の職員に身体の異変を気づかれはしないかと安伸はひやひやのし通しだ。が、幸いにして彼の変化に気づいたものは誰もいない。
しかしそれから数日の間、安伸は地獄のような日々を送ることになる。
家に帰って娘の亜樹を見ても、もちろん異常に興奮することはない。これは、今までもそうだったし、願わくば、これからもそうでありたい、と願っている。愛美と亜樹は別人だ。そんなことは、もちろん承知している。しかし安伸にとって彼女たちは同時にひとりの女でもある。
「まいったな」
それが安伸の実感だ。沙樹には申し訳ないが、感情と性衝動の捌口は彼女に負って貰うしかない。
(たぶんそのときに沙樹は薄々とはいえ、勘づいていたのだろう)
愛美が配属されて一週間後、安伸は持てる勇気のすべてを動員して彼女をデートに誘う。そして自身でも信じられないことに、その日の内に愛美の唇を奪い、身体の関係まで持ってしまう。その事実によって安伸の精神の一部分は安定を取り戻したが、別の一部分が妻に対する罪悪感で均衡を崩されていく。
上辺だけを見れば世間にありふれたOLと上司の不倫が妻に発覚したとき、安伸は一瞬、これで助かったと感じている。しかし、いったん生じた心の泥沼は、その後も埋められることはない。
何故だか知らぬが、病院のベッドの上で一瞬正気に目覚めて己が死ぬと悟ったとき、安伸は、どうしても愛美の本心が聞いてみたいと思ったのだ。娘の亜樹に対する自分の想いは、もちろん一度だって愛美に話したことはない。しかし彼女は知っていたに違いない。できうるなら、それが妻の沙樹に知られぬように、と安伸は願う。
けれども安伸には愛美が妻の沙樹を通して、いずれ自分に復讐するだろうという見当もついている。