表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/42

第三話 不可思議な結婚の申し込み



 相変わらず華やいだ夜会の会場の片隅で、クレアは見知らぬ男性に腕を掴まれたまま何も出来ないでいた。


 少し離れた所では、相変わらず美しく着飾った人々がダンスや歓談をしているが、クレアの周辺には何事が起っているのかと、好奇の視線を向けてくる人々が集まり始めていた。


 クレアは周囲を見回した。誰も助ける気はないようだ。と言うよりも、助けるべき状況なのかも分からないだろう。

 男性はただクレアの腕を掴んでいるだけであり、乱暴を働くような雰囲気もなければ、何か声を上げているわけでもない。もしかしたら、通りすがりの男性が、たまたまよろけかけた女性を助けているようにも見えるかもしれない。

 

 しかし、クレアにとっては彼の行動は不快以外の何物でもなかったし、彼女の傷跡を晒させたままにしているのはあまりに酷い行為だと思った。

 クレアはさすがにこれだけ無礼をはたらかれているのだから、相手の身分は分からないけれど自分から口を開くことにした。

 彼はその時もまだ腕の傷跡を食い入るように見つめていた。


「そろそろ手を放してくださいませんか」


 彼はクレアの声に我を取り戻したように顔を上げ、彼女を真正面から見つめた。その髪色と同じく濃い茶色の瞳は驚きに満ちているようだった。


 クレアはもうこの場から逃げ出したかった。傷跡を見られて嫌な顔をされたことはあるけれど、ここまであからさまに晒し者にするような人はこれまでいなかった。

 しかし次の瞬間、彼はその瞳に理性を宿すと、「失礼した」と言ってクレアの手を放して一歩下がった。そして、一度も面識がないはずの彼女の名を呼んだ。


「クレア・ベルガー子爵令嬢でおられるか」

「は、はい。失礼ですが、以前お会いいたしましたか」


 クレアは記憶力には自信があった。彼とはこれまで一度も会ったことはないはずだ。

 彼も「ありません」と言いながら首を横に振った。そして、よく分からないことを言いだした。


「お会いするのは初めてだが、あなたをずっと探していた」

「は……?」


 クレアの驚きはもっともだっただろう。彼女は名家の生まれでもなければ、社交界にもほとんど出ていない。一部では不吉な傷跡を持っていると知られているかもしれないけれど、わざわざ探されるような心当たりはなかった。

 彼女の戸惑いや周囲の視線にやっと気づいたように辺りを見回した彼は口調を和らげた。姿勢を正し、先ほどまでの我を忘れているような様子は瞬時に消え失せた。そこにたたずむのは、完璧な貴公子だった。


「失礼。私はエリオット・カレドアルと申します。少々お時間をいただきたいが、よろしいか」


 その名前を聞いても、クレアの疑問は何一つ解消されなかったものの、カレドアル家と言えば名門伯爵家だった。年齢からして目の前のエリオットと名乗った男性は当主のご子息だろう。まったく付き合いのない家だけれども、ご子息とご息女が一人ずついて、ご子息は確か文官として王宮にお勤めだということをクレアは知っていた。


 しかし理由は何であれ、用があると言われて、上位の家の人間に逆らうことは許されない。クレアは首を軽く下げつつ言った。

「ここでなければ。時間はございます」


 エリオットは頷くと、先ほどとは違い優雅な仕草でクレアに片手を差し出した。彼女は少し戸惑ってからその手に手袋越しの手を重ねた。


 あからさまな興味本位の視線に見送られながら、二人はその広間を後にした。



 ◆



 大勢の注目を浴びかけていた広間を抜け出して、クレアの手を取ったカレドアル伯爵家のご子息が足を向けたのは、解放されている庭園の一角だった。


 広間からの明かりが降り注いでいて、それほど暗くはないけれど、よく知りもしない男性と長居をするのはやめた方がいいと彼女は思った。早く用件を言って欲しくて、軽く握られていた彼の手からさりげなく自分の手を取り戻した。


「ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「ええ。いきなり申し訳ありません。大変不躾な質問をすることをお許しいただきたい。そして、私にはあなたを侮辱する意図がないことはご理解いただきたい」


 クレアは彼のその言葉に頷きながら、それは彼女の傷跡のことだろうと思った。もちろん、先ほど彼女の腕を掴んでまで見ていたくらいだから、それ意外には考えられない。

 でも彼にとってそれがどのような意味を持つのかも分からないので、少し身構えて次の言葉を待つ。しかし、彼から発せられた言葉に血の気が引いた。


「あなたは、心臓の辺りにも傷跡をお持ちではありませんか?」

「……なんで……」


 クレアが青ざめたのを見て、彼はそれを確信したようだった。しかし、その彼はすぐに顔を両手で覆い、まるで嘆き悲しむように背を丸めた。


 泣きたいのはクレアの方だった。誰にも知られてはいないはずなのに。家族や限られた家人しか知らないはずなのに。

 まさかとは思うが、妹はクレアの最も知られたくない秘密まで吹聴していたのだろうか。クレアは心臓の辺りがきゅっと絞めつけられているような心地を味わっていた。両方の手を、その傷跡を隠すかのように、胸の前で握り締めた。


 上手くごまかせれば良かったのに、最初にあんな反応をしてしまったのだからもう遅かった。

 誰から聞いたのかを聞き出して、何としても口留めしなければとクレアが思った時、その彼がゆっくりと体を起こし、その秀麗な顔をゆがめながら「やっと見つけた」と言った。


 そして、なぜかクレアの手を取るとそれを掲げ持ったまま彼は腰を折って、彼女の手を自分の額につけた。

 それはまるで古めかしい、相手に敬意を表すしぐさのようだった。そんなものは大昔に書かれた書物の中で読んだことがあるだけで、見たのは初めてだった。


「あの……何を……」


 彼は彼女の手を放しはしなかった。それを握りしめたまま彼女を真っすぐに見つめ、驚くべきことを口にした。


「どうか私と結婚していただきたい。正式な書面での申し込みは、明日にでもご当主にさせていただく」


 クレアは息をのんだ。言われた意味は分かった。だが、その理由には思い当たる節がない。戸惑いが押し寄せて、彼女の口を閉ざさせた。


「残念ながらあなたに拒否権はありません。私はもうあなたを妻に迎えると決めてしまった」


 クレアは絶句したまま、とても冗談を言っているようには見えない彼を見つめ返した。

 彼の狙いに検討をつけようとした。

 何の旨みもない婚約話を彼が持ち出した理由も、彼がなぜクレアが最も隠しておきたい秘密を知っていたのかも、自分自身を納得させられるような答えは一つも思いつかなかった。


 彼はクレアの手を一時も放そうとしないまま、会場には戻らずに従者らしき若者に部屋を用意させると、クレアの父と母を連れて来させた。

 父と母は彼の口から語られた言葉に驚き目を見開いた。当然の反応だとクレアも思った。


「どなたかとお間違いでは……?」

 父がようやくそう口にしたが、それは即座に彼に否定された。そして、翌日に子爵家の王都屋敷へクレアへの結婚を申し込む書面が届けられると聞くと、母はこれまでクレアが見たことのない表情のまま固まった。


 彼はクレアらを馬車まで丁重に送り、クレアの手の甲に形ばかりの口づけを落とすと、ようやく手を放した。

 互いに型通りの挨拶をすると、馬車の扉が閉められる。クレアはようやくまともに呼吸が出来た気がした。


 馬車の中では、視点の定まらない母が「なぜ呪われた子が」などと聞き慣れた言葉をつぶやき、父は難しい顔のまま顎に手を当てて何事か考えこんでいた。

 「なぜ」と一番聞きたかったのはクレアだった。でもその言葉を発せられないまま、彼女はゆっくりと走る馬車に揺られていた。



 翌日、本当に昨夜の彼、エリオットの父親であるカレドアル伯爵から正式な書状が届いた。

 クレアの父は当然それに色よい返事を返した。それは当たり前の行動だった。こんな、この家にとってだけ都合のいい話が舞い込むなどということは、これを逃したら、もう起こりはしないだろう。

 特に、これまで誰からも見向きもされなかった、結婚すら望めない年になりかけていたクレアには。


 誰もクレアの気持ちも聞かなければ、あまりにも不自然な結婚の申し込みへの疑問も口にしなかった。

 クレアも内心の動揺を隠しつつ黙り込んでいた。何を言っても意味がないことが分かっていたからだ。


 そうしてクレアの奇妙な婚約が決まった。



つづく……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ