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空 秋霖  作者: 甲斐 雫


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7 白いチューリップ

白いチューリップ・・・花言葉は「リセット」「再生」

 支局の医務室では、ヴィクターから連絡を受けていたふみ先生が、準備を整えて待っていた。

 博は病室のベッドに空を降ろし、上着を脱がせてそっと寝かせる。アンジーが持ってきた彼女のバッグから、処方されていた鎮痛剤のアンプルを出してふみ先生に渡した。

 彼女は速やかに、指示通りに手当を始めた。


 そこに顔を出した真が、博とアンジーに頼む。

「悪いけど、廊下に出てきてくれよ」

 全員が医務室内に入ることはできないので、皆廊下で待っているのだ。アンジーは、彼女の傍についていたい博を引きはがすようにして廊下に出た。

 空の帰還に対する喜びと、彼女の状態に対する心配が、ないまぜになった表情のメンバーたちに向かって、アンジーは彼女の最後の連絡以降から今までの出来事について説明をする。博はここまで来る間に車内である程度聞いてはいたが、一応終わりまで聞いて最後に口を開いた。

「空は、もう捜査官に復帰しているのですか?」

「いいえ、まだ。手続き上は、彼女の承認を得る手前まで進んでるけど、空が少し待ってくれって言ってて。ただ、復帰後の所属希望は聞いているわ。本部付のソロ・・・」

「え?」


 ソロとはFOI内の通称で、単独捜査官を意味する。チームに属さず、単独で任務にあたりチームリーダーの権限も持つ。よって任務を選ぶ自由があり、時に任務以外でも必要と判断すれば行動できる。捜査官の中では最高位にあたり、現在は数名しか存在しない。

 けれど、今回の密命を達成した功績で、彼女の希望は通るだろう。

「それって、ここにはもう戻らないっていうこと?」

「そうね。多分、彼女は・・・」

 アンジーは、これから空がしようとしていることを、推測だけどと前置きして話し始めた。


 処方された鎮痛剤のお陰で、空は早々に医務室のベッドの上で目を覚ました。

(予定とはだいぶ違ってしまいましたが、『やりたい事』の続きをしなければ)

 空港に着いてからの事は、おぼろげながら記憶にあるが、何故博が空港にいたのかは考える必要が無いと思った。支局の事情がどうであれ、自分がやる事はもう決めているのだから。

 空はベッドから降りると、バッグと上着を持ってふみ先生の元へ行く。

「ここにいた間は、色々とお世話になりました。今回も、お手数かけてしまってすみません。医務室を利用する資格がないのに、緊急対応してくださって感謝しています」

 丁寧に頭を下げ、お礼の言葉を述べる空に、ふみ先生は目を丸くする。

「まだ寝ていないと・・・ヴィクターからの指示だと・・・」

「ありがとうございます。でも、もう大丈夫ですので」

 空はもう一度頭を下げると、医務室のドアを開けて廊下に出た。


 アンジーと博の話が丁度終わったところだったらしい。いきなり廊下に姿を現した空に、その場にいた全員が驚いて振り返る。

 空は真っすぐ博の前に進み、口を開いた。

「お手数をお掛けして申し訳ありませんでした。『戻る』という言葉を実行するために来ました。会っていただけて感謝しています。ここに居た間のご厚情にも、感謝申し上げます」

 それを伝えたかったのだと言わんばかりに、無表情で一度頭を下げ、彼女は踵を返した。


「・・・アンジーから話は聞きました。けれど、行かせません」

 博は通り過ぎようとする空の腕を強く掴む。けれどその手は、振り払われた。

「私は今、FOI捜査官ではありません。上司であった貴方の命令ですが、従う義務はありません」

 精一杯の冷たい表情を作り、言い放つ。

 アンジーは、彼女が承認を少し待ってと言った理由はこれだったのかと思った。


「上司とか部下だとか、そんなものは関係ありません!」

 博は大声をあげると、彼女の行き先を阻むようにその前に立つ。

 上下の関係なく対等に、以前は心を傾けた相手に対する言動なのだと理解した空は、小さく溜息をつく。そして唇の端を僅かに上げ、冷たい笑いを浮かべて博に向かい合った。


「・・・私はT国にいる間、数えきれない数の男たちに抱かれました。レイプではなく、自分の意志で、です。そういう女なんですよ、私は」

 その場にいた全員が、ハッと息を呑む。

「そして、自分の意志で人を殺しました。殺人・・・」

 バシッと音が響く。

 博が手を挙げ、空の頬を叩いていた。


 空はその衝撃によろけ、廊下の壁に寄りかかる。唇の端が切れていた。

 彼を怒らせることが目的だったので、殴られることも想定内だったが、まだ立ち塞がっている彼の気迫は変わらない。

 言わなくて済むならば、と思っていた言葉が、空の口から叫ぶように放たれる。

「・・・何でしたら、正確な人数もお伝えした方がいいでしょうか。その時の、様子も・・・」

 残った体力をすべて使い、挑むような目つきで顔を上げた時、目の前にあったのは彼の手だった。

「・・・っ・・・」

 しまった、と思った時には博の手が首に回り、頸動脈を抑えられていた。

 そのまま、ストンと意識を落とされ、空の身体は崩れ落ちた。


 博は彼女の身体をしっかりと支え、そのまま抱き上げて歩き始める。

「ど、どこ行くの?医務室はこっち・・・」

 小夜子の言葉を背中に受けて、けれど博は振り返りもせずに答えた。

「自室に戻ります。手当より、こっちの方が先です」

 先ずは、彼女に全てを教える方が先なのだ、と彼はそのまま上の階へと向かう。

 アンジーが急いで近寄り、小さな袋を彼のポケットに入れた。

「・・・信じてるわよ」

 そして後に残された捜査官たちとアンジー達は、とりあえずメインルームに入って行った。


 勝手知ったる他人の家、のような態度でリビングスペースのソファーにドカッと座ったアンジーは、当たり前のようにメンバーに頼む。

「コーヒー貰える?」

 春が飛びつくようにコーヒーメーカーの前に立った。

「先に行っておくけど、空があっちで何をしていたかについては話さないわよ。時間の無駄だから、聞かないでね」

 そう言い放つアンジーの前に、ご所望のコーヒーを置き、春が尋ねた。

「あの・・・お仕事の方は、大丈夫なんですか?」

「全然、大丈夫じゃないけど、もうここまで来たら今更だわ。仕事は全部放り出してきちゃったけど、減給の額が少し増える程度で済むでしょ。本部は密命の達成で浮かれてるから、首が飛ぶようなことは無いと思う。だから、一応最後まで見届けるつもり。彼女の復帰手続きを終わらせてから帰るわ」

 だから、それまで寝かせてね、とコーヒーを飲み干したアンジーはソファーに横になる。

 捜査官たちは、彼女の女傑ぶりに感嘆しながらも、これほど頼りになる人間はいないと改めて思う。

 博に全てを任せて、捜査官たちは通常業務に戻った。



(・・・ここは?)

 2時間くらいは経っただろうか。

 空が目覚めると、そこは見慣れない部屋だった。

 ソファーに寝かされていたが、その手触りも初めてのもので、掛けられている毛布にも見覚えが無い。

 天井から壁に視線を動かすと、ローテーブルを挟んだ先のソファーに座る博の姿があった。

 自分の膝に肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せてこちらに顔を向けている彼は、ずっとその姿勢で彼女の様子を窺っていたのだろう。

 空はゆっくりと起き上がり、周囲を見回した。まだ鎮痛剤が効いているのか、比較的楽に身体は動く。

(・・・壁も家具も、見たことがありません。エリィの好みにリフォームしたのでしょうか?)

 そして、部屋のドアに眼をやった時、向かいに座る博が声を掛ける。

「ドアはロックしています」

(・・・でしょうね)

 空は、黙ってソファーから足を下ろして座りなおした。

「すみません、手荒なことをしました」

 博は、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。


 空に対して、対等に素直な気持ちで向き合おうと決めて最初の行動がこれだ。

 今までだったら、怒りを覚えても分別で抑えられていたと思う。けれど、今回は頭に血が上るのを抑えることが出来なかった。気づいたら彼女の頬を叩き、それでも治まらず制圧で自由を奪った。

 落ちついてみると、流石にこれには落ち込む。


 空は、その時の事を思い出し、手で唇の端に触れる。切れたその部分には、軟膏が塗ってあった。

「・・・いえ」

 それだけしか、言葉にはできない。

「監禁していることも、すまないと思っています。けれど、どうしても最後まで伝えておきたいことがあるんです」

 彼の言葉に、空は覚悟をするように姿勢を正した。

「最初に言っておきますが、エリィは殺されました」

 その言葉に、空は眼を見開いて彼を見つめる。

「・・・それは・・・ええと・・あの」

 言葉が出てこない。ご愁傷様です、と言うのは流石に違うだろうと思う。

 しかし何故そんな事が起きたのか、急に頭が回り出した空は、真剣な瞳で居住まいを正した。そんな彼女の変化に気づいた博は、静かに語りだす。


 エリィと初めて出会ったところから、彼女の遺体が発見されたところまで。その間の支局内のメンバーたちの様子も含めて、全てを語り終えた時には、もうかなりの時間が経過していた。


「僕が『BSD』の支配下にあったときの事も、監視カメラの映像で確認しました」

(・・・あれを!)

 空は、今更ながら悔やんだ。あの時、何としてでもその記録を処分しておけば良かった、と。

「君がどれだけの事をしてくれたのか、身に染みてありがたく思いました。改めて、お礼を言わせてください。僕の命と人格を、いえ全てを守ってくれて、本当にありがとう」

 空はポカンと彼の顔を見つめるだけだ。

 そして博は、真剣な面持ちで、重大な告白をするように言った。

「僕は、エリィを抱いていません。隣で一緒に寝てはいましたが・・・」

「???」

(何故こんなことを、重大な事のように話すのでしょうか)

 空の頭に浮かんだ疑問符の意味を、彼は取り違えたようだ。

「つまり、男女の関係にはなっていないということです。そもそも・・・」


 エリィが掛けた暗示のキーは、母と伯母、そして少女の頃の空の姿だ。自分の肉親や少女の頃の空への想いが根底にあれば、そこに性的な行為は存在しない。


「そこまで変態じゃありません」

「はぁ・・・そうですね」

 空はまだ、彼が何故そのことに拘るのかが解らない。

「それに、匂いが違いました。エリィは様々な手管で何とかしようと思ったようで、毎晩ベッドに潜り込んできましたが、何故か匂いが違うだけで全くその気になれませんでした」

「・・・折角なのですから、多幸感を味わっておいても良かったのでは?」

 つい、そんな返事を返してしまう。

「彼女の身体は、とても綺麗でしたし・・・」


「何でそれを知っているんですか?」

 彼の質問に、空はエリィに呼び出された時の事を話さざるを得ない。彼女がひと通り話し終えると、博は大きなため息をついた。

「・・・それは、知りませんでした」

 空は傷跡にコンプレックスを持っているわけでは無いが、彼が我慢していたのだと言われれば、傷つかないはずがない。

 可哀そうな思いをさせた、と改めて彼女を見た時、ふと気づく。

「そう言えば、首の傷跡が無くなってますね」

 BBから受けた、スパイクドッグチェーンの惨い傷跡が無くなっている。ほっそりとした美しい首は、そんなものなど最初から無かったと言うほどに、綺麗な皮膚になっていた。

「ヴィクターが、ついでに皮膚を貼り換えておいてくれました。特徴が消えたので良かったかと」

 まるで襖か障子のように説明する彼女の台詞に、博は苦笑いで答える。

「そうですか・・・僕としては少し残念ですけどね。結構好きだったんですよ、空の傷跡」

(・・・変わった趣味ですね)

 とは、流石に声に出しては言えない。

 そこまで話が進んでも、相変わらず彼の言いたいことがよく解っていない空だ。


「解らないんですか?つまり、僕は君じゃなければダメだということです!」

 余りに察しが悪い空に、つい声が大きくなる博である。

「はぁ・・・ええと・・・ありがとうございます?」

 何となく彼の言いたいことは解ったが、それに返す言葉が浮かばず、とりあえずお礼を言ってみる。


 この時点で、会話の状況は以前と変わらなくなってきていた。

「あの・・・そういう趣旨の話ならば、私は不特定多数の男性と本番・・・」

「ちょっと待って」

 話が別方向に行きそうになって、慌てて博は彼女の言葉を遮る。今は貞操観念について議論している時ではないのだから。

「話を戻しましょう」

 そう言って博は咳ばらいをすると、再び話し始めた。


「君がこの後、何をするつもりだったのかはアンジーから聞きました。『やりたい事』の残り半分、つまり元凶のBBを、1人で始末するつもりなんですね?」

 いきなり心の中に隠しておいた目的を、ズバリと当てられて空はギョッとする。

(・・・彼に隠し事は出来なかったみたいです)

「・・・はい」

 素直に肯定する他は無い。

「出来ると思っていたんですか?」

「・・・はい、相打ち覚悟なら可能だと」

 後の事など何も考えず、なりふり構わず行動すれば実現は可能だと思っていた。

 いや、今でもそう思っている。


 博は溜息をついてから、諭すように話しかけた。

「僕や他の皆の気持ちを考えましたか?僕はもちろん全員が、アイツには嫌な目に遭わされている。特に真は直接被害を被ってますしね、出来れば自分の手で逮捕したいと思ってるでしょう。君が1人でBBを始末しても、素直にありがとうとは言えないと思いますよ。僕だって、この件は自分で始末をつけたいと思っています。でもそれは1人でじゃなくて全員で、なんです」

 空の瞳に、悲し気な色が浮かんだ。

「空、『やりたい事』の残り半分は、皆で一緒にやりませんか?」

 空は俯いて、返事をしない。


 少しでも早く、と考えたのは間違いだったのだろうか。

 丁度いい機会だから、と思ったのはどうやら間違っていたようだが。


「空、道を間違えたと思ったらどうします?そのまま進み続けますか?」

 博の声は、限りなく優しかった。

「1度、戻ってやりなおすでしょう? 間違った地点まで戻ってきてください。そこから一緒に行きましょう。僕がしてしまった事を許してくれとは言えませんが、でも出来るなら、リセットして最初からでも良いから、僕の傍にいてください」


 空はいつの間にか、顔を上げて彼の顔を見つめていた。

 傍に居たい。それはここを離れてからずっと、願っても叶わない事だからと見ないふりをしていた自分自身の気持ちでもあった。

 1度だけでも、と願った心の底に、こっそりと常に存在していた本心。


「・・・傍に・・・いたいです」

 これも、『やりたい事』に入るのだと、やっと気づいた。


「空、これを・・・」

 博は、先ほどアンジーがポケットに入れてくれた小袋を取り出すと、その中身を掌に零す。

 コロコロと転がり落ちてきたそれは、空のウッドビーズだった。

「僕に着けさせてください」

 博はそう言って立ち上がり、空の隣に座る。

 そして彼女の髪をひと房とり、護符のウッドビーズを着けた。

「・・・うん、やはり似合います。空が、本当に戻ってきた・・・」

 彼は正面から、彼女の顔を確かめる。

 そしてその頬に掌を添えると、唇を近づけた。

「愛しています」

 吐息と共に告げられた言葉が、唇から身体の中に沁みとおる。


 もう一度、このキスから。



長い試練の時を経て、互いの存在を確かめ合った二人。

漸く正体は解ったが、BBはまだ二人を狙ってくるだろう。

リフレッシュと称して博を狙う理由は何か。次は何時、どんな方法で仕掛けてくるのか。

時間はかかっても、解決までの過程が大事なのだと理解した空は、仲間と一緒に困難に立ち向かう。

彼の傍で。

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