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空 秋霖  作者: 甲斐 雫


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6 ゼラニウム

ゼラニウム・・・花言葉は「実行」「決心」

 夜が明け、決行の日の朝になった。

『ヌエボムンド』のアジトから連れ出された空は、車に乗せられ中心街に向かう。

 目隠しなどをされないのは、今更行き先を隠すことも無いということなのだろう。瓦礫と崩れかけた建物ばかりだった景観が、近代的なビルが幾つか建つ風景に変わる。この辺りは、比較的内戦の被害が少ない区域なのだろう。T国の政治の中枢である場所、ということだ。

 車はやがて、スタイリッシュな建物の裏に回る。

 車から降ろされた空は、そのまま裏口から中に入った。


「今日は、大統領の就任1周年記念式典が行われる。ここがその会場だ」

 空を連れてきた男たちの1人、地下組織リーダーの側近らしい男が漸く説明を始める。

「オマエは式典の最後に、花束贈呈をしてもらう。奴に近づいて花束を渡した後キスをするが、その時が実行するタイミングだと思え」

 小声で耳打ちをする男は、控室と思われる部屋に空を通す。そこには、準備を整えて待つ女性たちが数人いた。彼女たちも地下組織のメンバーなのだろうか。ひと言も話さず、空を着替えさせ化粧を施す彼女たちに、確認することはできない。


 着せられたドレスは、黒に紫の模様が入った露出度の高いものだった。裾が長く歩きにくそうだ。

 髪も結い上げられ、花飾りがつけられる。補聴器は、結い上げた髪で隠された。

 化粧はかなり厚く、素顔が解らないほどだったが、色気だけは無駄に主張しているようだ。

 最後に、首に黒のチョーカーを着けられた。飾りが多く地の色が見えないような幅広のそれは、空の傷跡を完全に覆った。

 女性たちが退室すると、入れ替わりにさっきの男が入ってくる。手に大きな花束を持っていた。

「こいつが贈呈する花束だ。中に小型拳銃が隠してある。時間が来たら案内係が来るから、それを持って言われた通りに行動しろ。上手くやれよ」

 それだけを告げると、男は見張りを数人置いて部屋を出て行く。

 空は何も言わず、ただその時を待った。


 式典の壇上に上がっても、何も起こらなかった。

 演説を終えた大統領は満足そうな表情だったが、不摂生によるものだろうか、その顔は脂ぎって黄色っぽく見える。

 任せろと言ってくれたアンジーは、間に合わなかったのだろうか。

 それでも良い、と空は思った。

 彼女に対する信頼や感謝の気持ちに変わりはない。

 ここまで来ても、彼に一度だけ会いたいという願いは、まだ胸の内にある。


 もう一度だけ、彼の顔が見たい。

 蔑むような表情でも、鬱陶しそうな顔でもいい。

 もう一度だけ、彼の姿が見たい。

 遠くからでもいい、幸せそうに大切な人を抱く姿でもいい。


 膨れ上がる気持ちを秘めたまま、全てが終わるのも悪くないかもしれない。

 少なくとも、後悔だけは無いのだから。


 空は作り笑いを浮かべて花束を差し出しながら、ターゲットである男の頬にキスをする。

 けれど、花束の中の銃を取り出すことはしなかった。

(どっちにしても、爆破はされるのでしょうから)

 暗殺が成功しても失敗しても、どっちみち口封じはされるのだ。この大統領は多くの憎しみを浴びているのだろうが、彼を指示する人だっていないわけではないだろう。家族がいるのなら、殺されて悲しむ人もいるはずだ。

 空にはもう、任務の達成などどうでも良かった。人間1人を殺さずに済むならその方がマシだ、と。


 唇を男の頬から離すと、花束を離して後ろに素早く下がる。

 けれど彼女が気に入ったのだろうか、大統領は自分からもキスを返そうと、空の腰を抱えて引き寄せる。身体が密着したその時、爆弾のスイッチが入った。


 衝撃で空の身体が後方に吹き飛ぶ。同時に大統領の身体も、突き飛ばされたように後ろに倒れ込んだ。

 2人の間に、血煙が上がる。

 その瞬間、会場のあちこちから複数の爆発音が響き、立ちこめる火薬の臭いと煙で会場内は騒然となった。

 けれど身体を床に叩きつけられた時には既に、空に意識は無かった。



 それから、どのくらいの時間がたったのだろう。

 空は、今いる場所に全く見当がつかない。

 ぼんやりとした意識の中で、解るのは消毒薬の臭いくらいだ。

 ゆっくりと、重い瞼を上げてみる。

 そこには、ニヤリと笑ったドクター・ヴィクターの顔と、涙をいっぱいに浮かべて微笑むアンジーの顔があった。

「よし、成功だな」

(・・・よし?・・・何が?)

 まだしっかりと働かない頭で、空はぼんやりと2人の顔を見る。

「まったく、まさか私が変装までさせられるとは思いもよらなかったがな」

 ヴィクターの言葉に、アンジーが言葉を挟む。

「空、良かった・・・あんなにギリギリになっちゃって、ごめんなさいね」

 そして、彼女は空から連絡を貰ってからの事を説明した。


 先ずは、個人的に付き合いがある有能な捜査官を数名選び、休暇を取らせた。

 人事部長としては楽な作業だ。

 そして、T国に支援物資を送るボランティア団体に申し入れて、職員と捜査官を交替させる。

 T国に支援物資と共に入った捜査官たちは、首都に入り決行の日とされている大統領の就任1周年記念式典の会場に潜入する。そして、複数の小型爆弾や発煙筒、盗聴器を仕掛けた。

 当日は会場内に入れないので、会場の外で内部の様子を窺う。そして空の体内の爆弾の爆発音を聞くと同時に、仕掛けた爆弾や発煙筒を作動させたのだった。

 大混乱になった式典会場に、騒ぎに乗じて入り込み、空の身体をシートに包んで運び出す。

 会場に入った捜査官たちに交じって、服装を変えたヴィクターもいたのだ。


 後は、ドクターヘリやら軍用機を利用して、最短時間で空をA国に運んだ。その間、ヴィクターがその手腕で彼女の生命を維持したことは言うまでもない。ギリギリまで体温を下げて代謝をコントロールし、失われている臓器の代替となる医療機器を繋ぎまくって、何とか身体をもたせた。


「ここは、私のプライベートな住まいだ。ここで個人的な研究をしているんだが、設備は本部の研究室を比べても遜色ないくらい充実している。休暇を利用しては、ここ入り浸って興味の対象をひたすら研究・実験しているんだ」

 ヴィクターは、自慢そうに鼻を高くして話し続ける。

「今の興味の対象が、君だということは知っていると思うが、それに付け加えてiPS細胞にも興味が湧いていたので、どうせなら一緒にやろうということで、君の細胞を使わせてもらっている」

 そう言えば、データだけでなくサンプルも欲しいと言われて、血液やら組織やらを治療や健診の折に採取されていた、と空は思い出す。

(・・・と、いう事は)


「実は、色々と君の臓器を作ってみていた。今回は、それは非常に役に立った」

(想像すると、ちょっと不気味な光景ではないでしょうか)

 心臓やら肝臓やらがずらりと並んだガラス容器の前で、ほくそ笑んでいる科学者の姿は想像したくない。しかもそれらが、自分の中にある臓器と同じものだというのが、なんともシュールだ。


「取り敢えず、腎臓1つ・肝臓半分・消化管多めで、新しい臓器を繋いでみた。吹き飛ばれた部分を覆う目的で培養しておいた皮膚組織が余ったので、ついでに首の傷跡にそれを使って皮膚移植もしておいた。サービスだよ。目立つ特徴は無い方が良いのだろうからな」

(料理レシピのように言わないで欲しいです。しかも余った材料を使ってなんて・・・)

 ご親切な料理番組のようではないか。


「もう既に、iPS細胞の研究は相当進んでいるんだ。法制化するまでに時間が掛かると言うだけだ。作るだけなら、できる研究所は多い筈だ。ただ、それらを実際に使うとなると、高度な医療技術が必要になる。そこで、私としては機会があればやってみたいと思っていたところだ」

(法制化前にそれをやって、大丈夫なんでしょうか)

「勿論、公にはできないが、成功したと言うだけで私は満足だ」


 アンジーを通じて、彼に助けて欲しいとは言ったが、まさかこうなるとは思わなかった空である。

 けれど、どうやら生き延びることが出来たのは、彼のお陰なのだ。

「・・・お手数をお掛けしました。ありがとうございます」

 取り敢えず、枕の上からお礼を言っておく。

 そして更に言葉を続けた。

「では、私は日本に戻ります」

「は?」

 2人の声が同時に上がったのは当然だっただろう。


「・・・何考えてるの? まさか、今すぐって事じゃないわよね」

「まだ完全に安定しているかどうか解らない状態だ。許可できない」

 けれど空は、既に起き上がっている。

「生きているということは、機能しているということではないのですか?特に異常は感じませんが」

「それは君専用の鎮痛剤が効いているせいだ。新しく開発したやつを試しに使ってみている」

(それも、実験台なんですね)

「それは、ありがとうございます。ついでに、多めに投与しておいて下さい。予備もいただけるとありがたいです」


 実験台にされた件は置いておいて、取り敢えずお願いしてみる。それでも、首を縦に振らない頑固な医師に、空は交換条件を持ち出した。

「それでは、今回行くことを許可して貰えたら、私が遺体になった時はそれを差し上げるというのではどうでしょう?」

 切り刻もうが標本にしようが、好きにしていいから、と言う。それ以外に、彼が興味を持つようなものを自分は持っていないし、死んでしまえは身体はただの物体だという認識がある。

 聞いていたアンジーは、この奇妙な展開に目を丸くするばかりだ。

「・・・・む・・・それで手を打とうか」

 マッドサイエンティストと異名をとるヴィクターは、空の希望を聞き入れた。

「ちょっと待ってよ。まだ、向こうには何も連絡してないのよ」

 空から連絡を貰った後も、それ以降も、博には何も伝えていなかった。

 忙しかったせいもあるが、不安や心配だけを与えるより、彼女を無事救出した後に、それを伝えた方が良いだろうと判断したのだ。

「いえ、連絡は必要ありません。私が『やりたい事』をするのですから、直接向こうに行けば良いだけの事です」

 空はそう言うと、アンジーが持ってきてくれていた服に着替える。

 それは一番似合うと言われた、あの黒い服だった。



 空がヴィクターから治療を受けていた頃、支局ではクーデターのニュース映像を見ていた。

「これ、空よ!」

 小夜子が画面を指さして叫ぶ。そこには黒と紫のロングドレスを着て花束を持った女性が、映っている。髪をアップにし濃い化粧の女性の後姿は小さくて解り難いが、それでも小夜子には解った。背中が大きく開いたドレスなので、肩甲骨や背骨のラインが解る。一緒に露天風呂に入った仲なのだ。けれど、次の瞬間映像は切り替わった。流石に爆発シーンは自主規制したのだろう。


 捜査官たちは手分けして、FOI本部や警視庁から全ての映像データを入手し、解析を行う。

 結果は小夜子の言った通り、体内に仕込んだ爆弾で大統領を暗殺した犯人は彼女だった。

 けれど、T国からの公式発表は、大統領が暗殺されたということだけで、それ以外は何も発表されていない。新しい政権が樹立したら、公式に表明されるのだろうが、何時になるのかは解らない。

 本部に問い合わせても、知らぬ存ぜぬの態度を変えないし、頼みの綱のアンジーはこちらからの連絡をすべて無視しているようだ。


「・・・もう、これは・・・」

 と、豪が呟く。縁起でもない事をいうな、と言う真の声も小さい。博は、立っているのもやっとだ。けれど、春はケトルに手伝わせて更に映像解析を進める。小夜子は拳を握りしめて声を上げた。

「アンジーが怪しい!絶対なにかあるわ。連絡も無視してるってことは、とんでもなく忙しいのよ。きっとそれは、空を助けるのに忙しいってことだわ」

 やがて春も声を上げる。

「映像解析で、空さんは救出されている可能性が出てきました!」

 映像の最後に、ほんの僅かな時間だったが、複数の爆発音らしき音が拾えた。また、爆発時の血煙の量や方向を解析すると、即死レベルでは無さそうだということも解った。

 全員が、一筋の光が射しこんでくるような感覚を味わう。

 今は、アンジーからの連絡を待つしかなかった。


 空とアンジーは、日本に向かう飛行機の中にいた。空は1人で行くと主張したが、アンジーは仕事を放り出してついてきた。一緒に行かないなら、行くのは許さないと言って。

 そこでアンジーは、大統領が治療の甲斐なく亡くなっていることを空に告げる。元々、持病があったようで、翌々日に息を引き取ったという情報が入っていた。

 空は、それを聞くと俯いて小さく呟いた。

「・・・そうですか」

(銃は使わなかったけれど、結果は同じでした。人を1人、殺してしまいました)

 自分の生存率を上げるために、体内の爆弾を表面付近に移動させたせいなのだろう。爆発の威力を外に逃がしたために、密着した相手を殺傷したのだ。

(その報いは、いつか受けるでしょう・・・)

 空は俯いたまま目を閉じる。次第に強くなる腹部の痛みだが、この程度では罰にさえならないだろうと思いながら。


 飛行機の到着時間は、かなり遅延していた。

 予定ではもう空港に降りていて、支局にも着いている筈の時間だったが、機体は漸く高度を下げ始めたところだ。その間に、処方してもらった鎮痛剤の効果は切れてきている。

「・・・大丈夫?」

 目を瞑り何とか呼吸で痛みを逃がそうとしている空だが、額には玉のような汗が浮かんでいた。

「・・・っ・・・ちょっと・・・キツイです」

 アンジーはハンカチで彼女の額を拭いながら、小声で問いかける。

「どんな感じなの?」

「・・・お腹の中に・・・手を突っ込まれて・・・掻き回されているような」

「そ、それって・・・客室乗務員を呼ぶ? 空港に救急車を呼んでおく?」

 空は何とか笑みを作り、焦るアンジーに答えた。

「いえ、大丈夫です・・・支局までは・・・もたせます」

 移植された臓器のつなぎ目が取れそうだとか、拒絶反応だとかという感じではない。安静にしていない事への、抗議行動かもしれない。空は切れ切れにそう言って、薄く笑って見せる。

 もう直ぐ、着陸だ。


 到着ロビーに続く自動ドアを出る頃には、空の体力は限界を超えていた。血圧もかなり下がっているのだろう。顔は蒼白で手も冷たい。何とか気力だけで足を前に出しているが、彼女の左腕を掴んで支えているアンジーの手にかかる重みは増している。

(・・・来ているといいけど)

 アンジーは向こうを発つ前に、空の眼を盗んでこっそりと博に連絡を入れていた。『空と一緒に帰る。成田到着12:35』とだけ。

 到着は遅延のためにかなり遅れてはいたが、来ているのなら待っている筈だろう。アンジーは到着ロビーの中を見回した。

「・・・あ!」

 アンジーの足が止まる。博と、その横に真の姿があった。


「・・・?」

 彼女の足が急に止まったことに気づいた空は、問いかける気力さえ無かったが、その視線を追って顔を上げた。

「・・・・ぁ・・・」

 ぼやけた視界の中に、彼の姿があった。


 1度だけ会いたい、そう願っていた彼の姿。

 けれど頭の中には、その言葉さえも浮かばない。


 1歩、無意識に足が前に出る。そしてもう1歩。

 肩からショルダーバッグが滑り落ちる。

 真が居ることも、エリィがいない事にも気づかない。

 拒まれるかもしれないということも、頭に浮かばない。


 ただ、あの場所へ行きたいと言う本能的なものに導かれ、更に足が出る。けれど、思う様に進まない足に、身体が前のめりになった。

 何も考えず、ただあそこへ、という強い衝動に少しずつ空の足が速くなる。


 傷ついた鳥が本能的に巣に帰るように、よろけながらひたむきに前を向く彼女の姿は、風に煽られながら低く跳ぶ燕のようだ。

 黒い上着の裾が翻る。


 博はじっと動かずに待ち続けた長い時間の終わりに、ようやく空の姿を見つけると、同じように足を踏み出していた。手から白杖が落ちる。

 アイカメラのAIが告げる情報も、聞こえなかった。

 空が、そこにいる。

 真っ暗な世界の中に差し込んだ光に向かって、彼は走り出した。

 早く、少しでも早くその光と捉えようと、腕を真っすぐに差し出して。


 あと少し、と空の手が縋るように伸ばされる。

 けれど足が言う事を聞かず、膝がガクンと折れた。

 彼は、床に倒れ込みそうになる彼女の身体を、掬い上げるようにして腕の中におさめる。

 そしてしっかりと抱きしめると、その存在を確認するように呟いた。

「・・・空・・・おかえりなさい」


 抱きしめられたことも気づかず、空はゆっくりと顔を上げる。

 1度だけ会いたい、1度だけで良いから見たいと思った彼の顔がそこにあった。

 願いが叶ったという喜びだけが、その意味を理解できないまま身体の中に湧き上がる。

「・・・ただ・・い・・・」

 反射的に出て来た呟きを、最後まで紡ぐことが出来ず、そのまま空は意識を手放した。


 崩れ落ちそうになる彼女の身体を抱きとめて、彼はその耳元で名前を呼ぶ。

 けれど自分が知っていた彼女より、ずっと軽くなったその体は、全てを預けるように力を失っていた。彼は空をしっかり抱き上げる。


「帰りましょう、僕たちの(ホーム)へ・・・」



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