2 チューベローズ
チューベローズ・・・妖艶な甘い香りを持つ花。花言葉は「危険な楽しみ」
翌朝、博はエリィを伴ってリビングスペースに顔を出した。
捜査官たちは、全員集まっていて朝の仕事に手を付け始めている。
「昨日は名前しか紹介できなかったので、ちゃんと顔合わせしておきますね」
(え?顔合わせ・・・って、長い付き合いになるかもしれないって事?)
博の言葉に、いきなり不機嫌MAXになる小夜子だ。
「僕の部屋でこれから暮らしますので、よろしくお願いします。エリィ、挨拶できますか?」
彼は優しく彼女に問いかけ、壊れ物を扱う様にそっとその背中を押す。
1歩前に出た彼女は、昨日とは違い、しっかりと背筋を伸ばして立った。
アッシュブロンドの長い髪は柔らかくカールし、大きなヘーゼルの瞳が輝く。
ふんわりとした白いブラウスに、臙脂色のフレアスカートはベルベットだ。地味な色合いだが、アンティークドールのような雰囲気になっている。
(そう言えば、下の受付に荷物が届いていたわね)
小夜子が思いついた通り、博が通販で購入したものだ。上品で可愛らしい服装だった。
エリィは黙って1つお辞儀をすると、そのまま彼の背中に隠れてしまう。
「うん、ちゃんと挨拶できましたね。まだ慣れていないので、このくらいで許してあげてください。エリィには、色々と事情があるものですから」
彼はエリィの頭を撫でながら、全員に向かって謝った。
(その、色々な事情ってのが聞きたいんだがねぇ・・・)
真の心中になど気づかない博は、では今日もよろしくと言って、エリィを連れて自室に戻って行った。
「ビスクドールみたいに綺麗な人ですね、エリィさんって」
春が無邪気に褒めるが、真と豪は微妙に複雑な表情をしている。
「何だか、昨日は痩せた子って感じでしたが、今朝は全く違ってますね」
不思議そうな声で、豪が呟く。
「俺も流石に気が付いた・・・意外と胸があったし。あんなに変わるもんか?」
ふんわりとした白いブラウスの、胸元のフリルとリボンタイに紛れてはいたが、少なくとも少女のバストでは無いように思えた真なのである。
「・・・昨日はコルセットでも着用してたんじゃない?背中を丸めておどおどしてたから、解らなかったのよ。今日の様子だと、結構解るわ。ウエストも細いし、彼女結構メリハリの効いた体形よ」
いわゆるボン・キュッ・ボンな、魅力的女性体形だと小夜子は言う。
騙されたような気になる捜査官たちは、しっかり気を引き締めようと思った。
「とりあえず、ケトルに彼女の監視をさせています。支局内のシステムに関与するような動きがあれば、警報が鳴るようになってます」
春が、当然の処置として皆に告げる。
「だな、最低限の処置だが・・・それにしても、一時保護ならともかく、ずっと居るなら一般人だと流石に局長の権限でも難しいんじゃないか?」
真の言葉に、春は言いにくそうに答えた。
「それが・・・博さんは昨晩、エリィさんをFOI捜査官研修生として登録しています。なので、彼女は一応支局内フリーパスなんです」
「ナニぃ~~」
「ナンですって!」
「え?」
空を除く全員が驚きの声を上げる。研修生って何よ、という小夜子の言葉に、それまで黙っていた空が落ち着いて答えた。
「将来的に捜査官として働けそうな人材を確保するシステムです。アルバイト程度の給与で、局内ではある程度の行動制限が付きますが、チームリーダー以上の推薦があれば誰でもなることが出来ます。期間は、推薦者の裁量で決まるので、年単位になることもあります。私も最初はそうでした」
空も大学4年の冬から、研修生としてFOIの医局研究室に入っていたのだ。
「あ、そうだったな。・・・でも、そうすっとエリィはあちこち歩きまわれるのか・・・」
何か厄介だな、と頭を掻く真だが、空は別の事を考えていた。
(そうすると、ビートは私の部屋にずっといてもらうしかないですね)
狭い部屋に居続けるストレスは、屋上や散歩で発散して貰おう。そこまでの移動は、キャリーケースか服の下に入れるとかすれば大丈夫だろう。
(それにしても、何だか寒いですね・・・)
身体の芯が冷えてきているような気がする。空は、傍に置いていた上着を取って羽織った。
それから3日が過ぎた。
博は朝と夕方の2回、メインルームに姿を見せたが必ずエリィを伴っていた。そして、必要な確認事項を済ませるとさっさと自室に戻る。彼の仕事は、全てPCで済ませることが出来る。出動があっても、指示は現場に出なくても出来るのだから。
けれどそんなやり方は、捜査官たちに微妙な不信を抱かせる。今まで彼は、出来るだけ現場に出て可能な限り任務に参加していたのだから。
「・・・何かさぁ、ここ辞めて刑事に戻ろうかなって思っちゃうのよね」
仕事がひと段落したところで、小夜子がテーブルに突っ伏しながらぼやく。
「・・・・・・空をここに置いて、か?」
真が小夜子の前にコーヒーをコトンと置いて、低い声で問いかける。
「まさか!あ、サンキュ。・・・でも、ホント居心地悪いって言うか。いっそ空を連れて出て行っちゃってもいいかなって」
小夜子は熱いコーヒーに口をつけながら、自分の旦那に愚痴をこぼした。
「まぁな、俺もちょっと考えたけど・・・きっと空は断ると思うぜ」
そんな夫婦の会話がひと段落したところで、空と豪がリビングスペースに入ってくる。
豪の誘いで、2度目の近接対人訓練を行ってきたのだ。
ビートの様子を見に行くと言って空が出ていくと、春がPC前から立ち上がって豪の傍に寄ってくる。
「お疲れ様でした。・・・どうでした?」
「う~~ん、何と言えば良いか・・・」
豪は頭を掻きながら、浮かない顔をした。
2回目の訓練も制限時間5分で行ったのだが、僅か2分で決着がついてしまった。あっさりと、空が敗北宣言を出したのだ。
「ありがとうございました・・・あの、調子悪いですか?」
気遣う豪の言葉に、空は穏やかな笑みで答える。
「いいえ、そんな事はありません。豪の方が、短期間で上達したんです。速い相手に対するスキルが身についたと思います」
豪自身のスピードが上がったわけでは無いが、対応する技術が向上した。短期間で成長するのが素晴らしい、と空は言う。
「ありがとうございます。でも次は、負けるかもしれないですよね。空さんだって、トレーニングでスキルアップしているんだから」
そんな豪の言葉に、空は緩くかぶりを振ってこたえた。
「いいえ、私の場合は今がコンディション100%の状態で、これ以上スピードや体力が上がることはありません。これ以上を求めてトレーニングすると、疲労が残って緊急任務に対応できない可能性があります。ですから、この状態を維持するためにトレーニングしているんです」
女性の身であるし、年齢的なこともある。どうしても少しずつ下がる様々な能力値を、現状キープすることさえこれからは難しくなってゆくのだろうから。
「この先、何十年も維持できるわけではありませんが、それでも出来るだけ長い間、今の状態を続けたいですし」
空は、少しだけ寂しそうな色を眼に宿して、豪に微笑んだ。
なんやかんやと空を気遣って、彼女の気が晴れるようにと仲間たちは色々誘いをかける。
「ねぇ、空。たまにはお茶しにいかない?」
小夜子の誘いも、ありがたいと思う空である。
「ありがとうございます。でも、今日はやる事があって・・・」
彼女はPCの前でブルーライトカット眼鏡をつけ、忙しそうにキーを叩いている。本部から回ってきた書類が、その日はやけに多かったのだ。
「お気遣い、本当にありがとうございます。でも、私は大丈夫です。この支局には、素晴らしいメンバーが揃っていますので」
博から遠ざけられた現在でも、気遣ってくれる仲間がいるのは、本当にありがたいと思う。彼らがいるだけで、日々強くなってゆく不安が消えてゆくような気がするのだ。
足元の砂が、サラサラと崩れてゆくような、手を掛けた壁がボロボロと剥がれ落ちてゆくような、そんな不安定な感覚になかなか蓋ができないようになっている今、日中は彼らの存在だけが確かなものになっている。そして夜は、ビートの存在が自分にとって確かなものなのだ。
穏やかな笑みで、そう答える空に、小夜子はそれじゃまた明日にしましょと言って席に戻った。
4日目になると、博は朝夕のメインルーム出勤もしなくなった。PCの画面越しに、必要な時だけ指示を出す。けれど画面越しの彼の様子はいかにも済まなそうで、以前の彼と全く変わりがない。捜査官たちは、ただ黙々と自分に与えられた仕事をこなしていた。
食堂のおばちゃん花さんも、それまでいつも一緒に食事をしていた博と空が、博は2人分のルームサービスでエリィと食事を済ませ、空が大抵1人で食事を摂っていることをただ心配していた。
「大体1人前は食べてるんだけど、ちっとも美味しそうじゃないの。残すときもあるし、好きな甘いものを出してあげても、お礼を言って美味しいっていうけど、なんか雰囲気が違うのよねぇ」
そんな花さんの言葉を聞かされても、メンバーたちにはどうしようもない。
出来るだけ一緒に食事をしたいとは思っても、仕事の関係上なかなか時間が合わないのだ。
そして5日目の早朝、空はスマホのコールで目を覚ました。
直ぐにこちらの部屋に来い、という博からのメッセージに、空は大急ぎで着替えて彼らの部屋に向かう。ドアをノックしてから、失礼しますと言って中に入ると、そこにはエリィただ1人が立っていた。
「あら、遅いじゃない?風邪ひいちゃうわ」
そう言って空の方を向いた彼女は、何一つ身につけていなかった。
「すみません」
空は、ただ謝って頭を下げるしかない。
「呼び出しがありましたので来ました。博・・・いえ、局長は?」
先日スマホでの連絡で、今後は局長と呼ぶ事とエリィの要望には応えるようにとの指示を受け取っていた。
「ああ、彼ね。眠ってるわよ、とても満足してね。疲れたみたいで良く寝てるの」
寝室のドアを見ながら答えるエリィは、どこか勝ち誇ったような笑みを唇に浮かべた。
「呼んだのは、ワタシ。貴方に、見せてあげたくて。・・どう?ワタシの身体、美しいでしょ?」
エリィは見せつけるように空の正面に立つ。
艶やかな白い肌は、傷1つなく滑らかに輝いている。シャワーを浴びた後なのだろう、アッシュブロンドの髪から雫が零れていた。
小柄な肢体だが、充分に成熟した女性の身体は、胸も豊かでウエストが細く、ヒップも女性らしい膨らみを見せている。けれどどこか、昆虫のような雰囲気があった。蜂や蟷螂のような、危ない匂いが漂っているような気もするが、空にはそこまでの事は解らない。
「はい」
確かに美しいと思うので素直に肯定する空だが、相手はそれでは不満のようだ。
「それだけ?・・・まぁ、そんなだから博も嫌になったんでしょうね。それに、あなたの身体って傷跡だらけなんでしょ?」
「はい、そうです」
挑発するようなエリィの言葉にも、そう淡々と答えるしかない。何しろ、事実なのだから。
「彼、随分我慢してたんでしょうね。見えなくても、触れば嫌でも解る筈なんだから。私の肌は、もち肌だって言ってたのよ」
柔らかく滑らかで、傷1つなく暖かい。触れると指に吸い付きそうな、もち肌。
「・・・・・」
それに関しては、どう返事をしたものか解らない空である。素晴らしいですね、とでもいえば良いのだろうか。
「だから、彼は満足してよく眠ってるの。私もまだ少し眠いから、また彼の隣で寝ることにするわ。アナタはもう帰って良いわよ」
エリィはそう言って、寝室に向かう。
「失礼しました」
空はそう言って、部屋を出てゆく。
自分を抱いて、彼が疲れるような事はあったのだろうか。満足できていたのだろうか。
空にはそれが、全く解らなかった。
いつも先に自分が眠ってしまい、それを確認することはできなかったのだから。
その上、翌朝はいつも彼が先に目を覚まし、色々と世話を焼いてくれていた。
(普通は、あんな風に翌朝も動けるものなのですね)
そう考えると、自分は本当に色々な意味で能力不足だったのだと思う。面倒な存在であったことは間違いないだろう、と。
空は俯いて、ビートが待つ自室のドアを開けた。
その日の正午前、時計を見てそろそろ昼食を食べなければいけない時間だ、と空が席を立った時、酷く慌てた様子で博がメインルームに飛び込んできた。
「・・・誰もいないのか?」
アイカメラで室内を見回した博は、眉を顰めて低い声で呟く。
「真と小夜子は今朝方入った捜査協力で、聞き込みに出ています。豪と春は別件で警視庁に行っています。何かありましたか?」
たまたま留守番になっていた空が、返事をする。
「ああ、そうか・・・応援が無いのは不安だが、何とかなるだろう。菊池捜査官、車を出してくれ」
博はチラッと空を見て、口早にそう言うと部屋から出る。空は急いで車のキーとバッグを持つと、彼の後を追った。
エリィは10時頃、ちょっと屋上に行くと言って部屋を出たそうだ。たまには1人で行ってみたいと言う彼女を、不安ではあったが許した博だったが、1時間経っても戻ってこない。心配して支局中を探し回り、どこにも見つからず部屋に戻った時、メールが届いたという。
そこには、エリィを預かったこと、とある店の名前、そしてそこに空と共に13時までに来るようにという事が記されていた。
不審なメールで、何故エリィが外に出たのかもわからなかったが、時間も無いので行ってみるしかない状況になっていた。
指定された店に着くと、そこは路地裏の寂れたアンティークショップだった。
軋むドアを開けて中に入ると、狭い店内の奥に開いたドアがある。その向こうから、1人の人物が手招きをした。
「どうぞ、中に・・・」
博と空は、その声に従って奥の部屋に足を踏み入れた。
雑多なものが並ぶ店内とは違い、その部屋には飾り気のない大きなテーブルと椅子が置かれているだけだ。その椅子に奇妙な格好の人物とエリィが座り、その後ろに男が1人立っている。
頭からすっぽりと大きな黒い布を被り、眼の部分にだけ穴が開いているという姿の人物は、声と骨格から男性だと解る。手首から先だけを布から出しており、まるでハロウィンのコスプレのようだ。
エリィの方は、泣きじゃくっていて目と鼻を真っ赤に腫らせていたが、博が入ってくるのを見るとパァッと顔を輝かせて泣き止む。
彼女の後ろに立つ男は、ナイフをその首元に当てていた。
「博っ!」
叫んで椅子から立ち上がりかけたエリィの目の前にナイフの刃を見せ、腕を掴んでもう1度座らせる背後の男。そして、黒布の男は空いている2つの椅子を示して2人に言った。
「先ずは掛けなさい。単刀直入に言う。女性を交換して欲しい」
エリィと空を交換しようと言う男は、手にひと組のカードを持っている。
「応じて貰えないなら、こっちの女性はどうなるか解らない。ただ、それではあまりにそちらが気の毒だから、賭けをしよう。こっちが勝てば、交換成立。負ければこの女性は返そう」
エリィを人質に取られていては、選択の余地などない。
「どんな賭けですか?」
博の言葉には、怒りが含まれている。
黒布の男は、カードを軽くシャッフルすると、博の前に差し出す。
「このカードの山から、好きな枚数だけ抜き取って、その枚数を覚えておくように。次にこっちにいる女性にも同じことをしてもらう。そうしたらそれらを重ねておいてくれ。私はそれを一切見ない」
男は横を向いてしまった。布に空いた穴の向こうで目を閉じたようだが、開いていても布が邪魔で見えないだろうと思う。
博は15枚のカードを抜いた。それを見て、エリィもおずおずと手を伸ばし7枚のカードを取る。
「抜いたな」
男はそう言って博の方を向くと、残りのカードを脇に置き、博とエリィが抜き取ったカードを手に取った。マークと数字が解る表面が上になっている。
「先ずは君からだ。これから一枚ずつカードを並べるので、自分が抜いた枚数のカードになったら、それを覚えるように」
博が抜いた枚数は15枚なので、15番目に出て来たカードを覚えれば良いという事だ。男は手に持ったカードの山の1番上から、1枚目のカードをテーブルに置き、それに半分重なるように次のカードを置く。縦に並べられたカードが15枚目になった時、博はアイカメラでそれを確認した。スペードの8だった。
男はカードを並べ終えると、最後の1枚で、列の頭である1枚目のカードの下に差し入れ、列のカードを全てすくい上げるようにしてまとめる。そしてエリィに同じことをするように言うと、再びカードを縦に並べてゆく。
エリィが抜いた枚数は7枚なので、7番目に置かれたカードを覚えた。そして男は、また同じように最後の1枚でカードをまとめた。
「さて、これから私はこのカードの山から2枚ずつめくり二人に見せる。覚えたカードが出てきたら『ストップ』と言ってくれ。二人が同時に『ストップ』と言ったら私の勝ちだ。どちらか片方だけが『ストップ』と言ったら私の負けだ」
それぞれが覚えたカードで、同時に『ストップ』がかかる確率はどのくらいなのだろう。
男は余裕の態度で、2枚カードをめくっては全員に見せてゆく。
そしてカードの山が半分ほどに減った時、声が上がった。
「ストップ」
博とエリィは、同時に声を上げた。
「こちらの勝ちですね」
男の声と同時にエリィの首に当てられていたナイフが離れ、彼女は博に飛びついて大声で泣く。
「博~~、怖かった~~っ!」
そんな彼女を抱きとめ、一瞬安堵しため息をつく博。
しかし空はその時、別の事を考えていた。
(あのカードは・・・)
「では、交換成立で。やはりこれが運命なのでしょうね」
男の声と共に、ガコンッ!という音が室内に響いて、空の姿が椅子ごと消える。
床に落とし穴が仕掛けてあったのだ。床はまた元通りに閉まって、彼女は最初からいなかったとさえ思えるような出来事だった。
エリィに抱き着かれていた博は、その様子をアイカメラで見る事さえ出来ず、男2人が姿を消したことにも対応できなかった。男の言った、運命と言う言葉だけが、頭の中に響いていた。
しがみついたままのエリィと2人では、どうすることも出来ない。
博はタクシーを呼んで支局に帰った。
タクシーの中で、エリィが呟く。
「私たちが一緒にいるのは、運命なのよ」と。
2人が帰ると、すでに他のメンバーたちはリビングスペースに戻ってきていた。
ソラが居ない事を不審に思っていたところに、博とエリィだけが帰って来たので、当然空の行方を追及するメンバーである。博は片手でエリィの肩を抱いたまま、説明をする。
「はぁっ?それで、空を置いてきたってのか!BBが絡んでるかもしれないんだぞ」
博を苦しめると言う目的で、BBは空をターゲットにしているのだ。
「それは無いでしょう。BBなら、直接彼女を拉致するでしょうからね。それに、彼女なら一人で脱出してくるのではないかな。腕利きのFOI捜査官なのですから」
おそらくまだ、BBはこちらの事情を知らずにいるのだろう、と真は思った。エリィが来て、まだ5日しか経っていないのだし。
だが、それで二人を交換してくるのはどうなのか、とも思う。エリィが一般人で、空が捜査官なら当然の事なのかもしれないが、どうにも割り切れないでいるのだ。
そんな時、メインルームのドアが開いた。
「遅くなりました」
そう言って入ってきたのは、交換されたはずの空だった。額を切っているようで、当てているミニタオルが血で滲んでいる。
「そ、空っ!無事だったのかっ!」
叫んだ真と、ポカンと口を開けた小夜子や春や豪に向かって、空はいつもの笑顔で答える。
「はい、落ちた時にちょっとぶつかってしまいましたが、地下室からは難なく出られましたので」
落とし穴に椅子ごと落ちた時、穴の縁に額が当たってしまったが、地下室の床には無事に着地できた。扉には鍵がかかっていたが、ピッキングで簡単に開けることが出来た。見張りなどもおらず、外に出た空は来た時の車を運転して帰局したのである。
とりあえず、メンバーはホッとするが、何が何やら解らない事件だ。
誰が何の目的で行ったのだろうか。
「皆さんお疲れ様でした。では、解散しましょう。エリィ、疲れたでしょう?お腹は空いていませんか?」
これで事件は解決した、とばかりに博はエリイを連れてメインルームから出て行った。
空に対して労いの言葉も無い博に腹を立てるメンバーだが、医務室に行ってから休むといって部屋を出る彼女に何がしてやれるのだろうか。彼らはその背中に ゆっくり休めと声を掛ける事しかできなかった。
自室に戻り、額の大きな絆創膏を心配するビートを宥め、ベッドに入る空だったが、頭の中は先ほどの出来事でいっぱいになっている。
(あのカードトリックは・・・)
比較的初歩のマジックである。実際やってみれば解るが、あの方法だと2人は同じカードを覚えるようになっているのだ。そうなれば、そのカードが出て来た時、同時にストップと言うのは当たり前である。
(私に解るくらいなのですから、博が解らない訳はありません)
解ったうえで、交換に応じたのなら最初から自分は捨て駒だったのかもしれない、と思ってしまう。
エリィは彼の大切な人なのだし、仮にそうでなくても一般人の生命を守るのが自分の仕事なのだから、結果は同じだったのだろうけれど。
空はむくりと起き上がり、ノートパソコンの前に座った。
(決めてしまいましょう。今なら局長も承認するでしょうから)
心に思う言葉でさえ、博と呼ばない自分に気づく。
身体の芯が、凍り付いてゆくような気がした。