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巨象に刃向かう者たち   作者: つっちーfrom千葉
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巨象に刃向かう者たち 第三話


 期待とは裏腹に、行員も受け付けのスタッフも私のことになんて、何の気も払っていなかった。緑の大草原に潜む、ショウリョウバッタのごとく、こそこそとドアを潜り、目的地に侵入することができた。後ろめたさが多少はあったので、入り口で追い出されずに、ここまで入れたことは上出来だ。後は、叔母の名をうまく利用して、銀行のトップたちから金をせしめるだけである。しかし、こちらの身分が上等だからと、あまりに下手に出られたらどうしよう? かえって、照れくさくなってしまう。本当は金を借りるために、こちらが頭を下げる立場なのに、やりにくい雰囲気になると、それはそれで困る。ところが、私が空いているひとつの受け付けを見つけたことと時を同じくして、ちびで禿頭の禿鷹のような老人がこちらを目ざとくみつけて、音も立てず、近づいてきたのである。残念ながら、草原を優雅に進んでいたバッタは、禿鷹に見つかり、あえなく摘ままれてしまったのだ。


「ちょっと、そこのあんた! 止まれ、とにかく、止まって! 止まれったら!」


 にわかには信じ難いだろうが、ひと言目がこれなのである。彼はついに眼前まで近づいてきた。私は被害者面をして、他のお客の動向を目で追ってみた。当然ながら、他の方は行員たちによって、大事に扱われていた。「周りにいるみんなと私は同じ客という立場なんだよ」とあくまでも言い張りたかった。ここは社会道徳に従順な人間をアピールするのが一番だと思った。しかし、相手の糞ジジイは私を強盗か何かでもやりかねないチンピラだと思ったのかもしれない。こちらの前科も知らない癖に……、その敵意をむき出しにしてきたのだ。


「あんたさあ、通帳は? 通帳をどこへやったの? とにかく、早く、通帳を出しなさい!」


 このように叫ぶ行員がこの先進国に本当に存在したのだ。いくら温厚な私でも、さすがに不機嫌にならざるを得なかった。


「じいさん、あのね、通帳なんて、ありませんよ。私はね、言っちゃ悪いが、上客のひとりなんだよ。多額の金銭をね、借りに来たんだよ」


 後から思えば、『知り合いの口利きで融資を受けに来たのだ』と表現しておけばよかった。そのバイトだか、契約社員だか、継続雇用だか、さっぱり分からない爺さんは、さらにいきり立ち、声高になって、こういったのだ。


「だから、通帳はどうしたんだ? 通帳がなければ取り引きはできん! 早く、見せなさい!」


 この緊急事態に他の行員は見て見ぬふりをするばかりで、誰も手助けをしてくれないことが余計に辛かった。「爺さん、まあ、落ち着いてくれ。俺はこれでも貴族の家柄なんだ。2000ドルくらいならすぐにでも……」


 しかし、その禿げ親父は、どんな賢明なる弁明を聴かされても、その魔物のような目をどんどんと充血させていくばかりなのだ。「通帳は! 通帳は!」と、私の身体はついに入り口の自動ドアの付近まで押し戻され、そのまま雷雨の路上の上に突き飛ばされてしまった。この時ばかりは、こういう事例が銀行強盗の悪しき遠因になっているのではと思ってしまったほどだ。雨傘をさして行き交う人も駐車場を守る警備員たちも、私の惨めな姿に目もくれなかった。脅えと口惜しさと屈辱で涙があふれてきた。しかし、考えてみると、私はシティバンク銀行の通帳など、元々所持してはいない。あのまま、長いこと言い争っていても、結局は言い負けて追い出されていたわけだ。そう思えば、あれ以上、余計な時間を使わずに、さっさとつまみ出されていたことは、僥倖であったのかもしれない。日本の相撲の行司のように、公平な形で、警察と弁護士をここに同時に呼ばれても、結局、負けて恥をかくのは、こちらなのである。


 こうなれば、無一文で自分のアパートを職場のフロアにして始めるしかなくなった。しかしながら、客がなければすることは何もなかった。さりとて、この状況では、時間をただ垂れ流すこともできない。できれば、一分を一ドル以上に変えてみせなくてはならない。


 銀行がダメなら消費者金融ローンがいいだろう。さっそく借金返済の請願のための書類でも一筆書いてやろうと机に向かうことにした。銀塗りのペン立てに無意識のうちに手を伸ばした。最終的な結果は出なくとも、寿命はできる限り引き延ばしておく必要がある。人生における最期の五分間で、誰かのパーフェクトゲームをぶち壊せる可能性だってある。水も食糧もなければ、あと数分で人生のタイムオーバーになってしまう。その瞬間、時の流れと思考の流れが止まった気がした。一昨年、自己欺瞞のために、十五ドルもはたいて購入した、青く美しい筒のボールペンの主軸が無惨に曲がっているのを発見してしまったのだ。当然のことながら、そのペン先は本体から出てこようとしない。インクは紙に乗らない状態になっていた。我が主張を代弁するために、そして、何かのときに自慢するために購入した大切なボールペンは、自分の知らぬ間になぜか破壊されていて、使い物にならなくなっていたのだ。すぐさま陰謀の匂いをかぎ取った。自分の悪心を第三者に利用された気がした。私は昔から一人暮らしだし、友人知人を家に招待することも滅多にない。誰かがこの部屋に侵入して、脅迫のためだけに、部屋に置いてある多くの小道具の中から、なぜか、このお気に入りのペンだけを選んで、それを破壊して平然と立ち去っていったわけだ。イギリス製作の凝りに凝ったサスペンス作品、ハリウッドのエセスパイ映画にはよく出てくる展開だが、実際に我が身に起こると、これほど恐ろしい気分にさせられるものだとは……。まだ、冬は遠いはずなのに、先ほどより、ずいぶん気温が下がった気がした。こんな大胆な犯行を、ギャング崩れの若い衆や空き巣風情にできるはずがない。人の道とは、いつどこで裏社会の暗い道と交差しているか分からない。自分はいつの間にか国家の敵に……、つまり、考えもなしに何者かの虎の尾を踏んでしまっていたのだ……。他人の邸宅の庭で、珍種の薔薇を一本摘んだだけで、数日後、マンションの部屋に外を走る乗用車から手榴弾が投げ込まれた人もいる。ただ、架空の話をしていくとキリがない。


 そのとき、玄関の頼りないドアが激しい音を立てて乱暴に開かれた。ドアの外からは、黒いスーツを着込んだ何者かが、こちらを指さしながら立ち竦んでいた。私を奈落の淵にまで追い込んでやろうとする団体の一味に違いない。「ついに、対決の時がやってきたのだ……」ドアの外を顔を強張らせながら眺め、思わず、そう呟いてしまった。私とて、この世界では名の通った存在である。黒づくめのマフィアの集団から機銃掃射されたときでも、この椅子から素早く立ち上がり、横っ飛びする気構えはすでにできていた。しかし、たび重なる悪夢が現実と幻覚の境を曖昧にしていただけであった。続けざまに起こったイベントは、自分が想定していたそれとは似ても似つかぬものであった。扉の外に立ち竦んでいた人物は声高にこう叫んだのであった。


「いや、違うよ。それは君の追い詰められた心理が、かつて刻み込まれたトラウマをここにひとつの映像として呼び出し、それを誇大妄想にまで引き上げ、あらぬ幻覚を、まるでスクリーン映画のように、次々と見せているだけだ。観客はどんなに下らないものを見せられても、それが綺麗で鮮明な映像であれば大喜びする。なぜなら、すでに入り口で損金として料金を支払っているからだ。物事を現実的に処理したければ、目の前に転がっている事実は、もっと単純に捉えないといかん。そのためには、高い学歴や社会的地位からくる自信が必要になってくるわけだ。とはいえ、ここから三時間考え込んだとしても、君には分かるまい。仕方がない。わしの方で答えを教えてやろうか。いいかね、君はこの数日間のどこかの場面で、大した意識もなく、自分でペンを壊してしまったに違いない」


 そんなことを述べながら部屋に入ってきたのは、よわい七十代とも思える白髪の老人であった。右手には蛇の銀細工のついた、よく目立つ見事な杖を、左手は黒い覆い布で隠していた。おそらく、何本かの指が欠損しているためだろう。その態度はずいぶんとでかいようだが、その外見に見覚えはまったくない。現金はたんまりと持っていそうだが、しょっちゅうテレビに出ているわけでもなさそうな奴だ。それほどの著名人とは思えなかった。


 少し遅れて、真っ青に映えたヴァレンティノのマーメイドスカートを着込んだ若い女が入ってきた。前髪が余りにも長いために、大粒の黒真珠のような目が、半分ほども隠れてしまって、それが若干暗めの印象を与えている。そして、骸骨のようにやせ細った脚でのよれよれとした足どり。「あたしは今回のことには、まるで興味がないので」と言いたげな態度が、ありありと見て取れた。その気がなくとも、ひょこひょこと後をついて来たわけだ。遺産目的でこの老人と結ばれた若妻か、あるいは、最近社交界で出会った愛人だろうが……。いずれにしても、ろくなもんじゃない。どの方角から眺めても、私が好むような人種ではない。下手をすると、ふたりとも敵になり兼ねない。ただ、「うるさい女房の他に、若くて綺麗な愛人と過ごせる生活というのも、いいものだろうな、あの子もずいぶん可愛がられているのだろうな」という、とりとめもない夢想が過ぎっていく。私は天涯孤独の身の上だから、その愚かしい妄想はさらに加速していく。


「私が自分の手で大事なペンをぶっ壊したと仰るのかね? あんたのように世間に名の知れた人物じゃないが、こちらもな、そこまで頭の悪い男じゃないんだぜ。ついこの間のことだが、大手の電気量販店で、たかだか30ドルくらいのDVDの購入を、二時間近くも躊躇した挙句、購入を断念したほどだからね。この脳みそは常に幸福と出資のバランスを計り、最良の条件と最悪の出費を比較して、複雑で明晰な解決法を求めているのさ。俺はいずれ大物になる。この店の入り口にぶら下がっている、あの安っぽい看板に騙されちゃいけない。こういうちんけな場所にこそ、在野に潜む傑物は潜んでいるわけだ。あのシェイクスピアだって、元はといえば、小さな寒村で生まれ育ったわけだろ。ここにいる小汚い俺だって、どこまで化けるか分からん。その太った財布の中に銭が溢れているのなら、今のうちに大枚を賭けておきな」


 あの美しいドレスの女は、老人の耳のすぐ傍までその魅惑的な唇を寄せて、何か二言三言と囁いていた。どうやら、互いの意見は一致したようで、ふたりしてくっくっくと笑っていた。誰を笑っているのか、何について笑っているのかは、すでに明らかであり、いい気分ではなかった。ここで殴り飛ばして、ふたりとも、ドアの外まで弾き飛ばしてやってもいいとさえ思った。ただ、彼らがなぜ他には絶対に聴こえないような声で語り合うのかが分からないので、こちらからは幾分気まずく、仕掛け辛かった。あれで案外、敵意はないのかもしれない。私のボールペンを破壊したのは、本当に彼らなのか? ここは慎重に考えて……、決して、勇み足になってはならない……。万が一、大口の顧客だったら、大変な目に遭ってしまう。


「少し口を慎みたまえ。自分の悪心に感情や行動まで引きずられてはいかん。事実として、ボールペンが曲がっていたというなら、もっと、身近な出来事から推測して解答を見いだせ、といっているのだ。空想を元ネタにしてはいかん。逆境に引きずられてもいかん。常に現実を直視するのだ。考えてもみたまえ、CIAやMI6が素寒貧の君を見張ったり脅かしたりして、いったい、どうなるんだ? いったい、何の得になるというのかね? ああいう職場の人件費は、一流企業並みに高いんだぞ。もし、気に喰わないことがあれば、四百メートルも先のビルから君の額にズドンと一発で済む話じゃないか。君ひとりの口を黙らせるために、事態を余計に複雑にしたりはしないだろう。まったく、ナンセンスだ……」


 老人の態度はこちらが想像していた以上に、どんどんときつくなっていった。到底、友好的な来客とは思えなかった。それは、議論をまったく続けたいと思わなくなるほどに厳しく感じられるのだった。しかし、私の思考はようやく冷静になれたようだ。自分の言葉は常に否定され、自分という存在は、多くの人から蔑まされているのではと感づいてきたとき、この問題は解決に向けて一気に動き出す。


「そうだ、たしか、おとついの夕方、Tシャツの胸ポケットに、あのペンを入れたままで、洗濯機を回してしまったんだ……」


「ほら、どうだ、わたしの言った通りだろう。あれだけの大騒ぎをしてみせたわけだが、実際には自分でインクを一本無駄にしてしまっただけだ。君の場合、時間の浪費と人生の不毛とが見事に比例している。もはや、誰の責任にもできない。何か不思議な出来事が起きたときは、その都度、なるべく単純に考えていけば、人生の道に解けない問題はほとんどない。君はいつも目の前に起きた問題を明後日あさっての方向に考えるから、人生に迷ってしまうわけだ」


「しかし、ペンが壊れたことを知った瞬間、この胸に寒い風が吹いたのは事実だ。そして、ふと、誰かに見られているような感覚に陥った。これも、実際に味わったからこそ、言えることなんだ。まだ、自分が間違っていると決まったわけじゃない。あんたがご丁寧にも訃報を携えて、ここまでやってきた、死に神かもしれないからさ」


「わしが思うに、おまえは元々自分への信頼をひどく失っていた。これから先に起こる出来事は、すべて悪いものばかりなんだと、薄々勘づいている。何も起こらないときから、どんなことに取り込もうにも、誰かに見張られているような、うすら寒い恐怖と不安を感じていたのではないか? 例えば、障子の合間から肌を突き刺してくる隙間風のような、ちょっとした不安感を。それは取りも直さず、過去のおまえが抱いている失望感と、未来のおまえが抱いている少々の期待感の両方なのだ。それを薄々と感じながら、なお、自堕落な生活に身を委ねるおまえは、過去と未来の自分の双方を裏切りながら生きているわけだ。分かるか?」


「私をワナに嵌めようとする人がひとりもいないからといって、そのことが、私が孤独で価値のない人間であることの証明にはならないんだよ。たとえ、アンチが増えることになろうとも、自分の存在価値を高める活動をしていきたいと思っているのでね」


ここまで読んでいただけてありがとうございます。また、どうかおいでください。お待ちしております。

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