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巨象に刃向かう者たち   作者: つっちーfrom千葉
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巨象に刃向かう者たち 第二話


 自分の気分を、そのように何とか盛り上げてやってから、おもむろに携帯の番号を押した。向こうではアラームが結構な音量で鳴っているはずだが、彼女はなかなか出てくれない。一秒が経過するごとに、先ほどから、少しずつ築き上げた自信がミシミシと音を立てて崩れていくのを感じる羽目になった。私からの借金の申し出を受けて嬉々として微笑んでいるはずの彼女の姿は、実際のところ、愚かな自分だけが見ている幻覚であるのかもしれないと。彼女だって、一応は親族だ。この話にしかめっ面をしてしまうような、性悪な女だと認めたくはなかった。何を言われようと、この対話を諦める気にはならなかった。この交渉を成功させる以外にプライドを保ちつつ、生き延びる道は他に存在しないからだ。


「叔母ちゃん、俺だよ、覚えてるだろ……? ずっと、その温かい声を聴きたかったんだよ……」


 壁の向こう側に住んでいる他人が、そのもの哀しい声を聴くならば、怪しげな儀式の予行練習とも取れる、そんな独り言を何度も呟きながら、相手が出てくれるのを待っていた。それから、4分30秒ほどが経った頃、ようやく、相手方に反応があった。


「あい、もしもし、まったく、こんな時間に……、これはいったい、誰の番号だろうね……」


「叔母ちゃん、ずいぶん久しぶりだね。僕だよ、今まさに大空へと飛び立つ準備をしている大鷹だよ。でもさ、ある程度は立派な梯子がなければ、高い屋根には登れないだろ? それと同じく、英雄が飛び立つためには立派な翼が必要なんだよ。そこでさ、ちょっとだけ、力を貸してほしいんだ!」


 さあ、今の台詞で叔母ちゃんの狂喜の声が聴こえてくる番だぞと、私は身構えた。しかし、数年もの間、離れて暮らしていた、ふたりの意志はすでに遠く、必ずしも、意見の一致をみないこともある。時間が人を成長させることもあるが、逆に、人間関係を退化させることもある。彼女の第一声に込められていたのは、大変遺憾ながら、かなりの嫌悪感だった。


「何がちょっとの力さ、半年ほど前にみっともなく土下座して頼み込んできた男がいたから、二千ドルも貸してやったんだよ。それがさ、約束の期限を過ぎても、まだ、一ドルも返してよこさないばかりか、メールひとつの連絡も寄こさないって有様なのさ。そういう奴がさ、あたしとあんたの親族の中には本当にいるんだよ。なあ、信じがたい話だろ? あのねえ、あたしゃもう、あんたを親戚の一員とは認めていないからね。今さら、身勝手な勘違いをしないで欲しいんだけれどね、一般人としてのお付き合いだって、もう、ごめんなんだからね。こっちが一滴でもあんたの心配をしていたとでも思っていたのかい? どこまでドラマティックな人生をお望みなんだね? 一目も会いたくないのに、さらなる金の貸し借りなんてもってのほかなんだよ。あんたはすでに親戚一同から敵視されているんだよ。もしかすると、次に出会うのは法廷かもしれないね。今後は、完全な敵として向き合ってやるからね。それが嫌なら、さっさと、借金の全額を返して寄こしな。新たな借金の相談があるなら、とにもかくにも、その後にしてもらおうじゃないか。そちらが小さい頃から、実際はそう思っていたんだけれど、あんたは救いようのないレベルのおバカさんなんだよ。どの年代を切り取ってみても、常にうちの一族のお荷物だったのさ。もし、以前の借金を返すつもりがないのなら、こちらとしては、いよいよ刑法におすがりするしかないんだよ。この電話が切れたなら、とっとと、刑務所で余生を過ごす覚悟でも決めるんだね」


「叔母ちゃん、そんな惨いことを本気で話しているのかい? あの頃の優しかった貴女はどこへ姿を隠してしまったんですか。歳をとると、人の性格は、老木のごとく、少しずつねじねじ曲がっていくと申しますが……、はっ……、もしや……」


「そちらの思惑と違って残念だけどね、かかりつけのベテランのお医者さんにも、今のところはね、痴呆症を疑われた経験はないんだよ。『奥様の考え方や行動には高い知性が感じられ、ご年齢にそぐわず、その態度や反応は、とてもしっかりとしてらっしゃいますね』と言われたばかりなんだよ。まあね、お世辞半分、話半分に聴くにしても、その辺を夜中に徘徊している、近所迷惑なぼけ老人どもとは、まるで違うってことだよ。それと、今問題に扱わないといけないのは、半年前の借り入れすら思い出せない、あんたの半壊した記憶力の方じゃないのかい?」


「叔母ちゃん、そこまで言うのなら、融資の話はこれで終わりだ。少しも協力してくれなくていい。だけど、このまま安アパート内で飢え死にでは、人の道としてあんまりだ。こちらが孤独死の状態で発見されたら、隣近所はおろか、親類縁者も無事では済まないんですよ。叔母さんのところまでスコットランドヤード顔負けの刑事が向かうかもしれないんですよ。さすがに、そんな事態は面白くないんでしょう? どうか、十ドル程度でも寄付していただけませんか?」


「10ドルくらいで当座凌げるのなら、近くにあるシティ銀行の支店でお借りよ。うちの一族が昔からそこにお世話になっている。あんたの持論だと、金を無事に借りられるか、それができないかは、当人の実力の目安のひとつなんだろ? それなら、私のところへ来る前に金融機関で解決すべきだ。ねえ、そうすれば、後々、嫌な婆に返済の話をされなくて済む。それくらいは、そのおつむでも理解できるんだろうね?」 


 話すことも尽きたのか、そこまでを告げると電話は唐突に切られた。それと同時に血縁関係も打ち切られた気がした。この直後、激情に身を任せて、脅しや逆恨みによる凶行を起こさなかったわけだから、私の理性は一般と比べても、かなりまともな方といえる。つまるところ、ある程度の職歴と資産を持ち合わせていなければ、血が濃くつながるはずの親族すら、こちらの話をまともに受け止めてくれないのである。『金の切れ目が縁の切れ目』が本日の収穫。


 当面の金策には失敗したようだが、とにもかくにも、叔母の助言ありがたしと、慌ただしくドアの外へ飛び出した。しかし、世界一小さく汚いアパートの外は、それ見たものかと耳をつんざくような雷雨だった。雨合羽でもないと命に関わりそうなほど降られている。たしか、シティバンクのNY支店へはそれほどの遠い道のりではないが、このような滝のような大雨の中では、どこまでが直進なのか、どの辺りが左折なのかも判別できない。下手をすると、途中で溺れ死ぬかもしれない。若い連中は皆、透明な雨合羽を着て、目的地へ目がけて懸命に駆けていく。自分は一度開きかけた傘を閉じて、街のメインストリートへ向けて、まっしぐらに走ることにした。どうせ、こんな安い傘などさしても壊されるに決まっている。同じ道を行くどの人も辛そうな顔をしていて、同じルートに向かっているようにさえ見えるのだった。パッシングを繰り返しながら、水溜まりを跳ね飛ばしていくスポーツカーには心底腹が立った。自分の苛立ちを他人にまで押し付けようとしてくる。私としては、「多くの人と同じコースを進めば、自然とそこがゴールになる」と、これまで学んできたことと、ほぼ同じような思惑で走っているわけだが、もしかすると、周りの人も同じ考えであるなら、考えたくはないが、全員間違った人生のルート上に、たった今、いるのかもしれない。ただ、ひたすらに長いだけの地味でうま味のない人生。そういう体験も、実に多かった。沿道に高級車が散見される三車線の贅沢な道を、風圧によって、すでに半壊してしまった傘を小脇に抱えながら、三百メートルほどもひたすらに駆け抜けた。路肩に停まっていた格安のタクシーが、「誰か、早く乗ってくれよ!」としきりにクラクションを鳴らす。余計に迷惑だ。雨水の垂れるびしょ濡れの顔をようやく上げると、左側に赤い大きな看板が見えた。


「よし、どうやら、助かった! まだ、この命は続く!」


 私はそう叫んで、自動ドアへ飛び込んだが、意識の上では、周りに付いてきたはずの多くの人々は、すでに散開していた。どうやら、同じと思っていた目的地は各々で違ったらしい。どこへ向かうかは人それぞれだが、びしょ濡れというところだけは、みんな同じだ。この厳しい世界では、そういうシステムになっている。全員が同じような境遇にある作業場である。こんなに恐ろしい天候の中を、SP付きの高級外車を乗り回せるご身分。誰しもがそのような輝かしい姿に憧れ、自分こそはそのルートに乗ってやろうと、七十歳になるまで息まき、身を粉にして懸命に働くが、その定年を迎える頃、自分の地図の上には、どこをどう歩いたところで、そのような花園を行くルートは存在しなかったことに気づかされる。身につまされる話ではあるが、その悲しい気づきは、自分の身の上にも、もうすぐに起こることなのだ。この荒天だというのに、銀行の入り口には、多くの来客が何かを求めて殺到していた。入り口で客を出迎えるふたりの女性スタッフは、回転扉をくぐろうとしている人の一人ひとりに対して、丁寧に頭を下げるのだった。


「何か、お困りごとはありませんか? こちらにお申し付け下さい」


「ご用命がありましたら、何なりとお申し付けくださいませ」


 どんなくだらない人間でも、銀行にさえ来れば、立派な客として扱ってもらえる。ここで彼がどんな行為をとったとしても、それこそ、人質を付き合わせての銀行強盗であったとしても――それは回り回って、当銀行の宣伝や利益や新たな防衛装置になるのであるから……。しかし、私が扉をくぐろうとしたとき、麗しき彼女たちは、こちらをふっと一瞥すると、ひと言も発さずに不自然に目を逸らしたのだ。つまり、この自分という存在に対して何の反応も示さなかったのだ。何か嫌な気分に襲われた。ただ、これは気のせいかもしれない。この時点で騒ぎだすのはモグリだ。人生が上手くいかず、気分が落ち込んでいるときは、どんな些細な事態でも、周囲がすべて敵に見える瞬間が訪れるものだ。その悪意の誘惑に乗せられ、ここで当たり散らしてはならない。ただの底意地の悪いおっさんになってしまう。相手がこちらの判別をしていないうちに、自分から悪者に化けてはならない……。余計な墓穴を掘って人生を塵芥に帰してはならない。こちらが笑顔を振りまけば、向こうもそれ相応の態度で応えてくれるはずだ。誤解をプラスに変えて、ハッピーな軌道へと乗らなくてはならない。何しろ、当面の生活費を借りに来ているのだ。言うなれば、こちらは一文無し。服は埃をかぶっているし、少々、匂っているのかもしれない。そうすると、怪しまれるのはしごく当然なのだ。身なりは汚くとも話せば分かってくれる。こちらの理想とする将来像を話して聴かせてやるのだ。そうすれば、お互いの利益になる。希望額全部とは言わずとも、一定の額は借りれるだろう。当面はそれでやりくりできる。

ここまで読んでいただけてありがとうございます。また、どうかおいでください。お待ちしております。

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