美味い一杯の熱い珈琲
春一番が吹き抜け、冬は過ぎ去った。しかし、早春の明け方はまだ肌寒い。ベッドから抜け出した俺は一杯の珈琲を淹れた。
寒い朝に飲む、一杯の熱い珈琲。美味い。身も心も温まる。
ふと、心に、山頂から眺める雲海の情景が浮かんだ。
標高の高い山の頂は寒い。眼下に広がるのは、絶景の雲海。そんな景色を見ながらの、寒さの中での熱い一杯の珈琲は最高だろうと思った。
美味さを決めるのは、素材だけではない。シチュエーションも大事な要素だろう。
灼熱の砂漠で乾ききった身体の求める一杯の冷たい水が最高に美味いように。
何年か前に、富士山に登ったことがある。その時に、こんな出来事があった。
買い溜めた沢山の、食料と紙パックの飲料。それらをリュックに詰め込んで、俺は富士登山に臨んだ。
富士山の山小屋で買う食料の値は高い。そのことを踏まえての、食料持参での登山だった。
山頂から見下ろす雲海は絶景だった。山頂の自販機で買ったホットの缶コーヒーの美味さは最高に感じた。
結局、持参した食料の大半は消費されずに残ってしまったが。
下山途中に、妙な叫び声を聞いた。
「たすケてくダしャーい。ワタシを……、タシュけて……くダしャーイ!」
見るとそこに、半袖短パン姿でサンダルを履いた中年の男が地べたに大の字に寝転んで叫び声を上げていた。
登山客たちは皆、そこに何も無いかのように通り過ぎていく。
俺は、そのシュールな光景が面白くて、男の横にあぐらをかいて座り込んだ。
事情を聞いてみた。男は韓国から来た観光客だった。
男は韓国語交じりの片言の日本語で必死に語り始めた。
この男、一人旅が好きで、単独で日本に来たらしい。
男曰く、旅の途中で富士山が見えた。登りたくなった。着の身着のまま、富士登山に臨んだ。真夏でも真冬並みに寒い富士山で、その寒さに震え、食料もなく腹が減って、身動きが取れなくなった。
そんなところらしい。
いくらなんでもサンダルで富士登山は無いだろう。
俺は、リュックに残った食料の全てを、この男に渡した。
俺にとっては、その時点では不必要な食料だったが、男にとっては最高のご馳走に感じたことだろう。
男は「オルマ? オルマ?」と言い出した。
実は、俺は少しだけ韓国語が分かる。男は俺に食料の代金を支払おうとしている。
「いくら? いくら?」と言っているのだ。男の言うことを理解できても、喋れるまでの語学力を持たない自分が残念だった。
「お金はいらない」と日本語で言っても、男は「オルマ?」と繰り返すので、とりあえず100円だけもらっておいた。
食料を得て復活した男は「カムサハムニダァ!」とか言いながら山頂に向かって歩き出した。
やめておけばいいのに。
朝の一杯のコーヒーを飲みながら、何故か、その時のそんな出来事を思い出した。
自分に置き換えて想像してみた。
フランスか。スイスか。ヨーロッパのアルプスでさ迷って困窮する俺。
現地の人に助けられ、山小屋に招かれる。窓から見下ろせば、見渡す限りの絶景の雲海。遥か遠方の麓には、広大な牧場。
その景色に感動する俺に差し出される熱い一杯の珈琲。
きっと最高に美味いだろう。
そんな思いに耽りながら飲む、今朝の熱い一杯の珈琲は最高に美味く感じた。
「カムサハムニダ」は「ありがとう」という意味です。




