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第2話 「鬼女を喰らう」

 


 うす暗い森の中で太陽の陽が沈めば、この場所はもう暗闇の中だった。


 五月雨が上がって、土の匂いが空中に散乱しているので、息をする度に、肺の中が湿っぽくなる気分がするのだ。



 この道には、鬼が出る。


 という噂話を小耳に挟んだ。


 どうやらこの森の中というのは、町では有名な鬼の通り道になっているらしく、昼間でも町の人々は滅多に近寄らない。



 ところが、こうして私が夜道をたった一人で歩いているのは単に道に迷ったからという訳ではなく、



「お兄さま、お兄さま、どうか私を助けてくださいまし」



 か弱い少女の声が、どこからか響いて来るのだが、このような鬱蒼とした暗い森のなかで、少女がたった一人いるのはおかしいのだ。



 加えて、その助けを求める声は、どこか不気味さがあった。心の底を抉るような、なんとも言えない奇妙な声色だった。



 私は確信した。少女は鬼である。可憐で幼い少女を気取りながら、通行人を喰うのである。



 ふと脇を見ると、もう少女の影は迫っていた。小さな足が木の葉を踏む音が、私に近づいてくる。



 これは逃げ切れないな、と思った。


 その予想は的中した。



 木の影から、幼い少女が現れたのだ。薄手の白いワンピースを着ていて、背は小さかったが、瞳は真っ黒だった。



 ただ、足には何も履いていなかった。素足が木の葉を踏むときの軽い音は、私にとって奇妙な癒しをも感じさせた。



 その色の無いような、血の通っていないような、純白の少女の素足と、指先と、そしてその儚い顔の表情は私の心を充分に惹き付けて離さないものだった。



「お兄さま、お兄さま、どうか私を助けてくださいまし」



 今度は私の目を見つめながら、すがるように語りかけて来るのだ!



 私はどうしようもない。もう私の心は、少女に奪われてしまったのだ。胸の鼓動が危険な快楽となって全身を駆け巡り、淡い純情な恋心として、全身に打ち出されている。



 しかし少女は鬼である。


 村の住人たちから恐れられている残虐な鬼である。そして鬼は、人を食うのである。



 だがしかし私は、もう腹をくくった。この鬼になら食われても構わない。



 この美しい鬼になら、私の魂などいくら捧げても構わない。そう心に誓ったのだった。



「お嬢さん、実は鬼でしょう」


 と私は少女に向かって、そっと話しかけた。



 答えは当然分かっていた。この少女は、きっと本当のことを話す。


「あら、お兄さま。よくご存じでしたね」


 ほら来た。と私は確信した。



 しかそのあどけない声は、私の欲求を深く刺激した。つまるところ、私は彼女に食われたい。



 私の身を、血肉を、この少女に捧げたい。そうして、私もこの少女の首筋に遠慮なくガブリとかじりつき、鬼の血を吸いたいと心の底から思った。



「お嬢さんは、人を食うのですか?」


 私はあえて詮索するように少女に問いかけた。



「ええ、私は人を食います。もちろん貴方も」



 少女は私にとって、奇跡のように美しい人だった。いや、彼女は人ではないから、美しい鬼と表現できるのだろう。



 とにかく私は、一寸先に少女の血の通っていないような真っ白な顔があることに驚きを隠せない。



「お兄さま、いいんですか? 本当に私はアナタを食らってしまいますよ」



 再度の確認ということか、私は静かに頷く。そうして、



「頼むよ、俺はこうして人生の終焉を迎えることに奇妙な喜びさえ感じるんだ」



 と、私は囁いた。



 私はもうどうでもよかった。食われる側の人間として、美しい鬼に首筋からパクリと齧られて殺される程、幸せなことは無いと思った。



「……お兄さま、ああ、お兄さま。私はアナタさまを心から愛します。その清らかな血肉を、私にお恵みくださる。その澄んだ赤黒い肉片を、お恵みくださる」



 すると少女は、そう言って私に抱きついてきたのだ。



 少女は鬼だと言うのに、その身体からはお香のような匂いが漂ってきて、私の肺に吸い込まれ、全身を巡る。



 これから食い殺されるというのに、私は奇妙な喜びを感じていた。性的な恍惚感に近かったのかもしれない。



 辺りは薄暗くなっている。そのせいで少女の顔立ちが、なんだがいっそう艶かしくなっている気がする。


 彼女は人ではないのだ。人ではない…………異形だからこそ、私は食い殺されるのだし、人ではないからこそ、より一層の興奮が私を捉えて離さないのだ。



「お兄さま、さっそく始めてもよろしいですか?」



 優しく問いかける彼女の瞳は真っ黒で、その眼差しを向けられた私にも、少女という華奢な肉体の甘い死の影が迫ってきた。



 直後に私の首筋に痛みがほとばしった。少女の小さな口が、私をさっそく捉えたのだった。



「お兄さま、お兄さまの血は、優しい味がしますね」



 血が出ている。私の首から、鮮血が溢れ出している。あぁ、痛みというものは、なんと美しいのだろうか。



 魂が千切れるほどの、激しい痛み。死が迫り来るその果てしない壮絶な痛みの中で、私の脳内麻薬は、あり得ないような分泌量を記録した。



「あ、お兄さま。震えていますよ?」


 優しい声だった。なんと恐ろしい声なのだろう。



「このまま続けてしまいますね。もう、離しませんから、お兄さまも…………私を強く抱いて」



 と少女は言う。


 束の間、私の脳内に閃光が走った。



「私の肉は旨いかね。君のそれも、チョッと頂いても構わないかい?」



 返事がどうであれ、続けるつもりだった。



「ええ、いいですとも」



 幼い少女は、白い服の襟元を捲って、自分の首筋を差し出した。私は必死でそれにかじりついた。



 鉄の味が広がったことに、私は感動したのだ。



「あぁ、お兄さま。なんて力がお強いのでしょう。私は嬉しい。嬉しい。ほんとうに嬉しいです。あぁ、お兄さま」




 私に首筋を抉られたことで、少女は感極まったのだ。私の血肉を貪る少女の蠕動ぜんどうが、激しさを増した。




 少女に食われ、私の命は尽きるのだ。


 視界の隅に、健気に咲いたラベンダーの花が見えた。






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