9.聴取、田辺慎一郎
「私は一昨日、朝の七時に愛車であるボルボのXC90に乗ってここへ訪れました」
田辺慎一郎の部屋で始まった事情聴取は、およそ金持ちマウントとしか思えないものから始まった。
発言する田辺に自慢するような態度は見えない。あくまで彼なりに真摯に、俺達の捜査には付き合ってくれているらしかった。
「へぇ、ボルボですか。確かにあの日、少し離れた天海家の駐車場にはいくつか高級車が並んでいましたね。ちなみに私はBMWに乗っていますが」
予想通り、探偵が車の話に食いつく。話の腰を折るどころかまだ立ち上がってすらいないのにローキックを入れられた形だが、何も知らない田辺はどうやらそれも捜査の一環と考えたようで探偵に合わせた。
「確か……紗栄子さんのミニ・クーパーに天海のベンツとアウディ、それから森本さんはポルシェでしたかな。あとは誰のものかは分かりませんが、マツダのデミオが一台」
「あ、デミオは櫻木のやつです」
「あぁ、彼の……」
俺が合わせると彼はもにょる。櫻木が殺人犯として逮捕され報道までされている現状、当然といえば当然の反応である。
一応櫻木もRX-8という高級車を所有してはいるのだが、何故かあの日はデミオに乗って現れた。不思議に思って聞けば車検の為、仕方なく代車で来たらしい。スーパーマーケットの駐車場ならともかく、あの場で彼のデミオは可哀想な程に浮いていた。
「おや、となると島村さんの車は」
「うっ……」
妙なところで発揮される探偵の勘はここでも健在だ。しかし尋ねられてしまった以上、この場でかわす術はない。俺は観念して小さな声で答えた。
「いや、俺はバイクで……」
「ああ。そういえばスーパーカブが一台ありましたね」
「うぐっ」
見栄を張ってバイクと呼ぶも、即座にその見栄は粉砕される。俺は敗北感で泣きそうになりながら顔を伏せた。
だいたい、スーパーカブだって名前だけ見ればポルシェやベンツにも太刀打ち出来そうな響きじゃ……いや流石に無理があるか、所詮はカブだもんな。せめてアルティメット大根とかだったらワンチャンあったかもしれない。
「ま、まぁ車の話はもういいじゃないですか。それで、八時に訪れてからは何を」
「私は最後の客だったようで、既に皆さんはお揃いのようでした。軽い段取りをメイドさんから伝えられ、その後は先に一言祝いの挨拶でもと思い天海の部屋に。八時半頃ですな」
「八時半頃、ですか」
探偵は既に、一昨日の時点の事情聴取でこの辺りの情報は持っているのだろう。一応視線だけ田辺の方を向いているが、なんとも興味無さげであった。
「もっとも、少し会話を交わしただけで退室しましたがね。彼も何やらソワソワしていたので」
「ほう」
「もしかすると、ただ祝われるのが恥ずかしかったのかもしれませんが」
天海の性格からするとそれは大いに有り得る。自慢話は多いくせに、褒められ慣れてないのかいざ褒められるとすぐ真っ赤になる奴ではあった。
ただ一方で、そのソワソワは八時半頃に誰かが部屋に来る約束をしていたパターン、という可能性なんかも存在する。ゲスな邪推にはなるが、たとえば天海と森本は不倫関係にあり、八時半頃に密会の予定であった……というような感じだ。
「それからは自室に戻り、適当に時間を潰していました。勿論たびたび大広間へ出歩いては、そこにいらっしゃった夫人や森本などと適当に雑談することもありましたが……流石に何時何分に、と綿密には覚えていませんな」
「一応、十一時くらいに始まった食事会までは自由でしたからね。というかなんで八時招集だったんでしょうね」
別に九時とか十時招集でも充分だっただろう。現に櫻木と俺は時間を持て余して、メイドさん達の準備を手伝おうかという話になったのだ。
「まぁ、天海はそういう所がありますから」
「そういう所がありますもんね」
そう言われるとこちらとしても頷かざるを得ない。確かに天海はそういう所があった。それから田辺はゴツい腕に巻いた金ピカに輝くロレックスで時刻を確認する。
「ええと……食事会が終わったのはだいたい十一時五十分頃でしたな。それからまた、食休みということで自室に」
ちなみにその時、俺は天海に部屋に呼ばれた。そこから口論になって殺害するのは十分後の事である。
そして同時に、強盗事件が起きたのもこの時間だ。俺は固唾を呑んで彼の言葉を待つ。
「そこからはまた先程と同じですな。時折トイレに行ったり誰かと雑談したりはしましたが、基本は部屋で休憩を。もっとも、一時間後には例の事件で大広間に呼び出された訳ですが……」
「なるほど、なるほど」
俺は頷く。アリバイがない以上、彼は依然として容疑者ということになる。俺は心の中で彼の顔にキュッと赤い丸を入れた。
「そこからはまぁ、お二人もご存知でしょう。もっともここまでの話も、そちらの探偵さんには一昨日話しましたがね」
「……すみません、お手数をお掛けして」
「いえいえ。何か情報になれば良いのですが」
嫌味のつもりはなかったようで、田辺は頭を下げた俺にむしろ申し訳なさそうに手を振る。すると、それまで何も言わなかった探偵が突如、田辺の薬指を見ながら口を開いた。
「失礼ですが、ご結婚なさってるのですね」
「えぇ、まぁ。それが何か」
「いやぁ、別に何という話じゃないんですがね。私もいい歳なのですがなかなか相手が見つからず……憧れているのですよ、最愛の人といる生活というものに」
「あぁ、そういうことですか……惚気るようでなんですが、正直とても幸せですよ。人生の墓場なんて言いますが、こんな墓なら喜んで入るってものです」
「それはそれは。まこと、羨ましい限りですよ」
探偵の言葉に田辺は安心したように一気に相好を崩す。こういう緊張をほぐす話術のようなのもまた、彼の探偵としての技なのだろう。出来ればもっと早くやって欲しかったのだけれども。
「すみませんね、余計な話をしてしまい……ちなみに、一昨日で他に気になったことなどは?」
「……あ、そういやこれは一昨日の警部さんにも話し忘れていたことですが……強いて言うなら天海の部屋が随分片付いていたなと」
「片付いていた?」
俺はその言葉に首を傾げる。元より特に天海が潔癖症だとか、そういうことは無かったと思うが。
「ええ。天海は最近美少女アニメ、確か『アイドルマイスター』とか言ったかな? にハマって居ましてね。先週も私や森本さんに、限定販売のフィギュアを買えたと自慢していたのですが……彼の部屋にはそのフィギュアが見当たらなかったもので」
「あぁ、片付いていたってそういう……あいつ、大学の時はそういうの結構嫌っていたんですけどもね。全然知らなかった」
「まぁ、社会人になってから魅力に気付くというのも珍しい話ではないでしょう。当人もオープンなファンというわけではないようで、嫁には内緒だとよく言っていましたが」
じゃあそれが答えでは無いのだろうか、と俺は心の中で指摘する。単純に嫁にバレたくないから集めるだけで飾りはしないのではないだろうか。あるいは本人の部屋ではなく、隠し部屋のようなところに別で保管しているのではないだろうか。
「まぁ、そんなところですね。すみませんお力になれず――そうだ。アニメの話は夫人達には内緒にしておいて下さいね。いくら亡くなった後とはいえ、秘密を知られるのは彼も無念でしょうから」
「ええ、勿論です」
すかさず探偵は微笑む。とはいえ、遺品整理などで既に知られている可能性も充分に有り得るのだが……。
「じゃ、また何か思い出したりしましたらお願いします」
「はい、こちらこそまた何かありましたらどうぞ」
ペコペコ互いに頭を下げつつ、俺達は田辺慎一郎の部屋を後にする。ドアノブを握って彼の部屋の扉を閉めたところで、探偵は俺の手を見ながらボソリと言った。
「――あぁ、やっぱり貴方は結婚していないのですか」
ほっとけ。